情報誌「083」テキスト版 情報誌「083」トップページへ

表紙イメージ
『083(ゼロハチサン)』
うみ やま たいよう
創刊号
2007年11月30日
下関市発行
表紙イラスト・装丁
リリー・フランキー
 海からくるもの
 夏、風、さかな、
 バナナのお籠。

 ─金子みすゞ
   『海と山』より
▼テキスト版目次
 
特集 昭和のニホヒ
  2   巻頭ウォーク・インタビュー
リリー・フランキーさん
下関アワー〜潮風に昭和の匂いがまじる午後
  10   ちいさんのおさんぽ
初めての下関であの角を曲がって 昭和の世界へ
歩く人・絵=地井武男
  22   ミナトの舌品! 昭和的グルメ紀行
ふく刺しぶっかけ丼 クジラカツ
  24   銭湯豊富的港町 下関でザブン!
文=町田忍
  34   庶民文化史研究家の血が騒ぐ
「街角遺産」あれこれ
文=町田忍
  36   しものせき 祭り・イベントカレンダー
2007年12月〜2008年5月
  38   メーキング版
リリーさんの周辺と連夜の奇跡
文=福田章
  40   083の謎 次号予告 編集後記



巻頭ウォークインタビュー リリー・フランキーさん

下関アワー〜 潮風に昭和の匂いがまじる午後

あらゆるジャンルの芸達者、リリー・フランキーさんが、港の風に誘われて下関にやってきた。
寡黙に歩く姿が雄弁で、白昼でも行く先々を盛り場に変えるマジックの持ち主。
リリーさんの眼に映る下関は、あこがれ色に染まっていた!

構成=福田章 撮影=橘野栄二

◇関門汽船の上で

──とりあえず、ここは関門海峡の真上です。昨晩はよく眠れましたか?
L 眠れましたけど、この船、けっこう揺れますね。アイスクリームがこぼれ落ちそう。
──さっき門司港で、出航間際にあわてて買ったバナナ果実入りのアイスクリームですね。
L バナナの叩き売りをイメージしながら食べてます。下関では、海で世界とつながっている感じがいい。
俺の育った筑豊にはない広がりのある風景。筑豊は内陸してましたからね。
──子供の頃、列車を眺めて旅情をくすぐられるようなことは?
L それはなかったです。単線で二駅も行くと終点みたいな路線ばかりでしたから。
だからこの、港の景色に触発されるものがあります。
──着きましたよ。
L 着いても、まだ揺れてる。俺だけかな?

(写真)関門海峡の青空に心も二日酔いも晴れ晴れのリリー・フランキーさん。向こうに高くそびえているのは「海峡ゆめタワー」
(写真)ボードウォークと洒落こめる唐戸のカモンワーフから門司港方面を望む

◇割烹旅館「春帆楼」で

──ここは明治28年(1895)、日清講和条約が結ばれた場所で、この「帝の間」は昭和天皇・皇后両陛下の御座所となった部屋です。こちらの海の見える側が上座だそうです。
L 下関に上陸して、さっそくフグで昼ご飯。東京ではなかなかやれない贅沢だ。
──下関では「福」に通じるように「フク」だそうですよ。まずは刺し身を。錦皿の絵模様がスケスケです。
L 目で見ても贅沢ですね。
──唐揚げもあって、ビールが進みます。鯛の塩辛にアワビの茶碗蒸しと、よき酒肴に事欠きません。フクの鰭酒(ひれざけ)に移りましょうか?
L 香ばしくて、うまい。しかし、昼はよく効くなぁ。
──この、むかご飯で締めれば大丈夫でしょう。
L さっぱりとうまい。東京にいたら、一日ごはん粒を食べないこともあるから、今日は健康的。
海峡を渡る船が国際的で、なんかこの風景だけでも、子供は世界を感じるでしょうね。

(写真)フク刺しは、お皿と透明な味覚が織りなす下関の芸術料理(春帆楼)

◇通称「くじら館」の下で

──旧下関市立水族館の別館だったらしいです。シロナガスクジラを模してある。
L こんなでかいもの、運ぶのたいへんだから、きっとここで造ったんでしょうね。
──かつて下関に本社があった大洋漁業が寄贈したとか。
L マルハでしょう? 懐かしいなぁ、大洋ホエールズ。
──リリーさんは、どこファンですか?
L 今はちょっと微妙なんです。松井ファンなので、ヤンキース。
──『東京タワー』には福岡の平和台球場へ連れていってもらってた話が出てきますよね?昭和40年代後半になりますか。
L 俺の頃はライオンズが「太平洋クラブ」でした。基・東田・竹之内・東尾なんかが活躍していた頃です。監督が江藤で。
──外国人選手ではビュフォードとかレポーズとか。
L 下関には今も球場があるんですか?
──安岡という町付近に照明を備えた立派なスタジアムがあります。最近は年に1回、横浜ベイスターズの試合が開催されています。

(写真)昭和33年(1958)に完成した「くじら館」。体長25メートル、体重130トンのクジラを実物大に模している。
どのように造形したのかは、建築業界の謎とか
(写真)海岸を散歩していたお子ちゃまと気さくに握手。リリーさんの心やさしい面を見た

◇壇之浦で

──こうして見ると、とても港町が似合われます。よく酒場でのお写真を拝見しますが、港の方が真骨頂かも。
L それはわからないけど、憧れる気持ちが現われるのかもしれない。このまま船に乗って、遠い国へ出かけたい衝動にかられる。
──時間旅行もいいですよ。あそこからエレベーターでおりると、関門トンネル人道へ行けます。歩くと、昭和時代へタイムトリップしているような感覚が味わえます。
L 不思議な道ですね。
──上の車道とともに昭和33年(1958)3月9日に開通しました。距離は780メートルで、ほぼ真ん中に山口と福岡の県境があります。
L けっこう皆さん、歩いてますね。走ってる人も多い。
──安全だから、ジョギングのメッカになってるんです。
L あっ、優作さんがいる!

(2007年10月16日取材)

(写真)唐戸の旧下関英国領事館付近を1人で行進中?この後、館内のカフェ「異人館」で1日10杯限定の特製カフェ・オ・レを賞味した
(写真)関門トンネル人道へは、エレベーターで地下約60メートルおりる。入場時間は午前6時〜午後10時。通行無料、自転車は片道20円。道幅4メートル。オツな海底散歩が楽しめる
(写真)トンネルの下関側には当地ゆかりの人々の似顔イラストが描き込まれている。リリーさん、敬愛する松田優作(故人)さんとツーショット

リリー・フランキー

1963年、福岡県生まれ。武蔵野美術大学卒業。イラストレーター、文筆家、小説家、絵本作家、写真家、構成・演出、アートディレクター、作詞・作曲など多彩なジャンルでの表現者。『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(扶桑社)は220万部を超える国民的ベストセラー。絵本作品『おでんくん』(小学館)はNHK教育テレビでアニメ化されている。
公式ホームページhttp://www.lilyfranky.com

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特集 昭和のニホヒ

たとえば、昭和30年代
戦後のどん底を抜け出して
みんな明るい未来を信じていた

そして今
古びて汚れているものもあるけど暖かい
昭和の大切な何かが語りかけてくる街角

ロケで日本中を訪ね歩いてきた地井さんも
昭和的路上観察の巨匠・町田さんも
それに取材スタッフも
夢中で嬉々として下関を歩いた

なぜなんだろう
みんなの興奮をお伝えします


ちいさんのおさんぽ  歩く人・絵 地井武男

路地を曲がって、あれれ?と迷って
出会うのは店端会議のおばあちゃんたち
散歩ブームの発信源となった
人気テレビ番組「ちい散歩」などで
いっぱいいっぱい散歩してきた
地井武男さんが
昭和の匂いが嬉しく漂う下関を
楽しく雑談しながら歩いて行く

文=大森隆 撮影=橘野栄二

地井武男(ちい・たけお)

1942年5月5日千葉県八日市場(現・匝瑳市)生まれ。俳優座養成所第15期生を経て、映画、テレビ、ラジオなどで活躍。また、旅行ものやバラエティ番組、CMなどにも数多く出演している。趣味は絵とゴルフ。現在、テレビ朝日(毎週月曜日〜金曜日、午前9時55分〜)とBS朝日で、東京とその周辺を散歩する「ちい散歩」に出演。視聴者からの熱い支持を受けて、地上波の地方局でも放送するところが増えている。

初めての下関で あの角を曲がって 昭和の世界へ

【長崎中央通り】

「ボォーッ」  ときおりお腹の底にまで響くような音が聞こえてくる。船の汽笛だ。  JR下関駅から東にのびるメインストリート、国道9号線。街路樹がブロック敷きの歩道に映えるこの道を、地井さんは足取りも軽やかに歩きはじめた。 「この音を聞くと、港町に来たなっていう実感がわくね」  仕事でもプライベートでも、なぜか下関は素通りしてきたという地井さん。歴史ある港町という、散歩には絶好の舞台に立ち、見るもの聞くもの、すべてが新鮮に感じるようだ。  こぎれいなビルやマンションが立ち並ぶ9号線から、地井さんはふと長崎中央通りという名の細い脇道に折れた。なだらかにのぼりながら弧を描く道の両側には、木造の古い家が並んでいる。朽ち果てた自動販売機の前に野菜が無造作に並べられ、お金を入れるための缶がぶら下げられていた。角をひとつ曲がっただけで、平成から昭和にタイムスリップしたかのようだ。  道の左右は小高い丘になっており、その斜面に沿って家並みが続いている。目に映る色のほとんどが木壁の茶色だ。うち捨てられた家も少なくなく、商店や小料理店の看板も見えるが、錆付いたシャッターや破れたカーテンが、廃業して久しいことを物語っている。おそらく、元号が変わる前に置き去りにされたものだろう。  と、ある傾きかけた家屋の二階で、老夫婦が木枠のガラス窓を入れ替えているのが見えた。止まっていた時計の針が、突然、動きはじめたような感覚を覚える。ともすれば陰鬱な印象を受けるセピア色の街に、あたたかく、やさしい風が吹いたような気がした。  こういう街並みをなんと表現すればいいのだろうと思っていると、地井さんが端的に表現してくれた。 「心にしみる風景だね」  ここに暮らす人たちにとっては、厳しい現実があるに違いない。だが、その厳しさは街の姿に刻まれ、訪れる人にとっては「心にしみる」味わいとなる。無責任なようだが、それもまた現実なのだ。  しばらく行くと、鮮やかな黄色が目に飛び込んできた。民家の軒先に植えられた木が、秋の日差しのなかで満開の花を咲かせている。 「バラ科の花かな。なんていう名前だろう。家の人は意識していないだろうけど、茶色い壁と青い空にこの色は映えるね」  錆びたコカ・コーラの看板があるところを見ると、かつては商店を営んでいたに違いないその家は、すでに商売替えをしていた。それがまた生活の匂いを感じさせ、なんともいえない趣を漂わせていた。

(イラスト)黄色の花とコーラの看板/絵=地井武男

石仏に合掌 朝顔にもペコリ

【福仙寺〜日和山大師霊場〜日和山公園】

 海を背に、長崎中央通りから右の丘を登ると日和山(ひよりやま)公園、左に行くと丘を越えて茶山通りに至る。地井さんは「日和山大師霊場」という看板に導かれるように、福仙寺の階段に足を向けた。階段の脇には朝顔に似た鮮やかな紫色の花が、石垣にはりつくように咲いている。  境内を抜けると、丘に九十九折りの道が刻まれており、そのところどころに小さな祠が置かれていた。これが日和山大師霊場だ。

「路地で迷うのってすてきだよね。 散歩っていうのは、 迷うのを楽しむことなんだよ」

 ブロックで囲われた祠には、それぞれ小さな石仏がまつられている。ぴかぴかに磨かれているのではなく、かといって朽ち果てているわけでもない微妙な具合が味わい深い。 「ひとつひとつ表情が違うね。これはおもしろいな」  地井さんは石仏に手を合わせつつ、急な坂道をのぼっていく。カサ、カサと枯れ葉を踏みしめながら道をたどっていくと、地元の人らしいおばさんに出会った。 「いつもお参りしているんですか?」  地井さんが声をかける。 「はい。先祖の供養もかねて――」  見るとおばさんの手には、たくさんの1円玉が入った袋が握られている。 「これを88ヶ所全部にお供えしていくんですよ」 「そうですか。いいところですねぇ、本当に」  祠に刻まれた番号を88までたどると、もう日和山公園は目と鼻の先だ。陶器でつくられた高杉晋作の像が、激動の幕末から140年を経た長州の街を見下ろしている。おなじように見渡してみると、海峡を背に林立するマンションや「海峡ゆめタワー」が視界に迫ってきた。 「新しいものと古いものが共存できればいいんだけどな。そうすれば街はあたたかさを失わないのに」  それが、どれだけ難しいことかは地井さんにもわかっている。わかっているけれど、いまやサーファーたちのメッカとなり、ひなびた漁村の雰囲気がまったくなくなってしまった故郷・九十九里浜の変貌を見るにつけ、「何か方法があるだろう」と思わずにはいられないのだ。

(イラスト)日和山霊場/絵=地井武男

路地大好きな地井さんが 迷子になりながら ニコニコしてる

【笹山町の丘】

 日和山公園の、かつてミニ動物園だった一角にブランコがあった。実は地井さん、知る人ぞ知るブランコ・マニアである。 「ブランコなんてみんなおなじと思うだろ? 違うんだよ。何がって? 景色も違うし空気も違う。それがタダで楽しめるんだよ。乗らなきゃ損だよ」  ウォーキングの趣味が高じて、東京を中心に放送されている人気番組「ちい散歩」でも1年中散歩を楽しんでいる地井さん。最近は、街による空気の違いを敏感に感じるようになった。 「左のほほと右のほほに感じる空気が違うこともあるんだ。見回してみると、道の左右で並木が違っていたりする。見た目だけじゃなく、それぞれの地域に生活してきた人たちの歴史が、独特の空気をつくっているんだろうな」  散歩をするときは、ただ歩き回るのではなく、ときには立ち止まって目を閉じてみたり、ブランコに乗って風を感じたりしてみると、その土地の魅力をもっと感じることができる――それが“散歩の達人”からのアドバイスだ。  ブランコに揺られて下関の空気を堪能した地井さんは、いったん長崎中央通りにもどったあと、反対側の丘に歩を進めた。  かなり急な坂なのにもかかわらず、小高い丘にはびっしりと住宅が並んでいる。そのあいだを縫うように細い坂道や階段が絡み合いながらのびていて、どれが私道でどれが公共の道なのかすらもわからない。きれいに区画された道ばかりの都会から来た人間にとって、この混沌ぶりはたまらなくおもしろい。路地好きの地井さんは、気の向くままに階段をのぼり、足の向くままに坂道を曲がってゆく。 「あの角を曲がるとどうなっているのかって考えながら歩くとおもしろいよね。たぶんまた、次の角が見えるだけなんだろうけどさ」  地井さんは、見通しのきかない道を迷路に見立てて楽しんでいる。 「あ、花がある」  角を曲がると、ある家の門に続く石段にピンクの草花が植えられていた。そばにはたくさんのドングリが落ちている。 「季節感が味わえる道って、いいなぁ」  ときおりすれ違う地元の人たちは、地井さんが「あの地井さん」だと気づかないままに「こんにちは」と声をかけてくれる。その自然さが、とてもすがすがしい。おなじように「こんにちは」とあいさつを返した地井さんは、さらに迷路の奥に入っていった。

知る人ぞ知る いかにも昭和の商店街

【茶山通り〜長門市場】

 迷路散歩を抜けると茶山通りに出た。通りの名前は周辺に茶畑があったことに由来し、郷土人形・茶山人形にもその名が使われている。  いかにも“昭和の商店街”といった趣の、歩道の上にしつらえられた申し訳程度の屋根の下を北へ向かう。道はなだらかにのぼり、やがて下りつつ左へと曲がっている。平坦で、直線的な商店街よりもずっと味わい深い。  ところが、ほとんどの店がシャッターを下ろしたままだった。ときおり時代の流れから取り残されたような床屋や小さな商店が明かりをつけているだけで、道行く人の姿もない。  と、下り坂の途中に店を開けている酒屋さんがあった。間口を開け放し、あいた酒樽をテーブルがわりに、店の奥さんとお客さんが談笑している。  店をのぞいた地井さん、「この辺、今日は定休日なんですか?」と奥さんにたずねた。 「いいえ、いつもこうなんですよ。昔は本当ににぎやかだったんですけどねぇ――」  南は晋作通りとして振興に努めている豊前田商店街と交わり、北は長門市場やグリーンモールにつながる茶山通りは、下関駅前の“ショッピング回廊”ともいうべき位置にある。  実際、昭和30年代から40年代にかけてはかなりのにぎわいだったようだが、漁業と造船業の衰退、そして大型商業施設の進出とともに、客足は次第に遠のいていった。  それは、茶山通りの先にある長門市場にしてもおなじだ。昭和の終わりまでは東京・上野のアメ横をしのぐ盛況ぶりだったというが、いまでは鮮魚店や肉屋、衣料品店が数軒開いているだけ。もっとも、旅行者として気ままに散策を楽しむ身にとっては、そのひなびた感じもまた味わいになるのだが。

「日本中の人に 愛されるコリアンStが つくれないかな」

【グリーンモール】

 線路を挟んで長門市場の反対側には、並木と歩道のブロックが美しいグリーンモールがある。このあたりでは唯一活気のある商店街で、いまや珍しい鯨肉を扱う店や、鮮魚店、八百屋などが入る長門プラザ、銘菓「巌流焼」を扱う和菓子屋、素朴なたばこ屋などが軒を連ね、店の人とお客さんとの会話があちこちから聞こえてくる。

「商店街には物じゃなくて、 会話を買いに行くんだよね」

「デパートやスーパーにはなくて、商店街にあるものってわかる? 会話だよ。子どものころはよく買い物に行かされたけど、ものを買いに行くというよりは、会話を買いに行っていたような気がするな」  地井さんはそういいつつ韓国衣料の店やキムチ店をのぞいて、店の人との会話を楽しんでいる。  関釜航路があり、朝鮮半島への玄関口だった下関には、戦後、全国から韓国・朝鮮人が集まってきた。現在の長門市場周辺には闇市が形成され、邦楽座通りと呼ばれていたグリーンモールにも身動きがとれないほど人があふれていたとか。そのため、いまもこの界隈には焼肉店や韓国食材店が多いのだ。 「東京の新大久保界隈にも韓国系の店が集まっているよね。あそこはあと20年か30年すると、横浜の中華街のようにステイタスのある『コリアン・ストリート』になるかもしれない。  それとおなじように、ここにも可能性が開けていると思う。下関の土壌をベースにして韓国・朝鮮系の人たちの力を結集できれば、新大久保とはまた違ったコリアン・ストリートがつくれるんじゃないかな」  近くの焼肉店「赤提灯」で名物「とんちゃん鍋」(下関風ホルモン鍋)をつつきながら地井さんが語ってくれたのは、そんな下関への応援メッセージだった。 「だって、下関にはいいものがたくさんあるじゃない。それを生かせば、茶山通りや長門市場だって、ショッピングセンターに負けないほど魅力的なところになれるよ」  帰り道、グリーンモールと茶山通りの交差点に近い商店の軒先で、福仙寺の石垣に咲いていたのとおなじ紫色の花を見かけた。木化した蔓が歩道にかかるテントの上まではい上がり、鮮やかな花をたくさんつけている。 「これはなんていう花?」

「“食”が元気な街はうれしいね。 なんか本能的にそう感じるよ」

 地井さんがたずねると、店内から顔を出したおばさんが「琉球アサガオだよ」と教えてくれた。 「ちょっと前なら、もっとたくさん花がついていたんだけどね。そのときに見てもらいたかったよ」 「いや、十分きれいだよ。東京じゃ見られないから、いい思い出になったな」  商店街は会話を買うところ、散歩は見知らぬ人や文化と交わる交差点――そんなこだわりを持つ地井さんにとって、この半日の行程はなかなか充実したものだったようだ。 「あれ、あんたテレビに出てる人じゃない?」 「ひでぇな、いまごろ気づいたの?」  下関の人は飾り気がなく、話していて肩がこらない。地井さんとおばさんの笑い声が、夕食の買い出しでにわかにざわめく商店街にひときわ大きく響いた。

(イラスト)琉球アサガオ/絵=地井武男


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ミナトの舌品!昭和的グルメ紀行

撮影=橘野栄二

「河久」のふく刺し ぶっかけ丼(780円)

 天然のマフグがごはんを覆い尽くすように敷き詰められている。この昭和回帰的価格で、しかもスピーディーに出てくる。かき込めば、下関にいることの幸福を実感!店はカモンワーフのすぐそば。本社・工場は南風泊(はえどまり)にあり、関門トンネルの地下排水を利用し水産養殖研究所を開設するなど、日々研究を重ねている。

●河久

下関市唐戸町5-1/TEL:0832-35-4129/10〜18時。火曜休み(祝日の場合は翌日休み)。

(写真)「のれんは私がつくったんですよ」と、にこやかに話す店長の望月美智子さん

「一善食堂」のクジラカツ(2枚入り350円、3枚入り550円)

 遠洋漁業の基地として発展した下関なればこそ、昭和郷愁の味覚といえるクジラカツを手頃に味わえる。大丸デパートから仕入れるクジラは驚くほど食感やわらかく、衣はさっくり。他にポテトサラダなどのおかずが3品付く定食にすれば900円。クジラカツカレーも900円。多彩な惣菜が並ぶ活気ある店で、女性1人でも気兼ねなく入れる雰囲気がいい。場所はホテル・ヴィアイン下関真向かい。

●一善食堂

下関市竹崎町1-15-30/TEL:0832-32-4082/9〜24時。火曜休み。

(写真)おでんの前で、オーナーの田中福美さん


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全国津々浦々2900の銭湯を訪ね歩いた 町田忍の銭湯豊富的港町 下関でザブン!

昭和の特集といえば、銭湯だ。下関は、人しれず凄いぞ(町田先生)
小さな石鹸カタカタ鳴らす、アベックいますか?(生徒)
ここには、「神田川」、流れていないからな(町田先生)
先生! 番台の先に、とてつもなく古いマッサージ器が(生徒)
これは、昭和30年代のもの。よく生きていてくれた(町田先生)
ザブン、東京の銭湯より少しぬるいような(生徒)
東京の銭湯は日本一といっていいくらい熱いんだよ(町田先生)
やはり銭湯といえば、ケロリンの桶ですね(生徒)
オオーッ、伝説の白のケロリン桶が!
ややっ、あれもこれもああでこうで、昭和的魅力が満杯だ!(町田先生)

撮影=橘野栄二

町田忍(まちだ・しのぶ)

昭和25年(1950)、東京生まれ。全国各地、見落とされがちな風俗意匠を研究する庶民文化史研究家。著書は『昭和なつかし図鑑』(講談社文庫)、『懐かしの昭和30年代』(扶桑社)、『納豆大全』(角川文庫)など50冊。現在は庶民文化研究所を設立。

(写真)えびす湯=今浦町5-6
(写真)千歳湯=上新地町4-4-7
(写真)日乃出温泉=大和町1-12-12

僕の触覚がビンビン動き出す 下関銭湯探訪記

文/町田 忍

 全国の銭湯巡りを始めて29年目に入る。外国人の友人を近所の和風宮造り銭湯に案内した時の「銭湯はなぜお寺のような形をしているのか?」という質問に端を発し、それ以降急に銭湯が気になってきた。その時思ったことは、異文化の人の質問は意外と的を射ていることもあるものだ、ということであった。その後全国津々浦々、北海道から沖縄県まで約2900軒ほどの銭湯を訪ねてきた。
 ところで銭湯といえばあの宮造りで浴室正面に巨大な富士山のペンキ絵のある場面が有名である。しかしそれは主に東京を中心とする地域の銭湯の定番様式といえる。
 宮造り銭湯を多く手がけてきた浅草に住む大工の棟梁・飯高作造氏(76歳)によると、大正12年の関東大震災の復興期に、宮大工の技術をもつ棟梁の津村享右氏がその技術を導入して豪華な宮造りの銭湯を建てたという。ちなみにそれ以前の銭湯様式は、質素な町屋造りだった。その豪華さから東京中の評判となった。その結果それ以降建てる東京の銭湯の多くがこの宮造り様式となった、ということが判明した。
 地方にある温泉などの宮造り様式は、仏教が布教のために庶民に入浴の機会を与えた、という意味からのもので、東京のそれとは発祥が異なっている。また浴室の富士山の絵の発祥は、大正元年、東京神田猿楽町にあった「キカイ湯」であることを参考までにつけ加えておく。
 さて本題の下関における銭湯についてであるが、実は私は15年前に下関の銭湯巡りをしていた。当時7軒ほどを訪ねているが、すでにその中の銭湯も3軒が廃業している。中でも新地町の「新富湯」は下関としては規模も大きく木造で風情ある銭湯だが、本年の7月末日に廃業してしまっていたが、建物はそのままの姿で残っていた。
 ところで全国津々浦々の銭湯を巡っていると実にいろいろなことがわかってくる。たとえば番台の高さは東京が一番高く平均1m30cmで湯の温度も一番高いとか、沖縄の銭湯は脱衣場と浴室の境が無くすべてシャワーである等々といったことであるが、その他に重要な特徴として、港町に銭湯が集中して多いということだった。北海道の小樽、函館、東北地方では気仙沼、茨城県の大洗、千葉県の浦安(一ケ所から三本の煙突が見える)、長崎県の茂木(港沿いの道約1kmに4軒あった)、しかし現在に至ってそれらの地区の銭湯は急激にその数を減らしているのが現状である。
 では下関の銭湯事情に目を向けてみると、現在でも13軒が営業している。このことは全国的にみても特異な例といってもよいだろう。ではいったいなぜ港町に銭湯が多く集中しているのであろうか。実はこの疑問に関してはかつて私が長崎の茂木港で「寺下湯」を訪ねた時の女将さん、中本ミキエさん(大正14年生)の話によると、漁師たちにとって銭湯とは、体の汚れを落とすだけではなく、漁師間の情報交換の場でもあったという。仕事の後に銭湯に来て天候のこと、明日の仕事のこと、漁場の情報入手等の場所として重要な役割を果たしていたということである。
 その他私の調査によると、農村から比べると燃料にする薪などの調達が難しい、体に常に潮風が当たり仕事も重労働のため筋肉痛となる、筋肉疲労には熱い湯に入るのがよいとされている等が挙げられる。また、下関は単に漁港ということだけではなく、かつては北前船が出入りし、また貿易港として栄えた、ということも大いに関係していると思う。
 今回はまず、下関漁港に近い「日乃出温泉」を訪ねた。ご主人の吉本太一さん(昭和12年生)によると、かつてこの付近は海で、大正から昭和初期にかけて埋立地となった。銭湯のある場所はかつて小さな島のあったところで、先代は網元で「日乃出丸」という漁船を所有していたことから屋号もそこからつけたという。当初は船員の厚生施設としての入浴場だったが、網元をやめてから一般客向けの銭湯として昭和28年に開業、その後昭和34年に正式に温泉施設となり、平成9年に全面改装をして現在に至っているという。泉質はアルカリ性単純泉。効能は、神経痛、筋肉痛、疲労回復というから漁師さんにとってはうってつけの温泉ということとなる。
 「えびす湯」は前回15年前に訪れている。創業は大正5年で現在の建物は昭和25年頃というので私と同年ということとなる。外観は前回にはなかった女性側入口に目隠しのパネルがある以外はそのままの姿であった。脱衣場も大村崑さんのホーロー看板が同じ場所にあり、当時の姿を留めていたのが印象的だった。他にも、昭和30年代から使用されているマッサージ器などが、銭湯の定番としてしっかりとその役割を果たすべく堂々と置かれているのが嬉しい。
 一方浴室は前回来た時以降に改装され、正面女性側には富士山、男性側には鯉のタイル絵がアクセントとしてひときわ目を引く。カラン(蛇口)の下に桶置きの台がある。これは東日本の銭湯にはなく、主に関西地方の銭湯に多い構造でもある。
 最後に訪れた「千歳湯」は上新地町の幅約1.5mほどの路地に面している。しかし構造は独特で、道路に平行して手前が男湯、奥の女湯は、番台と奥の自宅玄関からも入ることができるというユニークなものである。
 浴室は基本的には前出のえびす湯と似ていた。千歳湯のすぐ前にはお好み焼屋(メニューにはモダン焼きとある)さんがあるが、アルコールは置いていないとのこと。近所の子供相手だろうか。もっともこの付近はかつての色街の建物も一部残っている。何やら私の触覚が大きく動き始めた。どうやら下関は銭湯だけではなく他にも興味深い対象が人知れず潜んでいる魅力的な匂いのする街のようだ!

 つづく…



『銭湯の断片』第1回 観察

文/町田 忍

番台

 番台とはその文字のごとく、番をする台のことである。番台での仕事は浴室の安全確認や、板の間稼ぎ(他人の金品を盗む)の監視や、お客さんとのコミュニケーションという重要な役割もある。私の調査では東京の番台の高さが平均1m30cmと日本一高かった。これは常連客が少なかったのと、浴室が広いために必然的に安全確保のため高くなったと思われる。

浴室の絵

 銭湯というと浴室にある富士山のペンキ絵や鯉のタイル絵などが有名であるが、これも東京型銭湯の特徴といってもよい。したがってその他の地域におけるとくに富士山等のペンキ絵は極めて少なくなる。これはペンキ絵の発祥が大正元年の東京であり、地方にまで広まってはいるものの、現在ではその絵を描く職人も現役では東京に3名のみとなっていることにもよる。

脱衣かご

 脱衣場において、脱いだ服などを入れるかごである。関西型と呼ばれる四角いものと、関東型と呼ばれる丸い型の二種類がある。特に京都に四角いものが集中しており、中には竹で編んだものの側面に氏名を入れているものを使用している銭湯も現存する。最近はロッカーが主流となっているので、これらは姿を消しつつあるのが現状といえる。

男女の向き

 銭湯における男女の向きはいったいどのようにして決められるのか、という質問は実に多い。一説にはおひな様の向きと同じ、という説もあるが、これとて、江戸と明治では異なるので違う。銭湯専門の大工の棟梁にかつて訊ねてみたら、その銭湯の土地の高い方を女性に、またのぞかれやすい方を男性にと総合的に判断して決めるということがわかった。

ケロリン桶

 昭和38年に登場した樹脂製の桶。当初は白色であったが、汚れが目立つところから、すぐに黄色となる。ケロリンの文字は特殊な技法として樹脂の中に浸み込ませてあるので、退色することはない。ケロリンとは、現在でも全国の薬局にて販売されている、富山の薬品メーカー内外薬品(株)により製造されている鎮痛剤の商品名である。現在でも全国に約200万個ほどが出回っているという。

マッサージ器

 昭和30年代に入り、それまで浴室にて、背中を流してマッサージをしてくれていた三助(さんすけ)さんが姿を消すころ、それに代わって脱衣場に、自動マッサージ器が登場した。コイン式の椅子型のもので、脇の丸いハンドルにて上下できるというすぐれものであり、現在でも全国の銭湯脱衣場においての、定番のアイテムとなっている。

下足箱

 銭湯に来てまず利用するのが下足箱である。もっとも常連客の中にはそのまま上がり利用しないこともある。下足箱には鍵がある。木や金属の四角いものだが、これも人気のある番号から使用される。私の子供時代はなんといっても3番、1番だった。昨今は55番とか、サッカー選手の背番号などいろいろある。

のれん

 銭湯ののれんもかつては銭湯の屋号を染め抜いたものが多かったものの、昭和30年代ころより、石鹸や牛乳などのスポンサー名入りのものが使用されるようになってきた。東京のみ長さが約20cmと短いものが多いのは、玄関と脱衣場が独立したスペースのため通りから脱衣場が見えないためで、他の地域は入口を開けるとすぐに脱衣場という構造の多いことから長さが約1m近くという目隠しの目的をもつ長いのれんとなっている。


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庶民文化史研究家の血が騒ぐ 「街角遺産」あれこれ

 15年ぶりの下関、一番変わっていて驚いたのは、かつての大きな三角屋根の駅舎が火災で焼失とは知っていたが、駅正面の妙なモスク風の建物の立つ駅前であった。さて下関の街は一言で言うならば、獲物の潜むジャングル地帯ということになる。ジャングルにはカメレオンのように周囲の色と同化している動物もいれば、擬態という他の物と似た形となっている虫などもいる。何気なく歩いていると気付くことのない興味深い対象が、下関には実に多いのだ。

 それは木造の板にへばりつくセミのようなホーロー看板だったり、まさにカメムシのような電柱のアルミプレートだったりする。したがって自分の目をハンターの目として歩いてみるとよいだろう。カメラがライフル銃ということになる。獲物は空に地面にあらゆる方向に潜んでいるので、ある時はカラスの目、ある時は猫の目となって全方位に神経を集中して歩かねばならない。

 猫の目になるには猫と仲良くせねばならないが、幸運なことに下関には猫と出会うことが多い。

 子供のころに昆虫採集をするべく、虫取り網を持って遊んだ時代のことを思い出して欲しい。私はいまだにそんな気分で街を歩いている。下関の街は路地も多く坂も多い。獲物はかなり豊富といえる。

 今回は1泊のみの街歩きであったが、どうやら下関は、他にもきっとアナコンダ(大蛇)級の獲物がどこかに隠れているのではないだろうか。今、私は頭の中で、次回下関の獲物捕獲のための秘策を考えているところだ。


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しものせき 祭り・イベントカレンダー【2007年12月〜2008年5月】

下関っ子は祭り好き。豊かな歴史を背景に、
市民の熱い心意気がイベントを盛り上げます。
みんな、おいで〜ね!

問合せ=下関市観光振興課 TEL:0832-31-1350
海響館カウントダウン

2007年12月31日(月曜日)午後9時〜 【あるかぽーと】

 新年を水族館のイルカと一緒に迎えましょう。イルカとアシカのショーに加えて、ダンスパフォーマンスや地元FMラジオ局のサテライトブース、ゲストライブなど、年越しにふさわしい華々しいイベントが催されます。



火の山の初日の出

2008年1月1日(火曜日)【みもすそ川町火の山山頂】

 一年の初めは火の山山頂からの初日の出!下関の初日の出は例年7時20分頃です。元旦は午前5時から火の山パークウェイが通行できます。



二見夫婦岩しめなわ張り

2008年1月2日(水曜日) 【豊北町大字北宇賀二見】

 午前7時頃から地元の漁協でしめなわをない始め、午前9時〜10時頃に海水でみそぎを行った若者たち約15人によりしめなわ張りが行われます。寒風の中、若者たちの熱気が観る者を圧倒します。



豊田湖ワカサギ釣り大会

2008年2月3日(日曜日) 【豊田町大字地吉】

 豊田湖県立自然公園内にある豊田湖では、例年12月から翌年3月中旬ごろまでワカサギ釣りを楽しむことができます。最盛期の2月第1日曜日、釣り上げた重量の合計を競う「ワカサギ釣り大会」が催されます。大人の部、子供の部それぞれ上位にはたくさんの賞があります。



馬関名物たこあげ大会

2008年2月3日(日曜日) 【唐戸町】

 亀山八幡宮の節分祭行事の一環として行われます。下関に春を告げる行事として親しまれ、多くの家族連れで賑わいます。たこあげ大会に先立ち、節分前の日曜日には凧作り教室も開かれます。



下関ふくの日まつり

2008年2月11日(月曜日) 【彦島西山町4丁目】

 毎年2月9日の「ふくの日」にふく祈願祭が行われます。例年これに近い11日の建国記念の日には、ふくの取扱量日本一を誇る「南風泊(はえどまり)市場」で、ふく刺しやふく関連製品の即売、近海で獲れた新鮮な魚介類の即売、袋せりによるオークション、大抽選会などが行われる「下関ふくの日まつり」が開かれ、大勢の来場者で賑わいます。特に先着1500名のふく汁の無料提供はいつも長蛇の列です。



シロウオ・青のり祭

2008年3月9日(日曜日) 【豊北町大字粟野】

 シロウオと青のりの名産地として知られる豊北町粟野川で行われます。豊漁を願ってシロウオを放流する神事のほか、シロウオすくい、シロウオの躍り食い、サザエ釣り、ビンゴ大会、青のりの販売などがあり、地域を代表する旬の味覚が楽しめます。



巌流島トレジャーハンティング

2008年3月19日(水曜日)〜9月30日(火曜日)の毎日【彦島】

 武蔵と小次郎による決闘の聖地「巌流島」で宝を探します。唐戸桟橋から直行便で上陸し、帰りの船が来るまでに島内に置かれたヒントを集め、宝の謎を解き明かしましょう。唐戸桟橋関門汽船券売所でトレジャーカードを手に入れ、スタート印を押してもらって宝探しが始まります。



寸劇「馬関・実感・おもしろ館」

2008年4月〜6月の土曜日・日曜日と祝日 1日3回各10分程度【唐戸町】

 義経、武蔵の異種格闘技戦がついに実現!かわら版屋の巧みな話術も必見です。高杉晋作も登場します。



川棚温泉まつり

2008年4月5日(土曜日)・6日(日曜日)

 川棚温泉に伝わる青龍伝説にちなんだ祭りで、餅まきや青龍太鼓の披露、少年相撲などイベント盛りだくさん。祭りで汗をかいた後は、温泉に浸ってリフレッシュできます。



関門海峡周遊バス

2008年4月6日〜9月28日までの日曜日

 運行日前日、関門エリアに宿泊した方を対象に、無料周遊バスを運行します。同乗する観光ガイドの解説を聞きながら、下関・門司港レトロ間の観光スポットや両エリアを結ぶ関門橋、関門トンネルを体験できます。乗車には事前予約が必要です。



菊川桜まつり

2008年4月上旬

 歌野周辺に咲き乱れる歌野千本桜。その桜並木の下で、菊華太鼓の演奏や宝探し、ヤマメのつかみ取りなどのイベントや各種バザーが催されます。イベントの最後は、桜苗木抽選会と餅まきもあります。



唐戸まつり

2008年4月上旬 【唐戸町】

 2006年まで開催されていた唐戸市場まつりに、唐戸商店街の朝市、カモンワーフでのイベントが加わり、唐戸地区が一体となって盛り上がります。下関の台所と呼ばれる唐戸市場では、ふく鍋販売やまぐろ解体実演、抽選会を予定しています。



維新・海峡ウオーク

2008年4月13日(日曜日)

 奇兵隊本陣のあった吉田清水山の東行庵(高杉晋作の墓所)を集合地点として、維新の史跡をめぐりながら南下、JR下関駅までの30km(門司港レトロコースは28km)を踏破するウォークラリー形式のイベントです。少しハードですが、充実感は抜群です。



菊川観光イチゴ狩り

2008年4月下旬〜5月上旬 【菊川町内一円】

 春の味覚を代表する甘くておいしいイチゴ。菊川町では毎年、観光イチゴ狩りを行い、たくさんの家族連れやグループが訪れています。立ったままイチゴをもぎ取ることができるので好評です。



長正司公園大藤棚

2008年4月下旬〜5月上旬 【豊田町大字殿敷】

 霊峰華山(げざん)を仰ぎ、木屋川を中心に開けた豊田盆地を眼下に見渡せる公園。樹齢120年を数え、縦15m、横30mの県下一を誇る大藤棚は5月上旬に満開を迎えます。



火の山のつつじ

2008年4月下旬〜5月上旬 【みもすそ川町】

 下関市内では、ゴールデンウィーク時期になると各地でつつじが咲き乱れます。中でも「火の山公園」は、およそ3万本のつつじが植えられており、関門地区有数のつつじの名所となっています。



しものせき海峡まつり

2008年5月3日(土曜日)【関門海峡沿岸一帯】

 しものせき海峡まつりは、関門海峡を舞台に繰り広げられた史実を基にした、歴史情緒豊かな祭りです。源平壇之浦の合戦で滅びた平家一門をしのぶ豪華絢爛な「先帝祭」をはじめ、源平両軍の紅白の幟をたなびかせた80隻あまりの船による海上パレード「源平船合戦」、勇壮な「武者行列」など、源平にまつわる様々なイベントが行われます。



(写真)豊田湖ワカサギ釣り大会
(写真)下関ふくの日まつり
(写真)維新・海峡ウォーク
(写真)菊川観光イチゴ狩り
(写真)しものせき海峡まつり


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メーキング版 リリーさんの周辺と連夜の奇跡

文=福田 章

その夜、リリー・フランキーさんは豊前田町の「Bar CD」に、なかなか現われなかった。ご本人より先に、地元の美術専門学校の生徒らがカウンターを陣取っていた。これが噂に聞く、リリーさん登場前のときめきと興奮だろう。

 扉があくたびに、スワご入来か! と飛び上がる。飛び上がるたびに当てがはずれ、腰が抜けて、いつしか自分が道化じみてくる。そして、諦める。リリーさんは今夜、ここへは来ないのだと。いやひょっとして、この世にリリー・フランキーなどという人物はいないのだ。そんな妄念さえ湧いてくる。

 そこまで想像を追い込んだ時、何かが動く。ほら、リリーさんだ。「リリー・フランキーは居ても居なくてもゴーストである」みたいな雰囲気を漂わせて入ってきた。だけどゴーストの周りにこれだけの人間が集まるだろうか?

 これは妙な言い方だが、筋金入りの幽霊(失礼!)である。低い声、人に悟らせない気遣い、ある場所に落ち着けば微動しかしない肉体の思想。この人はいつも、心的エネルギーをフル稼働させつつ呼吸しているのにちがいない。「リリーさん、わたし10年前……」と女性ファンが近づけば、「10年前、やりましたっけ?」と話は急下降。踏み板をはずされた人々は、星空へ舞いあがるほかない。

 次の夜へ飛ぼう。北九州市小倉生まれで筑豊育ちのリリーさん、もともと対岸の兄弟という親愛があったのか、一日歩いた下関という街をとても気に入ったようだった。

 フィニッシュに選んだ赤間町のおでん専門店「いちば」。人気沸騰アニメ『おでんくん』の作者がおでん屋さんにいるという巡り合わせを、神様も祝福したようだ。濃い口の関東風のおでんが、売れに売れた。『東京タワー』なみに売れた。

 その『東京タワー』を各自用意していた周りのお客さんから、サイン攻め。そのどれ一つにも同じものでないイラストを描き添える神々しいまでのサービス精神を、幸福にも私は右隣り席で目撃し続けることができた。どさくさに紛れて、私もお願いしようではないか。

 本は夕方、リリーさんが金子みすゞの詩集を自分用のみやげに買った「本の中野」で入手しておいた『おでんくん だいずかん』(小学館)。ところがこの本、入店直後の「いちば」の鍋ん中同様、全84キャラがぎっしりで、サインの隙間がない。そこで一計、めくる部分の端と端をしっかり押えて、“天井”に〈Lily Franky〉、“玄関”に〈絵2007.10.16〉と書いていただいた。

 私が本を押え、リリーさんは書いておられた数秒の時間、二人の間に何ものかが通いあったのだとすれば、それはやはり、海峡のまち下関が起こした奇跡なのだと、あの夜を思い返している。


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次号予告(2008年3月31日発行予定)「橋」づくし

逆巻く水の上、ひたひたと満ちてくる潮の上
涙した橋、胸を張って歩いた橋・・・・・・
そんなドラマをのせた人生の架け橋を渡る

アンケート

『083』は今これを手に取られたあなたのための情報誌です。つねに深い眼差しを心がけて、皆さまの役に立つ情報を、ワンテーマ方式で下関市から発信してまいります。創刊号についてのご感想、及び今後特集してほしいテーマやとっておきのお知らせなどを、綴じ込みハガキでお寄せください。

(写真)関門橋



編集後記

 プロの編集者の方々に来関いただき、初めての編集会議を開いたのが7月。その席で「市として、できる限りたくさん下関の情報を提供します!」と意気込んだのを思い出します。確かに情報は提供できたかもしれません。でも、リリーさん、地井さん、町田さんは、その情報から感じたことを「オリジナルの色」で表現してくださいました。取材に同行する中、感じることの楽しさを教えてくださったスタッフの方々、協力していただいた市民の皆さまに感謝します。083は、下関をガツンと、またじんわりと主張してくれるはずです。(Y)

 地井さん、町田さん、それに取材スタッフや市の担当者10人ほどの中で、一番走ったのは地井さんです。地井さんが一番年配です。「あっちの風景、ドラマのロケにいいね、向こうから歩いてくるから撮ってよ」と地井さんは、上り坂を走りだします。「あっ、そんなに向こうまでいかなくても大丈夫です」とカメラマン。二番目の年配が町田さん。猛暑の取材日、町田さんの早歩きには、みんなついていけず、先頭集団から遅れたマラソンランナーのように、取材スタッフが、必死に続きます。「そうか、年を重ねれば、あんなに元気になれるのか、よし、なるぞ」と前向きに思いはじめられるほど、おふたりから、力をいただきました。(U)

 5月以来、本誌創刊に向けて、何度も関門海峡を渡らせていただきました。その時の気分でいろいろな交通手段を使いました。それにつけて思うのは、下関市の絶妙なるロケーションです。旅情や郷愁とは、この街のためにある言葉ではないか。九州の島育ちで、今は高原の町に住んでいる私が、再び海に回帰するとすれば、下関を選びそうです。風情と活気のある居酒屋が点在しているのも気に入りました。今後、本誌を編集制作しながら、街の過去を拾い、未来を探っていきたいと思います。(F)



083の謎

本誌名はご想像のとおり、2008年3月から変わる下関市の市外局番に由来しています。しかし、下関市は3個の数字だけで示せるほどモノトーンな街ではありません。だから「うみ やま たいよう」というサブタイトルが、おのずと生まれました。05年2月の旧下関市と旧豊浦郡4町との合併により、新生・下関市は港町代表的なイメージに加えて、豊かな山里も合体したのです。海あり山ありならば、それを照らし出してくれる太陽の本格的な出番! 本州西端、「うみ やま たいよう」をめぐるドラマの主人公は読者の皆さんです。

『083(ゼロハチサン)』創刊号  うみ やま たいよう

2007年11月30日発行
編集人=福田章 編集委員=内田宗治 表紙イラスト=リリー・フランキー 装丁=リリー・フランキー
デザイン=工藤亜矢子 伊藤悠(オムデザイン) イラスト=稲葉智美(マウス)
発行=下関市 〒750-8521 山口県下関市南部町1番1号 TEL:0832-31-2951(総合政策部広報広聴課)
制作統括=(株)電通九州 印刷=凸版印刷(株) 協力=下関市の皆さま
アドバイザー/下関フィルム・コミッション 常任委員長 冨永洋一  九州芸術学館山口校 代表 伊東丈年

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