情報誌「083」テキスト版 情報誌「083」トップページへ

表紙イメージ
『083(ゼロハチサン)』
うみ やま たいよう
Vol.8
2011年3月1日
下関市発行
表紙イラスト=田上賢二
表紙デザイン=毛利一枝
▼テキスト版目次
 
テキスト版へ 2 特集 映画の都
テキスト版へ 4 プレミアム・トーク
奥田瑛二「街のダンディズムを撮りたい」
撮影=大野金繁
テキスト版へ 9 こうして下関は「映画の都」となった!
〜佐々部清監督作品のロケ地巡り
取材・文=山口由美子 撮影=橘野栄二
テキスト版へ 20 硬派浪漫主義者(ハードロマンチッカー) グ スーヨンの影を追え!
文・写真=大野金繁
テキスト版へ 24 幕間にウケるシネマチックな甘味
「松琴堂」の阿わ雪/「巌流本舗」の巌流焼
テキスト版へ 26 ツツウラウラ発おたより劇場/しものせき映画の街スタンプラリー
テキスト版へ 27 下関ぶんか人物伝 第2回 金子みすゞ
文=福田章 撮影=橘野栄二 イラスト=稲葉智美
テキスト版へ 32 リンボウ寸言 次号予告 アンケート&プレゼント



特集 映画の都

近代以降、西日本有数の大都会だった下関。
昭和の最盛期には22館もの映画館が立ち並んでいた。
そんな文化の先進地から田中絹代、木暮実千代、松田優作らの名優が生まれる。
今ではこの街出身やゆかりの深い監督たちがメガホンをとった名作が次々に公開。
奥田瑛二、佐々部清、グ スーヨンの3監督が味のある言葉で、「映画の都」下関の魅力を語る。

(写真)西細江海岸通り(現在の細江町)にあった映画館「山陽倶楽部」〜昭和10年(1935)頃


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プレミアム・トーク 映画監督・俳優・下関「シアター・ゼロ」支配人 奥田瑛二 「街のダンディズムを撮りたい」

芸幅の広い二枚目俳優であり、今は映画監督としても輝かしい実績をもつ奥田瑛二さん。
2007年にオール下関ロケで話題を呼んだ『風の外側』のロケ地などを再訪しながら、映画への情熱、市内唯一の映画館を自ら運営するまでの下関への愛を語った。

撮影=大野金繁 構成=編集部

奥田瑛二(おくだ・えいじ)

1950年、愛知県生まれ。映画監督、俳優、画家。「もっとしなやかに もっとしたたかに」、「海と毒薬」、「千利休 本覺坊遺文」、「深い河」など、 多数の映画やドラマに出演。監督作品に「少女」、「るにん」、「長い散歩」 (第30回モントリオール世界映画祭グランプリほか三冠受賞)、「風の外側」がある。エッセイストの妻・安藤和津氏との間に2女。長女の安藤モモ子氏は当時助監督、 次女の安藤サクラ氏は主演として「風の外側」に参加。

(写真)P4,5/彦島田の首町の海岸の「風の外側」ロケ地(現在は共立機械製作所下関工場敷地内) に立つ奥田瑛二さん。

風の境目を探し求めて歩いた

 下関へ来ると、風を感じます。いろんな風が交錯してる街だと思う。 風って、目に見えないものだけど、僕はここの海峡を吹き抜ける風につかまってしまった男です。
  きっかけは2006年、監督第3作の『長い散歩』でモントリオール世界映画祭グランプリなどを受賞した直後、 「エンジン01(文化戦略会議)」の幹事長、三枝成彰さん(作曲家)から声がかかりました、 「下関で映画を撮らないか」と。予算を尋ねると、1000万円。 それだと、ショート・フィルムしかできません。
しかし、下関が田中絹代さんや木暮実千代さんが出た、映画の街だとは知っていました。 女房もここの文化振興財団理事長を務めている。 あんまり老けこまないうちに(笑)、青書映画も撮ってみたい。 誘われるまま、いつの間にか僕の映画魂に火がつき、下調ベをして、 現地へシナリオハンティングに出かけていました。
  残暑のさびしい季節でしたね。 この街を吹く風の境目を突き止めようと、 坂道だらけの路地から路地へと歩き回りました。 そう、在日コリアンの方たちの協力を得るために。 簡単にはいきませんでしたが、最終的にキーマンのような人に行き当たり、 全面協力を約束していただきました。 その婦人会の人たちもハートがあって、真に温かい人たちです。
  名門、梅光女学院の制服も、実物をお借りできた。 今でも記念に、自宅に保管しています(笑)。 ほかにも多くの市民の皆さんにご協力いただき、 総額4000万円、撮影日数24日で完成したのが、 オール下関ロケの『風の外側』です。

映画は壮大な幻かもしれない

 しかし、そこで壁にぶち当たります。 全国順次ロードショーも決まったという のに、肝心の地元の映画館が閉館間際いうことがわかった。 入魂の青春映画が地元でかからないでどうする! 僕は覚悟を決めて、映画館が入っている「シーモール下関」を訪ね、交渉しました。 まずは自主上映とし、次に閉館時期を延ばし、ついには運営主にまでなりました。 映画は幻です。幻だけど、確たる文化です。 30万都市から映画の灯を消してはいけないという強い思いからでした。
  その時、僕は再び、飛んだんだと思う。 俳優1本でやってきた僕は50歳になって、飛びました。 以前から志していた監督の道に進もう、内燃していたエネルギーをそっちの方に重点配分して、 別な人生に飛び立とうと決めた。それからは俳優は適職、映画監督こそが天職なんだと信じて、やってきたんです。 おかげで発表した作品は評価され、勇気をもって事に処すれば、道は開けるという経験則ができた。
男やっぱり、どこまでも自分の道を求めて歩いていかなければなりません。 その年齢ごとのステップアップを図り、難問を乗り越えていくうちに、 その人間特有の個性が確立する。そのプロセスに、 タンデイズムというものが潜んでいるのかもしれません。
生きてて、摩擦を恐れてはいけない。社会の基本は摩擦なんだから暴力は摩擦の悪い形ですが、 人をほめたり、髪をなでたりするのはよい摩擦でしょう? 火もこすらないと起さないし、愛し合っている男女の行為は最高の摩擦ですよ(笑)。

「昭和」の色気が漂う街

 下関という街には、僕が追求するダンディズムが、そこかしこに漂っています。 『風の外側』のロケ期間中は、関門橋が見える部屋に滞在していましたが、あれはまさに男の橋。朝目覚めてはあの雄姿を眺めながら表現意欲をかき立て、1日に4回潮目が変わる海峡に見とれてはドラマを感じていました。
なにしろ「昭和」の実体が、下関には最良の形で残っていると思うんです。 これを逆手にとって、売り出さない手はないでしょう。 場合によっては、見残された街になるけれど、そのほんとうのよさを 一人でも多くの人たちに気づいてほしい。それが僕のひとつの役目かな?
この街を歩いていて、ある瞬間、映画の神様に呼び止められ、 逃れられなくなった男の言うことだから、まちがいありません(笑)。 これからも、幻を愛する人たちと人生の悲喜こもごもを分かち合っていきたいですね。

(写真)『風の外側』ロケ地の「お好み焼き岡山」(上新地町)再訪した。右は店主の岩男啓子さん。

奥田瑛二さんが支配人を務める下関市唯一の映画館。 その名は、シアター・ゼロ

シーモール下関2階奥にある映画館「シアター・ゼロ」。現在、下関市に残る唯一の映画館だ。 2スクリーンあり、各174席。2007年11月、奥田瑛二監督が運営を引き継いでから、3年以上が過ぎた。 監督、俳優として多忙な奥田さんに代わり、支配人代理を務めているのが、下関出身の澁武俊輔さん。
東京・池袋で映画館の仕事をしていたが、映画のことをもっと知りたいとの思いから、下関で奥田さんと出会った。 「今は、いろんなことを模索している最中ですね。邦画、洋画、韓国映画、メジャーな作品からアート系作品まで、 多ジャンルにわたってお客さんが見たい作品、話題作も楽しめるようにしたい。 ニーズに合わせた作品選びや会員制の充実など、常に考えながらの“現在進行形”の映画館なんです」
毎月1日の「映画の日」とは別に、毎月10日を「シアター・ゼロ」の日として鑑賞料金1,000円。 さまざまな特典がつく「シネマクラブ・ゼロ」もある。

■シアター・ゼロ

下関市竹崎町4-4-8/シーモール下関2階/Tel:083-231-8243/http://zero.shimonoseki.ne.jp/

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こうして下関は「映画の都」となった!  〜ふるさとを撮る佐々部清監督作品のロケ地巡り

映画好きの少年が大人になり、映画監督として、故郷を撮る。こんな幸福な場所が下関にはある。
下関市出身の佐々部清監督は、2003年の『チルソクの夏』で日本映画監督協会新人賞と新藤兼人賞を受賞。
続く05年の『四日間の奇蹟』、同じく『カーテンコール』では日本映画批評家大賞を受賞している。
これら佐々部監督の“下関三部作”と称される作品のロケ地を中心に、下関各地を訪ね歩く。

取材・文=山口由美子 撮影=橘野栄二

(写真)トレードマークの帽子をかぶって腕組みをする佐々部清監督

やって来た 映画館建設ラッシュ時代

 文化は昔、海を渡ってやって来た。映画も例外ではなく、港町から発展した。 アメリカのエジソンと、フランスのリュミエール兄弟によって“映画”が誕生したのが1894年。日本初上陸はわずか3年後の1897年(明治30年)。下関に活動写真がやって来たのは明治38、39年頃のこと。明治44年には寄席や芝居小屋での巡回上映でなく、映画専門の常設館「朝日館」が豊前田町にできた。わずか5年余りで映画は下関の人々の生活の中に溶け込んでいったことになる。
大正4年(1915年)は映画館の建設ラッシュ。 「山陽倶楽部」、「東館」、「いろは倶楽部」などが建てられた。その後も栄枯盛衰を繰り返しながら戦前には旧市内で9館、新市内に演劇映画用の劇場を含め4館があった。映画全盛の昭和30年前後には、なんと22館もの映画館が営業していた!まさに下関は 「映画の都」だったのだ。
そして今、映画はこの街でつくられる。2002年6月に設立された「下関フィルム・コミッション」(常任委員会は本誌アドバイザーの富永洋一氏)が初めて支援したのが佐々部清監督の『チルソクの夏』である。チルソクとは韓国語で「七夕」のこと。 関釜親善陸上競技大会で出会った下関と韓国・釜山の高校生の純愛と少女4人の友情を描いた作品で、1970年代の下関がいたるところに登場する。市内各所での撮影には市民の皆さん約2100名がエキストラ参加した。

(写真)『カーテンコール』で再現された「みなと劇場」はかつて下関駅西口に実在した。

『チルソクの夏』にみる人と人の絆

 『チルソクの夏』に印象的な場面は多いが、 特に強烈なのが坂道と路地が織りなす風景だ。下関は海に開けた港町なので、 花崗岩質の丘陵を切り開いた場所 に住宅地が密集している。 小高い場所から街や関門海峡を眺めるのは、下関で育った人の“原風景”といえる。
長崎新町の坂の上の長屋は主人公・郁子(水谷妃里)の家として撮影された。今にも都子と父(山本譲二)が行き交うような、懐かしい場所。 佐々部監督が一番好きなシーンに挙げている。 妹の体験を基に同監督自らが書いた脚本には、当時のご自身の気持ちが反映されている。 親世代の人たちの朝鮮人への差別意識への反発、と言葉にしたこともあった。 だが今改めて映画を見ると、普遍的な父娘の姿の方がより強く像を結ぶ。 娘が心配だけど上手く気持ちを言葉にできない父親。憎まれ口風に励ます姿に、少しだけ微笑む娘…。 父の姿だったはずが、今は自らの姿にも見えてくる映面の時間の不思議。
坂の上で工事の休憩中だった、とある工務店の3人に出会った。 そのうちの一人、久保井聡さんのお姉さんは『チルソクの夏』のメイキングにも登場しているとか。 行き交う人々のほとんどが「あぁ「チルソク」の(撮影の)時はにぎやかだったよ」と、懐かしげに微笑んでくれる。
この坂を下りた茶山通りは、昔は国鉄下関駅に続く市内一の繁華街だった。レトロな漢方薬局の看板や、 昔ながらの八百屋さん、魚屋さんの風情に一瞬、昭和にタイムスリップしたような気分になる。 笹山町の石段も含めたこの周辺は「カーテンコール」にも登場する、佐々部監督が愛してやまない風景である。「監督のお家もすぐ近くだったんですよ」と鳥本酒店の鳥本雅子さん。店のお客さんたちも 「昔は、それはにぎやかで、子供も多かった。お酒落な衣料品店や玩具屋、何でも揃っていた」などと、ひとしきり懐旧談で盛りあがっていた。

(写真)P10 /左から、上野樹里(杉本真理役)、水谷妃里(主人公の遠藤郁子役)、三村恭代(木川玲子役)、 桂亜沙美(藤村巴役)。上野樹里さんは『のだめカンタービレ』の大ヒットののち、 今年のNHK大河ドラマ『江』に主演中。
(写真)P11上/坂の石段は下関名物。道幅は狭く、古い家の改修は大変そう。「資材を運ぶのがまた大変で」 と地元工務店の方々。
(写真)P11下/茶山通りの鳥本酒店(中央のエプロン姿がお店の鳥本雅子さん)で歓談する お仲間さんたち。通りの歴史と映画の思い出を重ねて盛り上がっていた。

矢玉漁港の犬優? チャッピーに再会

 関釜フェリーの撮彰はもちろんだが、 同監督は漁港にもこだわりを見せる。矢玉漁港(豊北町)では、郁子が新聞配達 をする場面や恵比寿神社の鳥居が登場する。毎朝手を合わせる場面、待ちわびた安くん(鈴木淳評)からの手紙をひとり読む場面。携帯もメールもない時代、手紙を読む時のあのドキドキ感。思えばかなり美味しい設定。障害がなければ恋は燃えない…現代の恋物語では、作り手は結構苦労する。
犬を連れて散歩していた中野由香さんに声を掛けると、偶然このワンちゃん、チャッビーは『チルソクの夏』にも映っていたという。岸壁の石段にもちょこんと座って、はいポーズ!岸壁など一部は変わっているが、当時の船もそのまま。 映画を偲ぶため、時が留まってくれているかのよう。
『チルソクの夏』は、下関の劇場の観客動員記録を塗り替えた。その成功がグ スーヨン監督の『偶然にも最悪な少年』、奥田瑛二監督の『風の外側』など、下関を舞台にした作品づくりへと続いていくことになる。

(写真)『チルソクの夏』に出てきたチャッピーと飼い主の中野由香さん。

角島灯台の霊感『四日間の奇蹟』

 『四日間の奇蹟』は、第1回「このミステリーがすごい!」大賞をとった朝倉卓弥原作の作品。原作では山奥の診療所という設定だが、佐々部監督は海へと真逆の変更をしている。海辺のロケ地は角島。それがこの作品の決め手となっている。
冒頭の角島大橋を渡る場面で、主人公の如月敬輔(吉岡秀隆)が「すごいなぁ」と思わずつぶやく。この気持ち、観客は皆同じ思い。初めてこの風景を見た 人は、絶対と言ってよいほど「すごい」と口走る。まるで日本ではないような、あまりに美しい海・・・。ここなら“奇蹟”が起こるかもしれないと思わせるインパクトのある風景だ。
大浜キャンプ場周辺はまさに映画のそ のまま。療養所として登場していた建物 は、つのしま自然館。ツノシマクジラの 標本などが展示されているが、入り口に は『四日間の奇蹟』のロケ写真や大きな 木のテーブルに監督や俳優さんたちのサ インが残る。のみならず、シンボル的存 在の礼拝堂のセットもまだ残されている。 丈夫に作られてはいても、もとよりセッ ト。海と礼拝堂の美しさは、撤去前にぜ ひ見ておくことをおすすめする。佐々部 監督は角島をロケ地に進んだ理由に「角島灯台から放たれる6本の光が、ここで 起こる奇蹟の手助けをしてくれると直感 したから」と答えている。
海に押され気味だが、山の風景も、も ちろん撮影されている。特牛と書いて、 「こっとい」。超難読駅名の駅が、映画で は「伊上畑駅」として撮影された。こぢんまりとした駅の待ち合いの椅子。ここ で療養所の倉野医師(西田敏行)と妻の 和枝(松坂慶子)が真理子(石田ゆり子) と出会う。駅舎横のバス停前には「伊上 畑駅」の時刻表やプレートが置かれ、駅 舎内には撮影風景の写真も飾られている。

(写真)P13『チルソクの夏』に出てきたチャッピーと飼い主の中野由香さん。
(写真)P14上/特牛駅のホームから駅舎を望む。
(写真)P14中上/駅前には映画で使用した架空の駅名のプレートなどが残る。
(写真)P14中下/特牛駅(山陰本線)で。津田安子さん(左)と お友達の小山悦子さんは下関での小学校の同窓会へ行くところ。

あの栄光をもう一度! 『カーテンコール』

 さて、冒頭に書いたような下関の映画 館史を垣間見せてくれるのが『カーテン コール』。昭和30年〜40年代の映画館で映画と映画の幕間に芸を見せていた芸人 修平(藤井隆)の生きざまと、それを調べ る現代のライターを描いた作品だ。現 代の場面ではカモンワーフや下関駅西口 付近、唐戸ボードウォークなどの新しい 施設も登場する。かつて下関駅西ロに実在 した「みなと劇場」の外観は北九州市 八幡での撮影だが、そこに映し出された のは、当時のお正月の下関のにぎわい。 下関と北九州の延べ1500名のエキス トラが歩く姿が映っている。
  このロケ、実は私も取材させていただ いた。皆さんが真夏の炎天下、着物や冬服、 マフラーで塞がる演技をこなしていた。 映画館の看板や売店など細部にまでこだ わった佐々部組の力作は見応え充分。に ぎわっていた当時の劇場と、閑散とした 現代の劇場の姿との対比も見事だ。茶山 通りでみな口々に「昔はこの通りの幅全 部に人があふれていた。お正月は特にに ぎやかで朝までお店が開いていた」と語っ た、まさにその光景がスクリーンの中に 再現されている。
若き修平が「下町の太陽」の唄に乗っ て自転車で疾走するのは、彦島と竹ノ子 島をつなぐ竹ノ子島橋。識を後ろに立てて自転車で走る・・・『ニュー・シネマ・パ ラダイス」を思い出すようなシーンだ。 実際、日本でも映画のフィルムを自転車 で配達していたそうだから、この作品が 「日本版ニュー・シネマ・パラダイス」と 呼ばれるのも無理はない。この橋の欄干、 よく見ると筍の形をしている。
修平と良江(奥貫薫)のデートや、現 代のライター・香織(伊藤歩)が海を見 つめる老の山公園の緑の美しい丘陵から は、北九州や日本海沿岸が一望できる。
下関三部作には含まれないが、やはり 同監督の『出口のない海』という作品も、 豊浦町の海岸で撮影された。角島の海よ りはもっと藍が濃い海の色。水のある風景 を作品ごとに巧みに使い分けているの がよくわかる。

(写真)P14下/幕問芸人の安井修平(藤井隆)とファンの良江(奥貫薫)は結ばれる。 「みなと劇場」で娘の里美を囲んで和む場面。
(写真)P15左中/竹ノ子島橋と南風泊港。
(写真)P15左下/老の山公園から見た海。緑の美しい公園は絶好のウォーキングコースだ。

“本物”を後押しする 「映画の都」

 佐々部監督の作品だけでなく、さまざ まな作品に登場しているのが、長府。城 下町の風情が今も色濃く残り、歴史を訪 ねる観光客も多い。幕末に命懸けでイギ リスに密航した長州藩の5人を描いた『長 州ファイブ』(07年・五十嵐匠監督)は、 時代劇なので長府毛利邸や町並みの撮形 はもちろんのこと、高杉晋作が奇兵隊を 率いて挙兵した功山寺は『風の外側』(07年・奥田瑛二監督)や『獄に咲く花』(10年・ 石原興監督)、土塀と石畳の小路は『チル ソクの夏』や『カーテンコール』にも登 場している。
  大切な人と大切な思い出話をするのに は、どんな場所が適切か。歴史ある小路を歩いて育った子供たちは、どう成長し ていったか。ほんの 一瞬の風景や背景か らも作品に込められた想いは伝わるのだ。
なぜそこを選んだのか。ロケ地から見 えてくるのは、そこで 暮らす人々のリア ルな息づかいや風景。それを写し取るこ とで 映画の世界が“本物”になる。今回、 数多くのロケ地を巡り歩い て確信できた こと。 それ下関には映画を本物にする 素材と風景があふれているということだ。 この街はきっと、過去も未来も、天然の「映 画の都」としてあり続けるのだろう。

山口由美子(やまぐち・ゆみこ)

福岡市出身・在住の映画ライター。西日本新聞 「なんじゃこらシネマ」〜「シネマこの場面」、朝 日新聞「コレが旬!」ほか、各紙誌で映画を紹介。KBC九州朝日放送の招待試写会関連の仕事 や、映画関係の福岡キャンペーンや宣伝などプ ロモーション活動、大学の映画イベントでの講 演などで活躍している。

(写真)P16上/ 『チルソクの夏』や『カーテンコール』でも登場した長府の石畳。
(写真)P16中/『風の外側』に登場した長府・功山寺の山門。
(写真)P16下/長崎新町や笹山町あたりの丘の上には、こんな坂道が多い。

映画の女神(ミューズ)に見守られて〜田中絹代賞

 日本の映画賞の中でも歴史と権威を誇る毎日映画コンクール(毎日新聞社ほか主催)。 その中で下関出身の大女優、田中絹代の名前をそのまま冠しているのが、日本映画界の発展に貢献した女優に授与される「田中絹代賞」だ。 絹代の名を後世に残したいと1986年に創設。第1回は吉永小百合さんが受賞。
以後、倍賞千恵子、三田佳子、岩下志麻、十朱幸代、岸恵子ら日本を代表する女優各氏が受賞している。 昨年は高橋恵子さん、今年は江波杏子さんが受賞。2010年2月にオープンした「田中絹代ぶんか館」2階には、歴代受賞者のパネルが 飾られた田中絹代賞コーナーがある。ちなみに下関市から贈られる副賞は「ふく、うに、くじら」。名女優さんたちがますます下関大好きになってくれるのは、 間違いない?

■下関市近代先人顕彰館 田中絹代ぶんか館

下関市田中町5-7/Tel:083-250-7666/9時30分〜17時(入館は16時30分まで)/月曜(祝日の場合は翌日)休館/入館料200円(2階の田中絹代記念館のみ有料)
松田優作が食べていた「大阪屋」のちゃんぽん

 下関漁港に近い「まるは通り」の一角 に懐かしい“昭和の食堂”がある。 あの松田優作がよく通っていた「大阪屋」だ。 「小さい頃からお母さんと、中学時代はよく友だち4人で来てました」と女将の中西信子さん。俳優になってからも休みになると、たびたび「ただいま帰りました」と言って入って来ていたとか。注文するのは、必ずご主人・茂さん(2010年11月ご逝去)のつくる昔ながらの醤油味のちゃんぽん。優作さんのちゃんぽん好きは有名だったが、その原点がこの優しい和風味だったのだ。

■大阪屋

Tel:083-222-7993/11時〜15時 不定休

(写真)中/中西茂さん(故人)と信子さん。
(写真)下/茂さんの父作次郎さんの出身にちなみ「大阪屋」と名づけた。 昭和12年に細江町(旧下関駅前)で開業。 同年27年に現在の場所に移転した(昭和30年頃撮影)。

市民参加型の映画製作に取り組む 鴻池和彦さん

 郵便局長さんが映画監督?下関大和町郵便局長の鴻池和彦さんは、かつて東京でCM製作や映画のプロデュースを していた経歴を活かし、下関を舞台に映画作りをしている。「きっかけはしものせき映画祭にボランティアで参加したこと。その時の仲間と一緒に2008年から作り始めました」と鴻池さん。初めての作品「ショートケーキ」は18分の短編。その手応えが2作目「誰かのポートレート」(29分)につながり、最新3作目の「花音 kanon」(45分)は地元の中学生を主人公に起用し、14歳の少女の成長を描いた。1年に1作のハイペースでしかもだんだん長編になっていく。「創ることに触れて、みんな映画の見方が変わった。自己満足ではなく、最善を尽くして観る側の視点に立った映画作りをしたい」と話す。
二足のわらじは大変そうだが「映画と郵便局の仕事は右脳と左脳みたいに、両方でバランスがとれています」と笑う。「花音」は2011年3月下旬〜4月に公開予定だ。

(写真)P15下中/鴻池和彦さん。
(写真)P15右下/去年夏の撮影風景。シーモールや綾羅木海岸など下関ならではの風景が多いが、今回は学校でも撮影ができた。

コリアンフードで街を元気に、映画づくりにも貢献〜下関コリアンフード協会

 下関はコリアタウンやコリアンフードの本場。それらは重要な要素として、下関発信の映画にもしばしば登場する。「コリアタウンから下関をもっと活性化したい」とグリーンモール商店街で始められた「リトル釜山フェスタ」は昨年の11月で10周年を迎え、文化体験講座や雑貨市、第1回コリアンフードフェスタなど盛りだくさんな内容の「下関・リトル釜山マンス」へと発展。県内外から約4万5千人を集客する大イベントとなっている。コリアンフードフェスタでは焼肉や韓国料理はもちろん、「下関とんちゃん鍋」を広めようと仕込みの実演や販売に1万人の人々が詰めかけた。「韓国料理と日本の味が融合した下関生まれの鍋料理。新たな下関名物にしたい」とコリアンフード協会会長の慮徹男さん。
映画とはロケ協力やシアター・ゼロへの応援、撮影隊の食事などつながりも深く、佐々部清、奥田瑛二、グ スーヨンの各監督もお店に食事に来たり、応援メッセージを寄せたりと交流がある。下関映画の元気の秘密は、コリアンフードにある?

■下関コリアンフード協会

Tel:083-224-5523 /http://www.buchiuma.com/

(写真)中/マスコット・キャラクター。 青と赤の唐辛子の後ろにはニンニク。
(写真)下/「リトル釜山フェスタ」で韓国のファーストフードに行列をつくる人々。

佐々部清監督インタビュー 「下関はさまざまな時代の風景の宝庫です」

下関を舞台にしたたくさんの映画をつくってきた
佐々部清監督に、テレビドラマ編集の合間、インタビューしました。

編=編集部 佐=佐々部監督

編 監督の作品には、故郷下関への限りない郷愁を感じます。
佐 7歳まで茶山通り近くに住んでいました。あ の頃の風景が心に焼き付いていて、そういう郷愁をもとに、人間の本質を描いていきたいと思っています。
編 映画との関わりは?
佐 中学時代には、下関で観られる映画はすべて観ていました。
編 いつか作る側になりたいと思われたのですね。
佐 大学で8ミリ映画を撮るようになりました。 最初から本気で、売れる映画をめざしました。
編 映画の申し子のようです。作品には、海がよく出てきます。
佐 撮影地を選ぶのに、瀬戸内海からぐるっと山陰に向かって北浦まで、つぶさに歩きました。ここだ!というポイントに出会うのは、やはり下関の海岸なんです。時代という意味でも、下関はさまざまな時代の風景の宝庫です。
編 今後の抱負を聞かせてください。
佐 とにかく、まずはいい映画をつくること。気 に入ったら、応援していただければいい。芸どころでもある下関の人は目が高いので、よい作品を送り出したいですね。

2010年1月29日、映広スタジオ(東京・紀尾井町)にて

佐々部清(ささべ・きよし)

1958年、下関市生まれ。映画監督。明治大学文学部演劇 科、横浜放送映画専門学院(現・日本映画学校)卒業。84 年より映画・テレビドラマの助監督。 2002年『陽はまた昇る』(日刊スポーツ映画大賞 石原 裕次郎賞受賞、日本アカデミー賞優秀作品賞受賞)で 監督デビュー。 『チルソクの夏』、『四日間の奇蹟』、『カーテンコール』は 下関三部作。後味のいい作品にファンが多い。最新作『日 輪の遺産』は今夏公開公開 http://www.sasabe.net/index.html

(写真)故郷下関への郷愁を語る佐々部監督

映画の都しものせきロケ地マップ

観て、歩いて、思い出を重ねて。 ロケ地巡り、よーいスタート!

(a)チルソクの夏/佐々部清監督作品
(b)四日間の奇蹟/佐々部清監督作品
(c)カーテンコール/佐々部清監督作品
(d)出口のない海/佐々部清監督作品
(e)風の外側/奥田瑛二監督作品
(f)偶然にも最悪な少年/グ スーヨン監督作品
(g)長州ファイブ/五十嵐匠監督作品

(1)豊前田町 明治44年、下関市初の映画専門常設館「朝日館」誕生(a)
(2)長崎新町 主人公・郁子の家という設定の長屋 下関育ちの"原風景"が一帯に残る(a)
(3)茶山通り かつての下関一の繁華街(a)(c)
(4)矢玉漁港・恵比寿神社 郁子の新聞配達シーン(a)
(5)角島大橋 主人公の如月敬輔(吉岡秀隆)が「すごいなあ」と呟く(b)
(6)大浜キャンプ場 「つのしま自然館」は療養所として登場 礼拝堂のセットも残る(b)
(7)角島灯台 灯台の光が映画に重要な役割を発たす(b)
(8)特牛駅 真理子(石田ゆり子)と倉野医師夫妻(西田敏行・松坂慶子) の出会いの駅、伊上畑駅(b)
(9)唐戸ボードウォークカモンワーフ 唐戸は現在の人気スポット(c)(f)(e)
(10)下関駅 「みなと劇場」は現在の下関駅西口にあった(c)
(11)竹ノ子島橋 修平(藤井隆)が映画のフイルムを積んで自転車疾走(c)
(12)老の山公園 修平と良江(奥貫薫)デート場所(c)
(13)長府古江小路 長府を象徴する土塀と石畳の小路(a)(c)
(14)上新地町(伊崎町)(d)
(15)恋人灯台(e)
(16)グリーンモール商店街(e)
(17)藤原義江記念館(e)
(18)功山寺(e)
(19)火の山公園(a)
(20)関門トンネル人道(a)
(21)みもすそ川公園(a)
(22)長門市場(c)
(23)長府毛利邸(g)

(地図)映画の都しものせきロケ地マップ(横川功)


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硬派浪漫主義者(ハードロマンチッカー) グ スーヨンの影を追え!

よくぞ俺をマイノリティーにしてくれましたッ。
ラッキー!!(本人談)

文・写真=大野金繁

(写真)夜の目黒銀座通り(東京都目黒区)を歩くグ スーヨンさん。

観衆の胃袋を鷲づかみした 『プルコギ』

 圧倒的な肉の量感と質感が描きだされ、 その中に顔ごと突っ込むかのような映像 - 『プルコギ』は冒頭を観るだけで焼肉屋 に走りたくなる映画だ。その喚起力の源 に監督本来の生業- CM制作-があるの は間違いない。東京・中目黒の目黒銀座 通りのビル2階にある行きつけの居酒屋 「博多いずみ田」で本人が語りはじめた。 「エンターテイメントを利用してコマー シャルをやりたい」
グ監督は映画で何を「広告」しようと 言うのだろう。「焼肉文化」だろうか。そ れもあるかもしれない。しかし、これま で撮った2本の映画作品の主人公が、在 日コリアンであり韓国人であることから も明らかなように、広告したい対象は日 本に生きるマイノリティー、「在日」だ。 しかも暢気に見えて芯の強い、言い換え れば肝の据わった在日。 「ぼくら、虐げられたとか鹿でもないです から。弱いやつのことを慮って、ぬるい 映画を撮ってどうなるんですか」
この店の名物メニュー「慶州鍋」に溶 かし込む、監督用特製オイル漬けトウガ ラシのように、鋭さと激しさを伴った自 己表明、と同胞批判。ぐいぐいと喉に流 し込む芋焼酎による勢いも加わり、強烈 な生き方がいよいよ露になってくる。

在日を自ら「広告」する運命

 そもそもグ監督は、在日であることを自ら広告してまわる運命にあった。
というのも、生まれたときから通名(日本名)がない。
「韓国キリスト教会の長老だった親父は、 通名を名乗ったんじゃ、正統性をもって 在日社会に応えられないい、と思ったんでしょう。それで韓国名を通した」
おかげで息子は小学校もグー、バイト先もグー、喧嘩をするときもグー。(『ハードロマンチッカー』ハルキ文庫)
いわばパーでよくチョキでもよいジャンケンで、拳を固めたグーしか出せないようなもの。30年、40年前の地域社会は言うに及ばず、出身地下関の在日社会で さえ、「グーだけ男」は突出して目立った。 誰だって「自分は何者であるのか」と 悩み、自己のアイデンティティを社会に対して相対化していくものだが、監督の 場合、「在日である」意味を問う前に「在日でしかない」生身の自分が存在していたわけだ。
グ スーヨンという姓名によって。
もっとも、目立つことは悪いことでは ない。19歳で上京し、広告業界に身を置 いたとき、たとえば技量が同じだと、在日の方が面白いかも、と軽いノリで仕事 を任された。グー効果だ。
そうやって在日を武器に仕事を続ける あいだにも時代は移る。偏見や差別があっ たから「在日」が生まれたのに、ゴミ箱 に蓋をするようにそれらは見えにくく なった。
グ監督自身も「こじゃれたクリエイター」に成り下がる。
「夜間の専門学校を出てよくここまで来た なあ、と。そんなとき身体を壊して3ヶ 月入院ですよ。CMで賞を取り、生意気 になって、病院は個室で偉そうにして。 でも、こじゃれたCMって、ほんとは誰 かの真似なんです」
ふと、自分に問うた-下関にいたとき、 何やってた?
オレは弱い在日とは違う、オレの方法論を見つけてやる、とあえいでいた。生身の在日、グーだった。

ゴミ箱の蓋を突き破った傑作

 病院のベッドを出て、そのころに戻ろうとしたのではない。しかし、ゴミ箱の蓋は開けたい。開けて、中に詰まったゴミをまき散らし、腐臭とともに世にさらすのだ。『偶然にも最悪な少年』『ハードロマンチッカー』という2篇の小説と、『プルコギ』『偶然にも最悪な少年』の2本の映画はこうして生まれた。
映画『偶然にも最悪な少年』の主人公カネシロヒデノリ(市原隼人)と佐々木由美(中島美嘉)の喧嘩シーン。
由美:あんたは何?こいつらの子分?
カネシロ:ただの韓国人
由美:だから何?それがあんたの武器ってワケ?(略)死ぬほどだらないのね
2003年のこの映画に、もはや「グー効果」はない。少女に軽く蔑まれるほど、武器としての「在日」は古びていた。
中日黒から渋谷に移動。東急本店前でタクシーを降りると、グ監督はラブホテルが林立する道玄坂に入り、贔屓のバー「シブヤべース」への階段を降りた。
「日本の在日なんか、世界ではまるで相手 にされてない。お前らに何の意味があるか?ってなもん。だから、ちゃんとした武器を持たねーとな」
次代の在日はいかにあるべきか、その「広告」の準備は整いつつあるようだ。強 烈に舌を刺激するきゅうりのニンニク漬け(懇意の客が持ち込んだもの)を肴に ハイボールを重ねながら、グ監督は熱い息を吐いた。
「うめぇ。もっと無茶したいな」
新作映画はそういう作品になるはすだ。

グ スーヨン 

1961年、在日韓国人2世として下関市に生まれる。CMディレクター、小説家、映画監督と多彩な顔をもつ。夜間の美術系専門学校を卒業後、広告制作会社に入社。(株)サンアドを経て1994年にGOOTV COMPANY設立。CMディレクターとしてのデビューは26歳。スポンサーはサントリー、タレントはケビン・コスナーだった。以後CMの製作本数は1000本を越え、「脱いでもすごいんです」(TBC)、「鼻血を流す金城武」(ライフガード)など話題作を作り続ける。ACC最高賞ほか広告受賞多数。2001年「ハードロマンチッカー」で作家デビュー。翌年「偶然にも最悪な少年」(ハルキ文庫)を刊行し、03年に映画化。自らメガホンをとり監督デビューを果たす。2007年に「プルコギ」公開。

(写真)バー「シブヤスペース」(東京都渋谷区)にて


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幕間にウケるシネマチックな甘味

心やさしい人情映画のような食感「松琴堂」の阿わ雪

 ふわふわ、しりとりという常套句を超え て「ほわはわ、さふさふ」がぴったりくる。 名物「阿わ雪」は心温まる人情映画を観た後のような食感。厳選された卵白と砂糖と寒天のみで、全行程手づくりを今なお守る老舗の銘菓だ。創業は幕末の慶応年間。かの伊藤博文公が「春の淡雪を思わせ菓子の王の冠たる物」と言い「阿王雪」と命名され た。直筆の題字は今も受け継がれている。 下関を代表するお菓子として、皇室や著名人にもファンが多く、金子みすゞや田中絹代も喜んで食べたという。下関大丸店ほかもある。

松琴堂(しょうきんどう)

下関市南部町2-5  Tel:083-222-2834  9時〜18時  日曜・祝日休み

(写真)中/河わ雪1本930円、ひとロ大の阿わ雪「ゆき花」6個1150円。
(写真)下中/落ち着いた店構えに、老舗の風格が感じられる。
(写真)下右/西原清子さんと由実さん母娘。味の秘密は一子相伝という。

どこか佐々部作品に通じる大衆菓子 「巌流本舗」の巌流焼

 大正10年(1921)創業、白餡のドラ焼き 巌流焼の老舗。小麦粉、砂糖、卵だけでつくられるシンプルな外皮と北海道産のインゲン豆をじっくり練りあげた白餡のハーモニーが絶妙だ。「高級菓子ではなく、中の上をめざす大衆菓子ですよ」と謙遜気味に話す水津勉社長。佐々部清監督とは「巌流焼」の電柱看板を縁に、『チルソクの夏』ロケ以来懇意で店内には同監督作品のポスターが、にぎやかに貼ってある。黒餡が好きな向きには「おそいぞ武蔵」がある。彦島店、川中店、下関大丸店もある。

巌流本舗(がんりゅうほんぽ

本社・工場 下関市長府扇町6-44 Tel:083-248-3150 8時〜17時 水曜休み

(写真)中/巌流焼は1個157円。6個入り1,050円、10個入り1,732円など。おそいぞ武蔵は1個147円。
(写真)下中/白黒合わせると1日約9000個のドラ焼きを生産している。
(写真)下左/荒海の絵をバックに笑顔のスタッフがアドバイスしてくれる。


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ツツウラウラ発おたより劇場

 授業で坂本龍馬を勉強している時に『083』を見つけて、龍馬の活動がよくわかりました。 授業で活躍できて、うれしかったです。
(12歳 女性 下関市)

 下関出身で、いつかは帰りたい土地です。龍馬とお龍のように、誰か好きな人といっしょに歩けたら最高です。
(28歳 女性 神戸市須磨区)

 下関は食べ物が美味、「知っちょる」などの方言も大好きです。毎月乗るスターフライヤーで前号予告から、龍馬特集を待ちわびていました。読んで泣かされました。三吉慎蔵さんが龍馬さんを助けてくれたから、今の日本があるのですね。歴史あるこの街の人々を尊敬し、編集の方に感謝します。東京人として、恩返ししていきたいです。
(47歳 女性 東京都練馬区)

 東京在の娘の夫が三吉慎蔵ファンで、先日いっしょに功山寺のお墓に参りました。貴誌は毎号ボリュームたっぷり、心のこもった取材編集で、下関の自慢です。市民の私たちも元気が出ます。
(68歳 男性 下関市)

 貴誌に出会って、下関のイメージがずいぶん変わりました。近々、北九州旅行を予定していましたが、「歴女紀行」を参考に下関メインに変更します。今からドキドキ!
(37歳 女性 鹿児島県霧島市)

 大河ドラマ『龍馬伝』後半、故郷下関が出てきて懐かしく、茂木健一郎さんの下関贔屓が、ファンとしてますますうれしくなりました。
(70歳 女性 岐阜県多治見市)

 龍馬ブームで土佐・長崎・鹿児島も気になりますが、私は長州にいちばん魅力を感じます。 日本を変える思想を持った人たちと、共感した民。晋作と龍馬が今も生きていたら、などと夢想します。
(30歳 女性 大分県日出町)

 田中絹代の記事を興味をもって読みました。これからも下関ゆかりの文化人をたくさん紹介してください。
(43歳 男性 千葉県柏市)

めざせのシネマの達人!しものせき映画の街スタンプラリーに参加しよう

下関市では2011年6月から、市内の映画ロケ地を巡るスタンプラリーが始まる。今号の記事で紹介したロケ地(19ページ地図参照)を訪ね歩けば、下関が「映画の都」であることを実感していただけるはずだが、このキャンペーンによってさまざまな特典が付き、プラスアルファに楽しめる。ロケ地巡りでは、参加者全員が主役だ。

開催期間 2011年6月1日〜2012年3月31日
開催場所 市内で撮影が行われた映画の各ロケ地
※「スタンプ台紙」と「下関ロケ地マップ」はスタンプポイントに設置。

特典    「しものせき映画入門」コース
4つのスタンプポイントをまわって応募。
抽選で下関映画にまつわる賞品をプレゼント。

「しものせき映画マスター」コース
20ヶ所すべてのスタンプポイントをまわって応募。
全員に上記賞品と「しものせき映画マスター」認定書を進呈。

お問い合わせ しものせき観光キャンペーン実行委員会 Tel:083-231-1350

○参加費無料


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下関ぶんか人物伝 第2回 金子みすゞ

今や日本中の老若男女の耳にやさしくなじんでいる金子みすゞの詩。
26歳で夭折するまでの7年間を下関で過ごし、下関で詩人になった。
興味深い「みすゞ伝説」を知ることとなる。

文=福田章(本誌・編集人) 撮影=橘野栄二 イラスト=稲葉智美

(写真)みすゞ20歳の頃、南部町の黒川写真館で撮ったとされる写真 (提供=宮本喜一郎氏)

 先日、私は限定販売の不思議な新商品を取り寄せた。金子みすゞの調べを聴いて熟成したという味噌である。麦と合わせ、2種類の味噌にCD付き。CDはみすゞの詩5編に曲を付けて、山口市の歌手ちひろさんが歌ったものだ。最初に「大漁」か入っていた。

朝焼小焼だ 大漁だ
大羽鰮の 大漁だ。

浜は祭りの ようだけど
海のなかでは 何万の
鰮のとむらい するだろう。

童謡待人金子みすゞの眼差しは、いわばやさしい複眼である。 大漁旗を翻して揚々と港へ帰る船団と大にぎわいで迎える陸の人々。まあ通常はその祭り騒ぎに身をゆだねて楽しい時間過ごし、よき思い出をつくればいい。表現者ならば、その高揚感に通じる世界を作品に定着させようとするだろう。だがそこで、みすゞは 同時に、水面下をも見通していた。多くの作品に、この特有の複眼が潜んでいる。
だから見えない麹菌にも働きかけるのね。というのはお調子者 の軽口だが、みすゞの七五調リズムは、とにかく絶品だと思う。 掉尾の1編「きりぎりすの山登り」(一部を30ページ下段に掲載) など極みだ。メロディーを付けなくても、活字のまま脳内に響かせた瞬間、リズムの力で音楽に変わる。天性だろうか?

熱心な映画ファンでもあったみすゞ

 長門市仙崎生まれのみすゞは、20歳になった3日後の大正12年 (1923年)4月11日、母ミチの再婚先である下関の上山文英堂(書店)で働くため、下関へ移り住んだ。以来、昭和5年3月10日自 死するまでの約7年間をこの繁華な港町で暮らした。濃密過ぎるほどの7年間だった。
下関へ移ってまもない6月、雑誌『童話』に詩(「お魚」と「打ち出の小槌」)を投稿すると、選者の西篠八十に絶賛された。鮮烈なるデビュー。金子みすゞは下関在住の詩人となった。よって下関には、いくつかの「みすゞ伝説」が残っている。
入江町の銭湯「喜楽湯」には、よく入りに来ていたという言い伝えがある。20歳の時の写其(27ページ)は南部町の黒川写真館(現・ 村田写真館)で撮ったものだし、死の前日の写真は亀山八幡宮そばにあった三好写真館で撮ったものという。最後に桜餅を買ったのは松琴堂(24ページ)ではないか、とも。
旧秋田商会ビル(みすゞの展示コーナーあり)に始まり、商品 館跡(みすゞが働いた上山文英堂支店)を含む「金子みすゞ詩の小径」という散策ルートも設定されている。約1.6キロ、歩くだけなら30分とかからないが、一帯(広い地域名としては「唐戸」) は人々の憧れだった大都会の余韻がかすかに感じられる。余香に酔うことで、みすゞの作品世界の入り口に立った気分になれる。
大都会時代を具体的に、作品に偲ぶこともできる。 <活動寫眞の樂隊が、だんだん近くなってくる。>と始まる「樂隊」、 <あをいキネマの月が出て キネマの街になりました。>で始まる「キネマの街」などだ。後者は<キネマがへりに月が出て 見知らぬ街になりました。>と結ばれる。映画の感動にどっぷり浸ったあげく、見慣れた街が<見知らぬ街>に見えてきた。いかに映画好きだったか、 またひとときの別世界を言霊で現出させる表現の巧みさが伝わってくる。

テルの哀しみを昇華した詩人みすゞ

 みすゞの足跡をたどるうち、市井の熱心な研究者がおられるとの情報を得た。綾羅木本町にお住まいの木原豊美さんである。ご自宅を訪ねて、お話をうかがった。
「みすゞには、多くの謎があります。上山文英堂では、先に2歳で養子として入っていた最愛の弟正佑といとことして接するよう命じられていましたし、実際に弟は、そう信じ込んでいた。さらに母に対しても『おかみさん』とか『奥様』と呼ばなければいけない環境でした。そこにいるのに、母が遠い。みすゞの詩を丹念に読むと、その多くが母恋いなんですよ。全集512編中、100偏以上に『母』という言葉が出てきます」
本名・テルの哀しみがどのようにか昇華されて、金子みすゞの無垢な作品に結実したのだと、改め認識させられた。

きりぎつちょん、山のぼり、
朝からとうから、山のぼり。
ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。
(中略)
見たよなこの花、白桔梗、
昨夜のお宿だ、おうや、おや。
ヤ、ドッコイ、つかれた、つかれた、ナ。
山は月夜だ、野は夜露、
露でものんで、寝ようかな。
アーア、アーア、あくびだ、ねむたい、ナ。

「でも、『きりぎりすの山登り』って、とても明るく快活でしょう?」
「いいえ、あれこそ詩人として羽ばたく夢を断念し山登りをあきら めたという、詩との決別の思いを込めた一編ですよ。哀調を伏せて、 軽妙に変化(へんげ)させています」
作者の実人生に深入りするより、結晶の作品を味わい尽くすべきであるという芸術界の黄金律にここでも触れた晩秋の昼下がりだった。

と、せっかくきれいにまとめたつもりが、例の味噌の感想を言ってなかった。その味噌汁を飲んだ一日は、たいへん穏やかに過ごせたような気がする。ご賢察を。

金子みすゞ(かねこ・みすず)

明治36年(1903年)、長門市仙崎生まれ。 大正末期から昭和初期にかけて活躍した童謡詩人。華々しいデビューから一転し て、結婚した家庭の事情などで、不遇な「晩年」をおくる。 作品は長く文学史の中で埋没していたが、1980年代に矢崎節夫氏らの努力で再 発見された。 以来、多くの教科書に代表作「わたしと小鳥とすずと」などが採用されている。 昭和5年(1930)、下関で自死。

(写真)P29上/寿公園(南部町)に建つ金子みすゞ
(写真)P29中/旧秋田商会ビル(下関観光情報センター)には、みすゞの展示コーナーがある。
(写真)P29下/みすゞの詩が欄干に刻まれた弁財天橋(田中絹代ぶんか館そば)
(写真)P31/長年、金子みすゞを研究を続けてきた木原豊美さん(下関市綾羅木本町在住)。昨夏出版された詩・写真集『金子みすゞ 心の風景』(美術年鑑社)に、40ページ超にわたる読み応えある解説を書いた。


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リンボウ寸言 次号予告 アンケート&プレゼント

リンボウ寸言『重なりあう風景の町』

林 望
もう何年前になるだろうか。さる雑誌の旅の特集で、初めて下関を訪れて、丸々三日間、防長の野をあちこちしたことがある。その時に、私は、この下関というところには、日本の原風景のような田園が、そしてまた源平時代から幕末、そして近代、昭和にいたる歴史が、重層的に息づいているということに、俄然感銘を受けた。本号にもちょっと触れられている矢玉の湊などは、その後も私は、「もっとも美しい河口集落の風景」として、各地で講演をする度に紹介しつづけている。心がほんとうにほわっとなるような、風景と人心の温かさ。本号にも、この町の持つそういう独特の空気が、そこはかとなく描き取られている。また行ってみたくなるなあ。



アンケート&プレゼント

 『083』は今これを手に取られたあなたのための情報誌です。つねに深い眼差しを心がけて、皆さまの役に立つ情報を、ワンテーマ方式で下関市から発信してまいります。第8号についてのご感想、及び今後特集してほしいテーマやとっておきのお知らせなどを、綴じ込みハガキでお寄せください。ア ンケートに回答いただいた方の中から抽選で○A 「スターフライヤー」の北九州-東京羽田間ペア往復空港券目録を1名様に、○B モデルプレーンを5 名様に、○C 4ページに登場する奥田瑛二さんのサイン入り映画『風の外側』DVDを1名様に、○D 8ページで紹介したシアター・ゼロの映画鑑賞ペア券を5組10名様にプレゼントします。応募締切は平成23年8月31年消印有効。当選の発表は発送をもってかえさせていただきます。なお、応募はお一人様1号につき1通に限らせていただきます。複数応募は無効となりますので、ご注意ください。



次号予告(2011年9月1日発行予定)
隣のコリア

海の向こうはすぐ韓国・釜山。 活発な往来のあった下関は 日常風景にコリア情緒が溶け込んでいる。 異色の文化をキャッチしよう!



下関の情報を航空機内で 本誌『083(ゼロハチサン)』を配布

 本誌『083』は北九州空港と東京羽田空港を結ぶスターフライヤー便の 機内でも配布されています。北九州空港を発着する航空便は、東京便が3 社で1日16往復と、わが国の国内定期路線では最も朝早く飛び立ち、最も 夜遅く終着を迎える路線として関門・北九州地域の観光、ビジネスの足と なっています。また、下関市内から北九州空港までは、連絡バスや乗合い タクシーが運行されています。「映画の街」として、観光に力を入れる下関 市では自然、歴史、文化をはじめとするすばらしい地域資源をひとりでも多 くの方に知っていただくため、 (株)スターフライヤーの協力を得て、同社の北九州-東京羽田線の機内で本誌『083』を2010年1月から乗客の皆さんに配布して います。

083 ゼロ ハチ サン うみ やま たいよう VOL.8

2011年3月1日発行
編集人=福田章 ディレクター=大野金繁 本文デザイン=押見保
編集委員=林 望
発行=下関市 〒750-8521 山口県下関市南部町1番1号  Tel:083-231-2951(総合政策部広報広聴課)
制作統括=サンデン広告(株) 印刷=(株)アカマ印刷 協力=下関市の皆さん
アドバイザー=
下関フィルム・コミッション 常任委員長 冨永洋一
九州芸術学館山口校 代表 伊藤丈年

○バックナンバーのご希望は、下関市までお問い合わせを。
創刊号、第2号、第3号は在庫切れです。
Tel:083-231-2951(総合政策部広報広聴課)
○下関市ホームページからも電子ブックで『083』が読めます。
http://www.city.shimonoseki.yamaguchi.jp/083/

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