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表紙イメージ
『083(ゼロハチサン)』
うみ やま たいよう
Vol.5
2009年8月31日
下関市発行
表紙イラスト
アジサカコウジ
とても大きな
大きなお風呂。
湯槽(ユブネ)は白砂、
天井は青空、
誰がはいろと
お湯錢は要らぬ。

 ─金子みすゞ
   「大きなお風呂」より
▼テキスト版目次
 
テキスト版へ 2 特集 温泉ハイク
テキスト版へ 4 五感の天使・黛まどか
下関で17音の宇宙の旅
俳句と文= 黛まどか 撮影=橘野栄二
テキスト版へ 14 リンボウ先生 防長の野道を行けば。
文と俳句=林 望 撮影=大野金繁
テキスト版へ 22 カメラルポ 川棚温泉をこよなく愛した
漂泊俳人・種田山頭火の夢を追って
撮影=吉岡功治
テキスト版へ 26 HOTに楽しむ俳句入門/下関温泉ハイク絵図
文=福田章 地図=横川功
テキスト版へ 30 吟行ハイクで楽しみたい ふるさとの味
「道の駅 蛍街道西ノ市『万作』」のふるさとバイキング/
「歌野清流庵」のそば
テキスト版へ 32 町田忍の下関レトロ徘徊記
「特牛・二見〜スローな漁村の迷い方」
テキスト版へ 37 ツツウラウラ発 おたより劇場
テキスト版へ 38 物語のある居酒屋 〜三軒目「きんかん」
文・撮影=大野金繁
テキスト版へ 40 リンボウ寸言 アンケート 次号予告 『下関花日和り-hanabiyori-』



特集 温泉ハイク

秋から冬、心と体がやさしい温泉を求める季節。下関にはさまざまなタイプの温泉があり、
海山のほのぼのとした風景につつまれて歩くうち、ふとポエジーがわいてきます。
ポエジーを気軽に5・7・5に落とし込んでみると、温泉情緒がさらに深まっていくのです。
当代人気の俳人・黛まどかさん、文芸百般に通じた作家・林望さんが、
下関の温泉を巡り歩いて、その魅力を俳句とエッセーで表現してくれました。
おや、湯気の向こうから自由律俳人・種田山頭火のつぶやきも聞こえてきたようなー。

(写真)一の俣温泉
(写真)下関つくの温泉(ホテル西長門リゾート)
(写真)川棚温泉(川棚グランドホテル)
(写真)下関で吟行する俳人・黛まどかさん


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五感の天使・黛まどか、下関で17音の宇宙の旅

俳句と文=黛まどか
撮影=橘野栄二

旅する佳人、恋する俳人の黛まどかさんが、下関を歩いた。
伝統を踏まえつつ独自の感覚で詠む十七音は、つねに斬新。
その先の俳句へ、という祈りにも似た俳句的人生が凝縮されている。
旅する女流俳人の草分けのような田上菊舎(下関出身)の足跡にふれ、
絶景の海浜温泉で憩って生まれた、旅と出会いといで湯の名句五句。
余白のそのまた余白まで、たっぷり鑑賞してください。

黛まどか(まゆずみ・まどか)

1962年、神奈川県生まれ。俳人。94年、「B面の夏」50句で第40 回角川俳句賞奨励賞受賞。99年、北スペイン・サンティアゴ巡礼道約900キロを徒歩で踏破したのに続き、2001年〜02年、四季にわたり5回訪韓し、釜山からソウルまでの道のり約500キロを徒歩で踏破。02年、『京都の恋』にて第2回山本健吉文学賞受賞。05年より「日本再発見塾」呼びかけ人代表。主な著書に、句集『B面の夏』(角川書店)、『京都の恋』(PHP研究所)、紀行集『ら・ら・ら「奥の細道」』『星の旅人』(以上、光文社)、対談集『17音の交響曲』(東京書籍)他多数。近刊に『あなたへの一句』(バジリコ)、『俳句脳』(角川書店)。携帯メルマガ「週刊まどか歳時記」を毎週日曜朝10 時に無料配信中。 黛まどか公式ホームページ http://madoka575.co.jp
女流俳人の先達、田上菊舎に魅かれて

 山口宇部空港からの高速道路上で左右を見渡すと、山は鷹揚に笑っていました。道の駅「蛍街道西ノ市」へ直行して、バイキングのお昼。湯河原の自宅を出たのが早く、朝食をきちんととっていなかったこともあり、地産地消のゆたかなお惣菜がおいしく、五感が目覚めていくのがわかります。
 これから向かう田耕(たすき)は、江戸期の女流俳人田上菊舎尼(一七五三〜一八二六)のふるさとです。十六歳で田耕村中河内の村田利之助に嫁ぎましたが、二十四歳で死別し、長府に移住していた実家に復籍しました。その後、二十九歳で浄土真宗の女僧となり、俳諧の旅に出たのです。あの時代に一人旅でした。
 私も旅の多い暮らしをしています。かつて徒歩でスペインのサンティアゴ巡礼道を約九百キロ、韓国の釜山からソウルまでを約五百キロ歩いたことがあります。不思議なのはサンティアゴの道を歩いているときでも、私の頭によぎったのは松尾芭蕉(一六四四〜九四)の『奥の細道』の旅でした。足にまめをつくり、荷物を肩に食い込ませながら、歩き続ける旅の中、ピレネーの峠をやっとの思いで越えたときに、道ばたに咲いていたすみれ草。
 芭蕉に〈山路きて何やらゆかしすみれ草〉という句がありますが、その意味を初めて本当に理解できた気がしたものです。三百年前の日本の俳人と、異国スペインで、思いがつながった。それは時間も空間も違っていても、互いに俳句という器の十七音の宇宙を経巡っていればこその普遍性なのかもしれません。そんなつながりを、菊舎尼の導きによって、今日もどこかで発見できそうです。
 ちょっとした街並みに入り、ふと左手を見ると、石の太鼓橋とその向こうに山門がありました。田耕の妙久寺です。ここが菊舎の庵号「一字庵」の十一世で「菊舎顕彰会」会長でいらっしゃる岡昌子さんのお住まいです。岡さんはとても快活な方。それなら私も引けをとらず、お座敷に通されるか通されないかのうちに、旧知どうしのように、おしゃべりを始めていました。
 「菊舎は美濃派の朝暮園傘狂の門に入り、まず、越前〜越後〜奥羽と、『奥の細道』とは逆コースをたどる大行脚に出ました。その後も長崎や阿蘇など九州各地、京都・奈良・大坂、中山道から木曽路などを巡歴。まさに生涯を旅に暮らした俳人、いや文人です。というのも……」
 和歌・漢詩・書画・弾琴・茶道など、菊舎尼はあらゆる芸に通じていたのです。今、目の前にある床の間にも菊舎直筆の掛け軸が掛かっています。それにしても、岡さんは菊舎の生き字引きのよう。一字庵十一世を名乗るのも運命だったようです。
 その場に顕彰会会員で香道師範の吉村ひとみさんもおられ、「岡会長がたとえば東京へ行かれるとき、『江戸へのぼってくる』と真顔で言うんです。それくらい、菊舎にのめり込んでいらっしゃいます」とのこと。わかります。江戸時代の封建社会にあっても「風雅に老若男女貴賎都鄙の差別なし」という俳諧の道を、「信」の一字で生き抜いた菊舎の心に通じているのでしょう。

(写真)田耕農林漁家婦人活動促進センター前にある「一字庵菊舎碑」。
(写真)妙久寺で「菊舎顕彰会」会長の岡昌子さん(左)と歓談する黛さん。
(写真)自作の句〈花がちり衣がえする桜かな〉を発表する4年生の岡田萌香さん。
(写真)黛さんの直接指導で大張り切りの下関市立田耕小学校の児童たち。

小学生の俳句名人たちと面会

 菊舎の遺志がそこかしこに刻まれている田耕は、小学校でも俳句づくりが盛んなようです。岡さんに連れられ、田耕小学校を訪ねると、グランドの一角、菊舎句碑〈故郷や名もおもひだす草の花〉の前に、全校児童三十四人が集合していました。手に手に短冊を持っています。青空の下で、自作俳句の即席発表会となりました。校舎に入ると、玄関にも廊下の壁にも俳句がいっぱい。毎月、児童たちが投句した俳句を、学年ごとに内田恒生校長先生が選ぶというやり方が確立しているようです。
 俳句を生きるためには、日頃から自分の中の俳句の畑を耕し続けなければなりません。その点、田耕小の子どもたちはスタートが早く、環境にも恵まれています。地名までも「田耕」とぴったり。二〇一一年度から全国の小学校で短詩型の授業が強化されるのですが、田耕小は先駆的で頼もしく思いました。ただ、さっきグランドで、ある女の子に「菊舎好き?」って聞くと、「ビミョー…」という答えが返ってきたのは、おかしかった。
 そのことを、今日の宿までの車中で、同行の編集者Fさんに話すと、「そういう裏話の方が面白いですよ」と急に乗り気になり、「菊舎醜婦説」を持ち出してきました。
 「なぜですか?」
 「長い一人旅で、ちっとも言い寄られた形跡がないからです」
 ちょっとひどい話ですが、真偽のほどは後日、岡会長に教えていただこうと思っています。「まあ、それはいいとして」と、Fさんは自分が言いだした話を自分で引き取り、今夜のホテル西長門リゾートの楽しみ方について、ひとくさり。「そのためには、浴衣姿をご披露いただければ」という結論はよくわかりませんでしたが、確かに海のすぐそばに建つ、リラックスできそうなホテルでした。

(写真)田耕小では校内の至るところに児童作の俳句を掲示している。「みんな、なかなか上手。将来楽しみですね」

海辺の温泉リゾートにて

 到着後、海を眺めながら風に吹かれたこと、海を見渡す開放的な露天風呂、浴後のオイルマッサージ、フグなど海の幸たっぷりの夕食に誰かが持ち込んだイノシシ肉が紛れ込んでいたこと、もうひとがんばり出かけた妙久寺での「田耕俳句会」の熱気、ホテルへもどってさらにもうひとがんばりのぞいてみた「ミュージックホール」の大学の階段教室のような構造とまぶしいライト。わずか数時間、目くるめくうちに過ぎた出来事は夢に似た現実。下関の海辺の温泉宿にまつわる濃縮した時間でした。
 だからでしょう。一夜明けると、昨日のことを中空のどこかに置いてきたような雨が降っています。
 「遣らずの雨? 昨日、下関へ来られて、今日の夕方にはもう機上の人になっている黛さんに、まだ居てほしいという……」
 ホテルの玄関で、Fさんが珍しく、しおらしいことを言いました。「遣らずの雨」は、私の好きな日本語のひとつです。こういう詩情を、降りだした雨に投影することで、冷たい雨、肩を濡らす雨が、にわかに別な情趣を帯びて、五感に訴えてきます。ただしFさん、そのあとがいけませんでした。
 もう一カ所いい温泉がある、と案内された大河内温泉の「美人湯」として知られる平田旅館で、「朝湯は遠慮します」と私が言うと、売店で「美人湯みすと」というのを購入し、私の顔に向けてシューッ。「すみません、やらせの霧でした」と。
 けれど、フッ素ラドン泉「美肌の湯」百パーセントというそのスプレーが意外に気持ちよかったのと、旅館の軒先でさりげなく野菜を無人販売していた光景は、なかなかいいものでした。
 東行庵に着きました。維新の志士高杉晋作(一八三六〜六七)とその愛人おうの(一八四三〜一九〇九)が眠っているところです。ここには二人の恋が、今も冷めずに、木々のひと枝ひと枝に、花の一輪一輪に宿っているように、私には思えます。

(写真)山本洗脂さん(右端)を指導者として開かれている田耕俳句会を訪問。この日は恒富靖子さん作〈母一人逝かせてからの山桜〉の評価が高かった。
(写真)入浴前のひととき、ホテル西長門リゾートのロビーでくつろぐ黛さん。旅情の渚に5・7・5 の波が寄せてくるのを待っているのかもしれない。

命が命に恋をして俳句が誕生

 私は恋の俳句もよく詠みますが、ある意味ですべての俳句は自然への挨拶、自然との交歓です。命が命を恋う、そこはかとない恋愛感情の表現形式が俳句なのです。たった十七音に託されていますが、背景には無限の余白があります。詠む人の人生の長さを刻み、広い宇宙を一点に集約できたとき、名句が生まれます。
 最後は長府へ向かい、徳応寺で田上菊舎の墓所にお参りしました。続いて晋作が挙兵した功山寺の石段をのぼれば、山門の手前左に菊舎の句碑〈鐘氷る夜や父母のおもはるゝ〉。私もふと、昨日の朝も会っていた両親のことを、瞼に浮かべました。
 帰京の機内。私の髪は抹香臭かったかもしれません。耳の底に、木魚の響きも残っていました。実は、たまたま訪ねた東行庵でその日、晋作の命日「東行忌」が催されていたのです。偶然? いいえ、俳句の宇宙を遊泳している人間には、よくあることです。十七音の宇宙が、私にさまざまな出会いや偶然をもたらしてくれます。
 ウルトレイヤ!(もっと遠くへ)。これはサンティアゴ巡礼の間、いつも仲間たちと歌った歌の題名です。巡礼者の間で何百年と歌い継がれています。今回、下関をいろいろと回ってみて、ますます、果てしない宇宙をいつまでもどこまでも歩いていこうと思いました。このぶんじゃ当面、人生も独り旅が続くかしら?

(写真)大河内温泉・平田旅館の前で野菜の無人販売に目を止めた。
(写真)長府・徳応寺で田上菊舎のお墓参り。
(写真)長府・功山寺山門前。

旅立ちも旅の終わりも竹の秋
鳥雲に潤みてともる岬の灯
ねずみ島鳩島浮かべ明け易し
落人の村とも春の落葉焚き
囀(さえずり)を聴くかに墓の傾ける


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防長の野道を行けば。 還暦の漂浪俳人デビュー

文と俳句=林 望 撮影=大野金繁

古典通の国文学者らしく話題万葉。歩く文芸知識ともいえる作家、リンボウ先生。
何を書いてもあふれいずるマルチな詩才は、ごくごく自然に俳句精神と結びつく。
ダンディに野道をたどり、湯の里をめぐったあげく、俳号「浮世坊」の実力を示す秀句が並んだ。
初夏の下関で期せずして、還暦の俳人デビューを飾ったのである。

林 望(はやし・のぞむ)

1949年、東京生まれ。作家・書誌学者・国文学者・詩人。慶應義塾大学大学院博士課程修了。ケンブリッジ大学客員教授、東京藝術大学助教授等を歴任。日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した『イギリスはおいしい』など、紀行文学作品多数。近著に『文章の品格』(朝日出版社)、『旬菜膳語』(岩波書店)、『能よ古典よ!』(檜書店)、『かくもみごとな日本人』(光文社)、『リンボウ先生のうふふ枕草子』(祥伝社)、『教養脳を磨く!』(茂木健一郎氏と共著、NTT出版)など。古俳諧を師として密かに俳句を詠み続けること30余年、遠からず句集『しのびね集』刊行予定。

(写真)一の俣温泉グランドホテルの桶風呂(貸切専用)で吟行の疲れをいやすリンボウ先生。

湧き立てる緑の雲か山若葉

 防長の野は穏やかで、その里や山の懐しい相貌を、よくよく味わいつくしたいものである。
 とりわけて、花も散り、美しい照葉樹林に覆われた里山が若葉を芽吹かせる時、瑞々しい若緑が全山を覆って、もくもくと生命力を漲らせるありさまは、その豊かな色彩、その圧倒する力感、そんじょうそこらの花の景色など比較にならないくらい、心の深いところにグサリと突き刺さってくる愛(かな)しさがある。まるで地底から噴出してくる湧水か、立ち上がる入道雲のように圧倒的な力で、木々の生命力が山全体を突き動かしているようだ。
 こういう里山の照葉樹林は、太古以来変らぬ景色で、万葉人の目にも親しかったに違いない。かかる豊かな景色が、多くの人の目にも留まらず、平然と破壊されていくのを見ると、心がズキリと痛む。これをひとたび破却してしまえば、二度と取り戻せない。そこに息づいている千万(ちよろず)の生き物達も、住み家を失って、やがて生きるを止(や)めるであろう。それは、海のようにも山のようにも悲しいことではないか。
 樟(くす)や椎(しい)の若葉に覆われた山々を目睹(もくと)しながら、そんなことを、思い思いしつつ、この野をと行きこう行きして、さしも永き春夏(しゅんか)の交(こう)の日も過ぎていく。
 日本の里々を巡歴していると、いつも気づくことは、そちこちに地元の人しか行かないような、かそけき温泉が野中に蔵(かく)されてあることである。
 かくて行く行く、木屋川の支流、中の川の片ほとりなる日野温泉に逢着(ほうちゃく)する。まるでそこらの仕舞(しも)うた家(や)かと疑われるような、さりげない佇まいの一軒家である。
 ちょうど、数人のおばあちゃんたちが湯上がりのお喋りに興じているところであった。この、足の地に着いた空気、これが本当の温泉というものかもしれぬ。もう家のことは倅どもに譲って、のんびりと日々を送っているらしいおばあちゃんたちは、毎日のように弁当持ちで湯浴(ゆあ)みにくるらしい。

弁当と湯と茶話(ちゃばなし)の日永かな

 こういう余生も悪くないなあ、と、なんとなく思ってみる。しかし、どうも自分にはこんな日々はやって来ないようにも思われる。
 温泉を出ると目の前に紫雲英(げんげ)の咲き満ちる田が広がっていた。美しき田園。私は、ただこの風景を見たさにわざわざ旅に出ることさえある。
 田のなかに動くものがある。

げんげ田を小蛇はたどりたどり行く

 ここもまた数多(あまた)の生き物たちの命の庭なのであった。
 翌日は、良く晴れて暑くなった。
 川筋を変えて、粟野川のほとり、広々とした田に沿うて行くと、これまた何気ない小祠が道の辻に建っている。中に、ふたりのお地蔵さんが立っておわす。右のお地蔵さんの台座に刻まれた文字を辛うじて判読してみると、どうやら天保元年九月に九十六歳という長寿を全うして死んだ元春という人の供養のために建てられたらしい。どういう人であったろうか、お地蔵さんは飄々とした面持ちで、何も語らない。
 もう一つの小さなお地蔵さんはいつのものとも知れないが、もう顔も姿もすっかりすり減って丸坊主のようになっている。そこへ後から筆で顔を描いてあるのだが、これがほのぼのとした良いお顔をしている。
 よくよく見てみると、どうやら右手には赤子を抱き、左手には飯椀を持っておいでのようだ。さては、小さな子どもを亡くした親が、涙を拭って建立したものかもしれない。頸に珊瑚珠(さんごじゅ)の数珠(じゅず)が掛けてあるのも、なにやら奥ゆかしく思われた。

うらら野に子を抱きおはす地蔵どの

 そこからは一の俣川に沿って北上する。何の当てがあるわけでもない。この川は、蛍の川だ。川床には瑞々しい碧緑の草々が、陽光燦爛(さんらん)たるせせらぎに根を張って、葉末(はずえ)に水滴が輝いていた。白く簇(むらが)り咲くのは芹である。

川芹(かわぜり)の花咲く時に逢へりけり
すかんぽも穂に出(い)で初(そ)めて紅(べに)淡し

 それにしても、人気(ひとけ)がない。そこなる寺の門を敲(たた)いても、誰も出てくる気配がない。そうして、若葉の山に、ただただ山鴬が鳴きとよみ、咲き残った桜の花が、風のまにまに思い出のごとく散っていた。
 道の隈(くま)まで行って見ようと、なお行(ゆ)いて、奥阿(おくあ)の里に至る。道の辺(べ)に一面に椿が落ちて、草の道を紅(くれない)に染めていた。

落ち椿これより奥は草の道
山墓(やまはか)は花見てけふも暮れぬべし
崩れ家の棟に鳶尾(いちはつ)の三つ五つ

 きっと過疎の村なのであろう。それでも、里は清潔に保たれて小桃源郷とでも言いたいような趣があった。
 道の辺の、古い古い農家の庭で、その家の刀自(とじ)にこの集落の名を聞いたら「奥阿」というのだと教えてくれた。嫁に来て、もう六十年、それでもこの家は、姑から聞いたところでは、ハァ三百年も経つと聞いたでねえ、と刀自は恥ずかしそうにした。江戸時代の前期、まだ井原西鶴などが生きていた時代の農家が、なんでもないことのように建っている村。ああ、こんなところがまだあるんだなあと、しばらく感慨に耽る。
 そこから、取って返して、また長閑な野を西(にし)し東(ひがし)しするうちに、下関市と美祢(みね)市の境界中之岳という村に至る。かんかん照りの眩しい午後になっ ていた。
 よく日焼けした逞しい老人が畑仕事をしている。その畑を見おろすお地蔵さんと庚申塚(こうしんづか)。これも懐しい景色だ。いったいここは美祢市ですか下関市ですか、と下らぬことを尋ねたら、破顔一笑して、ちょうどその道が境界線だと教えてくれた。その境界線にまたがる、この在の肝煎(きもいり)らしい家の主で、池田俊廣さんというのだった。
 このあたりには鹿や猪がちょくちょく出て畑を荒すという。さてこそ、ここへ来る道の途中に、たくさんの男達が鉄砲をもって集っていたのだ。聞けば池田さんも、鉄砲撃ちで、毎年五十頭は狩るという。で、その鹿や猪は、獲ったら食べるのでしょうねえ、と当たり前のことを聞いたら、もちろんさ、うまいからねえ、天然ものは、と笑う。やがて辞去しようとすると、池田さんは、自分で狩った猪の肉をたくさんに下さった。その夜、私たちは、正真の天然猪の生姜焼きに舌鼓を打った。

しし撃つと若葉の山に犇(ひし)めけり

 やがて海に出た。海は油凪(あぶらなぎ)というのであろう。とろりと静かに潮を湛えている。その海を指呼(しこ)する至近に山陰本線は単線の鉄路を延(は)えている。
 「宇賀本郷(うかほんごう)」という無人駅に至った。この駅には、いったい一日に何本の汽車が止まるのであろうか。ここにもまったく人気がなかった。

路床(ろしゃう)錆びて海見る駅に躑躅(つつじ)燃ゆ

 海に沿って南下し、やがて関門海峡に出た。対岸に建物の蝟集する海峡の景色は、昔訪ねたイスタンブールを彷彿とさせて、どこか懐しい。人や物や、歴史の往来する海峡。盛り上がるようにうねりながら急な海流は大橋の下を流れてゆく。
 旅の終り。私は大きく深呼吸をした。

この瀬戸に知盛(とももり)出でよ春の渦

(写真)入浴後、夕食時間まで一の俣温泉付近を散歩。意外とこんな時に俳句がひらめくこともある。
(写真)日野温泉「憩いの家」には常連さんたちの笑顔がいっぱい。
(写真)一の俣温泉大衆浴場の休憩所
(写真)「下関市と美祢市の境はちょうど我が家の真ん中」と話す池田俊廣さん(左)と。
(写真)大きな椎の木のそばで下校中の下関市立楢崎小学校の児童たちと会った。


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川棚温泉をこよなく愛した漂泊俳人の夢を追って
求道派写真家・吉岡功治の山頭火 再発見記

取材=相葉陽子 構成・文=編集部

種田山頭火(1882〜1940)略伝

 俳人。山口県佐波郡西佐波令村(現防府市)出身。本名正一。大地主の長男として生まれたが、少年期に母が自殺した。大正3年(1914)から荻原井泉水の俳誌『層雲』に俳句を発表。生家破産ののち同14年、熊本で出家。その後、九州・中国・四国などを托鉢して歩いた。川棚を出たあと小郡に其中庵(ごちゅうあん)、山口市湯田に風来居(ふうらいきょ)を結ぶも、さらに遍歴。最後は松山市の一草庵(いっそうあん)で、念願の「ころり往生」を遂げた。当時から俳句界の主流だった有季定型に寄らず、己の生き方に通じる自由律俳句を徹底追究し、また自由律に殉じた人生だった。句集『草木塔』、日記紀行集『愚を守る』『あの山越えて』など。なお上の写真を撮影した近木圭之介氏は30歳年長の山頭火と親交を結んだ俳人だったが、2009年3月9日、97歳で逝去された。

(写真)1933年6月5日、長府三島町入り口付近の路上に立つ種田山頭火(撮影=俳人・近木圭之介氏)

花いばら、ここの土とならうよ

旅愁きわまる夕刻、国清山展望公園より川棚温泉から響灘までを
望む。道の両側にお地蔵さんが並ぶ山頭火山裾丘陵街道を通って、
ここへ至る。海山の美しい自然を掌中におさめられる絶景地だ。
ここに立てば、〈夕焼うつくしい旅路もをはり〉も胸にぐっと響く。
沖のなだらかな三角形の島は厚島(孤留島)。

 室町時代から庶民の湯治場として栄えた川棚温泉。昭和7年(1932)5月24日、そこへ襤褸(らんる)のごとき僧衣に身をつつんだ男が舞い込んだ。漂泊の俳人、種田山頭火である。
 各地を放浪してきた旅の目利きが、この町に一目惚れした。ここで数日病臥したこともあり、50歳の年齢もかえりみてか、俳人は生涯の庵を結びたいと願った。「花いばら、ここの土とならうよ」は、当時の心境である。しかし、寺総代の猛反対にあう。よるべなき貧しい旅僧を受け止める友は、ここにはいなかった。「けふはおわかれの糸瓜がぶらり」の句を残し、同年8月26日、川棚の地を去らなければならなかった。
 今、川棚の街を歩くと、辻に湯明神や石仏が祀られるなど、ほのぼのとした昔ながらの趣が感じられる。山頭火が見たままの風景があるいは残り、あるいは建て替わりつつ、後ろ姿がしぐれて消えた俳人を愛惜し、祈念する人々がいる。
「やはり川棚には、何かが漂っている。いる! それをカメラに納めたい」
 これは漂泊俳人の生きざまに魅了され、自らもかつて出羽三山(山形県)や大峰山(奈良・和歌山県)で5年間、山岳修行した経験をもつ求道派写真家、吉岡功治が15年ぶりに川棚温泉を訪れて、カメラで捉えた山頭火再発見記である。

吉岡功治(よしおか・こうじ)

1950年、熊本県生まれ。東京綜合写真専門学校芸術学科卒業。「天台宗修験道大先達」の資格をもつ異色の写真家。1992年、写真集『光の記憶・筑豊』(IPC)で日本写真協会新人賞受賞。『山界曼陀羅』(新潮社)、『山頭火と歩く』(村上護氏と共著、同)、『秩父遍歴』(埼玉新聞社)、『遍路の風景』(共著、四国4 新聞社合同出版)、『生命の森 菊池渓谷』『くまもと人の顔』(以上、創造舎)など写真集多数。「山頭火の魅力は、自己への執着と俳人として生き続ける苦悩を背負いながらも、無邪気で透明感のある心の持ち主であること」と語る。現在、球磨地方の川辺川撮影に取り組んでいる。日本写真協会会員。
大楠の枝から枝へ青あらし

天然記念物のクスの森。樹齢約1000年、幹周り約11m、高さ約25m。1本で森の様相を呈する。さしもの自由律男も素材に圧倒されて、この句は「定型化」してしまったか? 温泉街から車で約10分。

もう山門は開けてある

山頭火がその寺領を借りたいと切願した龍福山妙青寺の山門。〈花いばら〜〉の句とつながる〈ここの土とならうお寺のふくろう〉も詠んだ。応永23年(1416)、大内持盛が建立。雪舟庭や梅園がある。境内に建つ句碑は〈涌いてあふれる中にねている〉。

のぼりつくして石ほとけ

川棚温泉の守護神青龍を祀る松尾神社の参道におわす石の仏さま。尊顔に、なかば陽を浴びていた。無量の慈悲を山頭火も感じただろうか。

涌いてあふれる中にねている

川棚グランドホテルの大浴場「山頭火」の壁には山頭火俳句が多数記され、入浴しながら楽しめる。「山頭火は、当地の人を選ばないなめらかな湯質がお気に入りだったようです」とは同館専務・岡本浩明さん。掲出句はかつての共同湯で詠んだものだろう。他に川棚での「温泉句」としては〈つかれた脚を湯が待ってゐた〉〈はだかしたしくはだかをむける〉など。

(写真)妙青寺門前右手には、山頭火が自炊滞在したかつての木賃宿「桜屋」がある。ご主人の木下仁さん(左から2番目)は山頭火について伝え聞いていた。「行乞から帰ると、隣の『上湯』(かみゆ)でひとっ風呂浴びて、投げ銭で買った焼酎をうちのじいちゃんと呑んじょったそうです」。右端は取材者。
(写真)妙青寺34代目住職の西田隆志さん。日本の現状を憂える話の中で、「いなくなって初めてわかることもあるいねぇ。山頭火は今の日本にこそ必要な人やなかろうか」と。まさにいつでも心を開けている気さくな口ぶりだ。
(写真)おそらく山頭火が日々、往来したであろう旅館街。撮影中、通りかかった古賀アサエさんが教えてくれた。「昔は川棚にも30軒ほど湯治宿があり、芸者衆もようけおってねぇ。私は下手な俳句を温泉まつりに投句したりして、山頭火を偲んじょります」。古賀さん作、2009年あの「山頭火も愛した川棚温泉俳句コンテスト」特別賞受賞句は〈淡々と生きたき余生落葉ふむ〉


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HOTに楽しむ俳句入門
温泉はしご入浴レポート

文=福田 章(本誌・編集人)

 温泉に入りまくって、習いかけのヘタな俳句を詠む前に、まずはインターネットで下関市内の温泉数を調べてみた。一、二、三……十七カ所。5+7+5=17音の俳句と同じではないか! これは幸先がよい。下関のいで湯は俳句の泉だと、独り合点したのである。
 勢いづいて、とある温泉の露天風呂に入ると、そこに下関の相当な温泉通の人がいた。平日の午前中だったのだが、下関へ単身赴任中というその男性は、その日代休。温泉巡りが趣味という。市内全域の温泉に詳しい。質問を連発。
 「華山と書いて“げざん”と読む温泉をご存じですか?」
 「ああ、あれは今、日野温泉っていうんですよ。看板も出てない集会所みたいな温泉でね」
 教えられて入った「日野温泉憩いの家」はよかった。常連のおばさんたちとすぐに友だちに。

朝霧や汲めども尽きぬ露天プロ
(焦点が定まっていない。駄洒落はいただけない)

 一の俣温泉には設備のよい立派な温泉ホテルがある一方で、昔ながらの素朴きわまる共同浴場もある。一歩まちがえば、いや入れば、つげ義春にでもなれそうなそこの浴槽には、お湯が半分くらいしか溜まっていない。願うまでもなく、半身浴が楽しめる。半身浴は寒くてかなわんので長湯につながり、せっかち男も長湯でいくらか健康になろうというものだ。
 夏には蛍が明滅するに違いない一の俣川。まさにその川の上に浮かぶようにして、この湯の休憩所はある。ある意味、日常がこびりついたようなたたずまい。「つげ度」、急上昇。リアル過ぎる。ここは、寝っ転がるしかない。寝っ転がって、持参の黛まどか句集『忘れ貝』(文學の森)など開き、そのまま眠ってしまえば、無意識の闇に句が灯ってくれるかもしれない。

金木犀(きんもくせい)ほのか夜長の栞(しおり)とす
(「金木犀」と「夜長」、二重季語の疑いがある)

 別な温泉地で昨年、見も知らぬ人からいきなり「キミいくつ?」と尋ねられ、ムッとしつつも正直に「50ですが、それが何か?」と答えた。すると「ボクはこう見えてももう60なんだけど、50から60までアッという間だよ〜」と一人悦に入りながら言葉を継ぐ。裸でない時すら隙だらけの小生に、光陰と矢がイコールであることの実感を伝えたかったらしい。
 しばらくあとに参加した句会で〈湯煙やにわかに問はれはや五十路〉を投句したところ、ベテランの方より、こんどはこれは「無季」だとのご指摘。てっきり「湯煙」を秋か冬の季語だと思い込んでいたのだ。ここでムキになってキレていては、俳句は上達しない。
 キレといえば、俳句でよく用いられる「や」(例=【古池や蛙飛びこむ水の音】芭蕉)などを「切れ」とか「切れ字」といって、これは俳句特有の技法だそうである。ひとまず本人が見て言及しようとする現実の対象を提示し、その同じ単語から万人が描くイメージを重ねようとする役割が、このたった一文字にある。
 ところで、季語にしばられたくない、字数制限にもとらわれたくないという人は、種田山頭火に代表される自由律俳句という道がある。

まごまご生きて半世紀
(開き直って反省が感じられない)

 今回の下関・温泉はしご中、人生をやり遂げてしばしの憩いのため温泉宿に泊りにきたという風情の上品なご夫婦と出会った。当日その宿には、今を盛りに輝いている女子大生グループもいて、老夫婦の達成感に満ちた存在感が際立っていた。

共白髪湯の面(も)にゆらぐ薄紅葉
(できるだけ創作はしない。自己の心境を)

 前述のように、その宿は老若男女でにぎわっていた。小生はもともと一人旅が好きだが、こういう中に埋没し、宇宙の塵となり無となり、誰が詠んだかわからないような句を自然発生させるのが、俳句の極意かもしれぬと、今これを書いている時点では思っている。

関の温泉(ゆ)や五七五のおでん鍋
(「温泉」を「ゆ」と読ませて字数を稼ぐ「あてルビ」はいただけないが、下関の温泉情緒と発句の因果関係は伝わってくるので、大目に見よう)


※拙句の後に続く( )内の文面は、各温泉の湯気に浮き出た(?)コメントです。

(写真)一の俣温泉観光ホテルの露天風呂。ぬめりのある湯が肌にやさしい。いろいろと病気をかこつ年齢になれば、それも俳句の素材ともなる。
(写真)「道の駅 蛍街道西ノ市」内にある螢の湯の入り口。露天風呂やサウナもある。ふるさとバイキングの前後に楽しむ人も多い。
(写真)集会所と見まごう日野温泉「日野温泉憩いの家」。
(写真)家庭の風呂のような日野温泉。
(写真)一の俣温泉の大衆浴場。孤独と瞑想の中、迷句あれこれを。
(写真)リアルな休憩所は昭和の記憶を呼び覚まし、回想の俳句が生まれそうだ。

黛まどかさんによる五句の解釈

文・編集部

旅立ちも旅の終わりも竹の秋

山々が新緑を湛える春に、竹は逆に葉を落とすので、「竹の秋」と呼ぶ。春の季語。田上菊舎の故郷は竹やぶが多く、黛氏が旅の最初に、また旅の終わりに目にしたのも、竹の美しさであった。おそらく菊舎も旅立ちと帰郷の度に目にしたのが、四季折々の竹の美しさだっただろう。黛氏自身の旅と菊舎の旅そして人生を重ねて詠んだ。

鳥雲に潤みてともる岬の灯

鳥が雲の高みに帰っていく。そんな夕刻の淡い時間に、潤んだような岬の灯がともり始めた。旅先の叙情を詠んだ。

ねずみ島鳩島浮かべ明け易し

旅先では不思議と朝早く目が覚める。角島大橋を渡るとほぼ真ん中付近に浮かんでいる鳩島。遠くに目をやれば鼠島も浮かんでいる。明け方の光に二つの島が浮かんできた。今日は晴れるだろうか。

落人の村とも春の落葉焚き

菊舎ゆかりの地を巡っているうち、春というのに落葉を焚いている光景に出会った。のどかな春の野が、なぜか落人の村のようにも見えてきた。本州西端の地にあらば、そのように思えるのだろう。

囀を聴くかに墓の傾ける

春の盛り、鳥たちも縦横に飛び回り、口々に鳴いている。没後185年にもなる菊舎の墓はややもすれば傾き加減だが、それも今は俳人の性で、鳥の声に耳を澄ましているように映る。


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吟行ハイクで楽しみたい
ふるさとの味

撮影=大野金繁

道の駅 蛍街道西ノ市「万作」のふるさとバイキング
(大人1200円、小学生800円、4〜6歳600円、3歳以下無料)

 米や野菜が豊富に採れて、海は瀬戸内海も日本海も近い豊田町。2008年12月に始めた地元食材でのランチバイキングが大人気である。「ここは寒暖差のある土地なので、野菜やくだものも甘みがあります。米は自慢のほたる米。地元出身のスタッフと知恵を出しあいながら、懐かしいふるさとの味を再現しています」と、統括の則常智志さん。ざっと品数を数えたところ、30品以上ある。わけても、干しシイタケの南蛮漬、まいたけの天ぷら、イカと葉わさびの和え物、はたまたミラノ風チキンカツあたりが存在感を誇示している。さらに途中で仙崎港直送の魚の刺し身が出てきたり、毎月29日は「肉の日」と称して、豊田牛やイノシシ料理もプラスされる。
 木屋川の蛍や樹齢600年をこえる館ヶ浴(やかたがえき)の椿など俳句の素材に事欠かぬ地域だが、何より風土のにじむこの美味こそが、俳句という座の文芸に直結しているようだ。施設内にやわらかい泉質で露天風呂付きの温泉もある。

Data
◇万作(まんさく)

下関市豊田町大字中村876-4
TEL:083-767-0241
11時〜15時(16時〜20時は麺類・丼物など一般メニュー)
第2・4火曜休み(祝日の場合営業)
「歌野清流庵」のそば
(そばとおにぎりのセット1000円。写真は鴨のロース焼き、ヤマメの塩焼き、ぜんざいなど付き3000円)

 菊川町の里山のふところに入って奥へ、歌野川ダムを過ぎてなお奥へ、菊川自然活用村からさらに奥へと進んだ別天地に、茅葺き屋根の古民家(文化庁の登録有形文化財に指定)が現われる。築120年以上経っていた民家をNPO「歌野の自然とふれあう会」が修復し、妻である紀子さんのふるさとへ帰郷していた事務局長の新谷哲雄さんがそば打ち修業ののち、2005年春に開店させた。哲雄さんの風貌と物腰が、この場と時間の充実ぶりを語っている。「今鳴いているのがオオルリです」と紀子さん。こんな閑静きわまる風趣の里だから、県内俳人たちの句会の場に利用されることもあるという。
 おのずと自然界に溶け込んだ気持ちで味わうそば、鴨、ヤマメは心身によくなじむ。何か秘伝は?と問えば「水かな?」と、流れる雲のような答えが返ってきた。前面にあるオーナー制貸し農園は、まだスペースに余裕があるそうだ。

Data
◇歌野清流庵(うたのせいりゅうあん)

下関市菊川町大字下岡枝357
TEL:083-287-4369
11時〜13時 不定休
※前日までに必ず要予約、1日3組限定。

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庶民文化史研究の達人 町田忍の下関レトロ徘徊記
「特牛・二見〜スローな漁村の迷い方」」

文・写真=町田 忍
※町田忍氏の撮影=大野金繁

最近はテレビやラジオでも「庶民文化」を語ることが増えている町田忍さん。
「港町下関の小さな漁村も面白いんじゃない?」というリクエストに応えて、
今回は全国の漁船が停泊している特牛港へ。カメラぶら下げ、
潮風にまみれながら、あちこちを散策。路地裏の廃屋にさえ吸い込まれて、
下関の多面性に二度惚れする結果となった。

町田 忍(まちだ・しのぶ)

昭和25年(1950)、東京生まれ。全国各地、見落とされがちな風俗意匠を研究する庶民文化史研究家。「庶民文化研究所」を設立している。著書は『昭和なつかし図鑑』(講談社文庫)、『懐かしの昭和30年代』(扶桑社)、『納豆大全』(角川文庫)、『銭湯遺産』(戎光祥出版)など約50冊。現在、文化放送「ドコモ団塊倶楽部」(毎週土曜11:00〜13:00)生出演中。

(写真)特牛港に立つ町田忍さん。市街地での街歩きの際とはまた別な触覚が動き始める。

読めない漁村の過去を観察

 下関市街を北へ少し抜けて、山陰本線に沿って北上した。のどかな風景の中を単線の線路が海岸や山の中を通り抜けている。かつて学生時代に鉄道研究会に所属して、全国津々浦々をカメラ片手に蒸気機関車を追っていた時の気分にもどってしまった。この付近は実に、鉄道写真を撮るのに絶好のポイントが多い。
 話を本題にもどす。今回まず訪れたのは「特牛」。読めやしない。とくぎゅう? 違う! なんと「こっとい」と読むそうな。JR特牛駅もあり、そちらは難読駅名として全国的に名高いらしい。繰り返しつぶやいて、ようやく覚えた頃、特牛の漁港に立った。目の前にはおだやかな湾が広がっている。燕が低く飛んでいるのが印象的だ。
 湾と平行するように民家がある。どこへ行っても私は一本裏の道へ入り込むようにしている。そこには地元の人々の日常の生活の空間がある。
 さて、ここで私が興味深く思ったのは、この地区といえど、重要伝統的建造物群保存地区に指定はされていないはずなのに、数軒の民家が木造りの伝統的な様式となっている点である。しかし、明らかに最近建てられている。多くが板を焦がして黒くなった外観に特徴がある。海風や害虫から家を守るための先人の知恵が引き継がれているのだろう。
 港に平行して山に沿って路地がある。入り口には、懐かしい「たばこ」のホーロー看板が、私を迎えてくれるがごとく目に入った。

(写真)こうした営々たる人々の暮らしを象徴する日常風景が達人の心をつかむ。
(写真)上のような廃屋に出くわすことも度々で、洋館建築(左中)をかつての郵便局と言い当てれば、平佐さん夫妻(左写真の2人)が感心していた。

テラコッタの秘密と誤解

 しばらく行くと左手に明らかに他の民家とは異なる三角屋根のある洋風建築があった。これはただものではない。おそらくその様式からして昭和初期頃に建てられたもので、外観にテラコッタと呼ばれる装飾がモダンな雰囲気を醸し出している。
 私の体験からするとこの手の建物は、医院や写真館、郵便局などとして建てられていることが多い。この答えは後に判明した。この路地もその先、うねうねとしており、さらに枝のような幅一メートルほどしかない小道に入り込んでみると、古い蔵のある場所に出た。その蔵はすでに使用されてはいなく、部分的に土壁が落ちて、その下の竹材が露出しているものの、むしろそれがその蔵の造られた経過を知ることができ、私にとっては大いに参考となった。
 ちょうど蔵の横の庭にいた、地元の平佐紘之さんと優紀美さんご夫婦によると、この蔵はかつてここにあった洋品店のものだという。カメラを持った私を見て、解体業者かと思ったそうである。ここで前出の洋館がかつて何であったかを聞くと、旧郵便局とのこと。現在は近くに移転してしまって、今は住居として使用されていることがわかった。私の推測は的中していたのだった。

形のないレトロを追いかけて

 漁村が見渡せる山の斜面にある専教寺に登る。ここに限らず、下関には実に神社仏閣が多い。それも土地それぞれの歴史が刻まれているのが実感できる社寺ばかりなのだ。
 特牛の魚市場付近には、北海道松前港の船や鳥取県境港の船が停泊していた。北前船時代をしのばせるものがあった。
 下関市街へもどる途中、二見の漁村にも立ち寄ってみた。百軒もないと思われる小さな漁港沿いに、特牛と同様、風情ある町並みが残る。このような観光地ではない街には、町の匂いというものを感じる。それは長い歴史に培われたもので、私のようなよそ者だからこそわかる匂いというものである。軒下の燕たちにとっても住みやすい場所なのだろうと思った。もちろん、猫たちにも。
 久しぶりにゆったりとした時間を過ごせた旅だった。こうした漁村には、目には見えないレトロ感があるようだ。

(写真)「龍の尻尾にも目玉が!」と専教寺のご住職に語りかける(上と右下)。写真を撮れば必ず手を合わせる町田さん(左下)。
(写真)「花がある家が多いね。やすらぐねぇ」。通り過ぎては振り返る二見の散歩。


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ツツウラウラ発 おたより劇場

豊浦郡出身です。高校生の時に通学列車にカンカン部隊のオバチャンがいたことを思い出し、涙が出ました。魚介類のおいしい山口県を誇りに思っています。
(55歳 男性 東京都八王子市)

学生時代、青春18きっぷを使って日本を一周しました。その時に眺めた車窓風景、名も知らぬ小さな駅などを、第4号の写真を見て思い出しました。下関にも下車しました。今また行くと変化してますけど、古い下関も新しい下関も、ともに大好きです。
(35歳 男性 福岡県小郡市)

麹町の居酒屋で見つけました。ディープな下関情報が満載で新鮮でした。野村佐紀子さんが撮られる側で登場しているのも貴誌ならではと、うれしくなりました。
(27歳 女性 東京都千代田区)

地元の美術館で入手しました。一読して、下関市にはセンスのよいお役人さんがいるなぁと、うらやましくなりました。札幌市の役人にも、この洗練されたフリーペーパーを見せてあげたいものです。
(43歳 女性 北海道札幌市)

表紙のイラスト、謎の鉄道員少女が、タイトルの「魔力」を引き立てていますね。全体に写真もイラストもよく、インパクト充分。野村佐紀子さんの帰郷レポートに、かつての自分を重ねました。
(39歳 男性 宮城県多賀城市)

日帰り鉄道旅の帰路、駅のイートインで『083』が目にとまりました。パラパラめくっていくうち、面白くて引き込まれていました。自称「鉄オバサン」の私、下関にもよく立ち寄ります。
(65歳 女性 兵庫県神戸市)

下関レトロ徘徊記にわが家の前の路地の写真が出ていた。住んでいて何も感じないのに外から来た人には珍しいのかと、改めて眺めてみた。やはり古い建物が残る場所ではある。以下は昔、カンカン部隊を見て詠んだ短歌である。「折り返す朝の列車は今降りしカンカン部隊の匂い残れり」
(76歳 男性 下関市)

九州へは新幹線で何回か行っていますが、今回は途中下車して下関へ寄りました。息子の誕生日旅行でした。下関駅に着いた瞬間、どこか懐かしい温かい思いにつつまれた気がして予定変更!この街にゆっくり滞在しました。帰路改めて『083』を読み、下関駅の歴史を知って感銘しました。
(35歳 女性 滋賀県栗東市)

旧下関市は周辺4町と合併することによって物語、メルヘン、温かみ、天の恵みを与えられたことを感謝し、大切にしなければなりません。各地に根づいている小さな小学校を、ただ人数で廃校にしてはなりませんぞ。
(59歳 男性 広島県安芸太田町)

初めて貴誌を手にとった時、読み物としてのクオリティの高さにびっくりしました。広告主体で内容の薄い冊子が氾濫している中、とても惹きつけられます。関川夏央さんの「下関、駅と鉄道の物語」を読んだ後、下関から博多へ向かったのですが、駅を見る視点も気持ちも、以前とまったく違ったものになりました。学んで旅することの大切さを再認識させていただきました。
(36歳 男性 東京都大田区)

広島に住む姉が、私が好きそうな冊子だからと、わざわざ送ってくれました。今回は特に鉄道特集で列車好きの私は楽しく読みました。次号も期待しています。
(33歳 女性 岐阜県高山市)

下関生まれで幼少期を過ごし、この春33年ぶりに訪れました。関門橋や赤間神宮やフクなど以上に感動したのは「下関の人」です。行く先々で市民の皆さんがとても親切にしてくださって、感激して帰りました。素晴らしい街に生まれ育った幸せを感じています。
(37歳 女性 大阪府枚方市)


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物語のある居酒屋 三軒目 竹崎町「きんかん」

文・撮影=大野金繁

 店にカウンターはなく、通路の両側すべてが小上がり席だ。となれば、ひとりの客は気後れしそうなところ、4人がけの座卓に片肘をつき、しんみり飲む人もいる。夕刻のひととき、そんな一人客の片肘オンパレード″ということもあるらしい。
 衝立と壁で三方を仕切られ、開放された通路側も、透明なカーテンが降りたかのように、小空間の独立性は高い。それが小上がりの特徴だろう。しかも、いまどき珍しい簡素な座卓。幅も狭く、無聊をかこつ身の、腰の落ち着け先としてはかっこうのしつらえだ。
 とはいえ、週末の午後7時をまわった今、店は満席。通路には革靴、スポーツシューズ、ハイヒール、サンダルなど客層の幅広さを物語る履物が並び、幼児の小さな素足までぷらぷら見えている。
 そんな中、夫婦連れから「いっしょに飲みましょう」と声がかかった。「この店は誰もが長っ尻。席が空くのを待ってたら、あっという間に終電ですよ」。言われて、遠慮なく靴を脱いでいた。あら、よかったわね、と店のお姉さんも目線をくれる。
 今年揃って61歳になる夫婦は月に2、3度来店。「来ればいろいろ食べたくて、今も〆にふく鍋を頼むかどうか相談してたところ」と夫が言えば、妻も「ふたりには多すぎるの」。3人でちょうどよい量らしい。
 その鍋、しっかりとダシの利いた、酒がすすむ鍋だった。口が滑らかになる鍋とも言え、「ぼくらの付き合いは中学3年から」と、弾む話の自然な流れは馴れ初め話に至る。ずいぶん早熟じゃないですか、と茶化すと、「早く家族が欲しかったんです」なる予想もしない答えが返ってきた。「ぼくは中学時代の1年間に3度姓が変わった。父が死んだあとの、おふくろの再婚、すぐの離婚、また再婚で。そうなると、もうおふくろはぼくにとって他人のような気がして。だから、自分の家族が欲しかったんだと思う」
 少年の切ないまでの感情が聞く者の胸にもよみがえる。目の前の仲睦まじさに、支え合う日々が重なり映る。幅の狭い簡素な座卓は、人生の機微が湯気に映るほど人を近しくする。小上がりの並ぶ店、きんかん。はたして、それぞれの小空間ではどんな話が語られているのだろうか。

※店名揮毫は、店主の木本玲子さん


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次号予告(2010年3月1日頃発行予定)
恋する酒場

編集後記

 世界で最も短い詩・俳句。林さん、黛さんは豊かな感性で下関の魅力を感じ取っていただき、その17文字に凝縮してくれました。下関は数多くの温泉あり、海あり、山あり、人情あり、味覚ありのまちです。五感を刺激し、俳句を嗜む方だけでなく、普段俳句をしない方も思わず一句ひねりたくなる魅力や発見がたくさんあります。ぜひ下関を巡っていただき、あなただけの句を探してみてください。(S)

 最近人気の角島へ私が最初に行ったのは、40年前。もちろん、特牛港からフェリーでした。その角島や田耕やいくつかの温泉地へと、黛まどかさんと同行して撮影。こちらは美しい俳人をより美しく、と躍起でしたが、黙って撮られているように見えた黛さんは、写真家以上に一瞬一瞬、あらゆる情景を観察されていたことが、届いた俳句からわかりました。下関郊外の竹の多い風景に、鳩島の形とか墓の傾きとか。ひとつの被写体だけでなく、全体を意識してよく観察する事の大切さを痛感した旅でした。(K)

 裸になりさえすれば温泉には入れるけれど、いくら短くても俳句はやったことないし小難しそうだという印象があるかもしれません。そこで俳句づくりに付き物の「吟行」をハイキングのハイクと位置づけました。単に野山を海辺を、歩き回ればいいのです。興が乗ったら、5・7・5。交通標語然り、定型文は日本語で生きる私たちに、骨の髄までなじんでいます。言葉が出ない人も、デジカメ持参で。俳句という「瞬間(キリトリ)芸」は、長い文章とよりは、むしろ写真表現と似ていたりもするのです。日常から脱却して、心を裸にすれば、名句が産声をあげるかも。読者の皆さんの記念となる名作が、下関で生まれることを祈っています。(F)



◇アンケート

『083』は今これを手に取られたあなたのための情報誌です。つねに深い眼差しを心がけて、皆さまの役に立つ情報を、ワンテーマ方式で下関市から発信してまいります。第5号についてのご感想、及び今後特集してほしいテーマやとっておきのお知らせなどを、綴じ込みハガキでお寄せください。アンケートに回答いただいた方の中から抽選で8ページで紹介した「ホテル西長門リゾート」の温泉ペア入浴券を10名様に、15ページで紹介した「一の俣温泉グランドホテル」の温泉ペア入浴券を3名様に、25ページで紹介した「川棚グランドホテル」の入浴&瓦そば食事セット券をペアで3組に、30ページで紹介した「豊田町道の駅 蛍街道西ノ市」の豊田ほたる米5キロを5名様と恋ほたるミストを5名様にプレゼントします。応募締切は平成22年3月1日消印有効。当選の発表は発送をもって代えさせていただきます。



リンボウ寸言『俳句と温泉』

林 望
 旅先でスナップ写真を撮るのもいいけれど、カメラを筆に持ち替えて、ひとつ俳句でも詠じてみてはどうだろう。が、観光客でごった返しているような所ではなかなか良い俳句も浮かぶまい。どこか侘びた風情のあるところを心のままに逍遥して、目に見るもの心に浮かむ想いをさながら詠じてみるがよい。されば俳句は、凡々たるスナップ写真よりも、旅の思いを深く心に刻むであろう。例えば鄙びた野のいで湯など、句を案ずるに最も良い。
  爺婆は楓若葉の湯に黙す   浮世坊



季語になった花もいっぱい

『下関花日和り-hanabiyori-』1,000円
 俳句の要素としてよく言われるのが「自然への挨拶」。森羅万象につつまれて、一回性の生命を互いに喜び合おうという心持ちのことでしょう。俳句には一般的に「季語」という前提があり、多くの花が季語に採り入れられています。花の名前を、花の個性を知っておくことは、俳句づくりにも大いに役立ちます。市民の皆さんから寄せられた、下関市内に咲く多彩な花々の写真を一冊にまとめました。懐かしいふるさとの花のあで姿を楽しんでいただけます。お入り用の方は、下関市広報広聴課までお問い合わせください。

『083(ゼロハチサン)』第5号  うみ やま たいよう

2009年8月31日発行
編集人=福田章 ディレクター=大野金繁 アート・ディレクター=村上行信
写真=橘野栄二 編集委員=林望
発行=下関市 〒750-8521 山口県下関市南部町1番1号 TEL:083-231-2951(総合政策部広報広聴課)
制作統括=(株)電通九州 印刷=凸版印刷(株) 協力=下関市の皆さん
アドバイザー
 下関フィルム・コミッション 常任委員長 冨永洋一
 九州芸術学館山口校 代表 伊東丈年

○バックナンバーを希望される方は、下関市までお問い合わせください。
 TEL:083-231-2951(総合政策部広報広聴課)
 創刊号、第3号は在庫切れです。
○下関市ホームページからも電子ブックで『083』が読めます。
 http://www.city.shimonoseki.yamaguchi.jp/083/

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