情報誌「083」テキスト版 情報誌「083」トップページへ

表紙イメージ
『083(ゼロハチサン)』
うみ やま たいよう
VOL.10
2012年3月1日
下関市発行
表紙イラスト(青年時代の宮本武蔵)=川崎のぼる
撮影地=巌流島の武蔵・小次郎像
撮影=大野金繁
▼テキスト版目次
 
テキスト版へ 2 特集 よみがえる決闘の聖地
テキスト版へ 4 プレミアム・トーク
宮本和知 サウスポーの武蔵、巌流島に上陸す!
撮影=大野金繁
テキスト版へ 8 川崎のぼる、決闘名場面を再現!
作画=川崎のぼる 文=福田章
巌流島決闘の巻/源平合戦の巻
解説&熱闘熱写コラム集
決闘の聖地をこう描いた〜巨匠の素顔インタビュー
よみがえる決闘の聖地マップ
テキスト版へ 23 ツツウラウラ発おたより劇場
観光情報「平家を愛した下関」
テキスト版へ 24 味な決闘! しものせき超B級グルメ  3本勝負
撮影=橘野栄二
「長州くじら亭」のくじらカツカレー vs 「おおはま食堂」の海鮮丼
「御食事処よもやま」の菊川風焼そうめん vs 「竹膳」のぶっかけそば
「陣屋」のうにソフト vs 「フレッシュしおかぜの里」のわかめソフト
テキスト版へ 28 下関ぶんか人物伝 第4回 佐山聡
テキスト版へ 32 リンボウ寸言 アンケート&プレゼント



特集 よみがえる決闘の聖地

海峡の都、下関は日本史の転換点において、つねにメインステージの役割を担ってきた。
折しも今年、宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島決闘から400周年。
一方、NHK大河ドラマは壇之浦ゆかりの『平清盛』が人気沸騰中。
明治維新の胎動も、この街だった。
熱く燃えた勝負の歴史を、劇画界の曙をなしたあの巨匠、川崎のぼるさんが描く。
サウスポーの武蔵(!)も巻頭に帰郷し、このたびはグルメもたっぷり対決路線で。
戦い済んで日が暮れて、日はまた昇る。今日も、そして明日も……。

(写真)P2,3/下関市立長府博物館収蔵の源平合戦図屏風(原寸タテ121.5p、ヨコ256.6pで全六扇あるうちの右側第一扇と第二扇を除いて掲載)


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プレミアム・トーク 宮本和知 サウスポーの武蔵、巌流島に上陸す!

撮影=大野金繁 構成=編集部

(写真)P4/剣豪武蔵への敬慕を胸に、巌流島(背景の陸地)へ渡る宮本和知さん。

サウスポーの武蔵、巌流島に上陸す!

1980年代から90年代にかけて、
プロ野球・読売巨人軍で貴重な左腕として活躍し、
3度の胴上げ投手になった宮本和知さん。
現役引退後も明朗快活なキャラクターで、人を惹きつけている。
今も愛し続ける故郷下関の彦島から船に乗り、
ますます萌えるアスリート魂をひっさげて、いざ巌流島へ渡った。

武蔵は「アスリートの鑑」

 巌流島かぁ、懐かしいなぁ。武蔵・小次郎の決闘から400周年という節目に、たまたま武蔵と同じ姓の僕が、渡し船で巌流島へ渡るというのも、因縁めいたものを感じますね。子どもの頃はそんなに、ここが決闘の地だと意識することもなかったけれど、下関を出て野球選手になり、逆にふるさとを思う年齢になると「あの有名な聖地は自分の故郷にあるんだ」と、誇らしい気持ちをずっと持っていました。
宮本武蔵は百戦錬磨で無敗の剣士です。完璧をめざして、心技体を磨きに磨き抜いた男。まさに「アスリートの鑑」だと、僕は思っています。彼の人生に、多くのスポーツマンが追求すべきヒントがありそうです。引退後、テレビの仕事などで武蔵の足跡をあちこち訪ねたことがありますが、わくわくして歩き回りました。そのひとつのクライマックスの舞台がここ巌流島なんだから、いつも上陸した途端、血湧き肉踊ります。興奮して、ジャイアンツ時代を思い出しますね。 

チャレンジ精神が運を呼ぶ

 僕が生まれたのは彦島です。彦島は、壇ノ浦の戦いで滅んだ平家が最後の砦にした地でもある。安岡にある下関工業高校を卒業するまで、18年間、彦島に住んでいました。小学生までは兄や弟ともサッカーに明け暮れ、「宮本三兄弟」なんて持ち上げられたこともありましたよ。中学校の時に野球に目覚めたものの、本格的に始めたのは高校に入ってから。ピッチャーになったのは高2です。
野球をやってよかったのは、人間として大切な礼儀を学びながら、たくさんのすばらしい仲間たちに恵まれたこと。今でもつきあいが継続しています。下関にもいっぱい残っています。
僕は最初からプロ野球の世界をめざしていたわけではなかった。プロでやるには線の細い体だったので、常にチャレンジ精神をもって最大限、努力していました。そうすると運を呼び込める。2年生で甲子園常連の宇部商業高校との練習試合で完封勝ち、そこからエースを務めるようになった。結局、甲子園には出られなかったけど、野球の実績で川崎製鉄水島(岡山県)に入社できて、社会人野球を続けられました。
そして1984年のロサンゼルス五輪に全日本チームの一員として出場して、金メダル。当時のチームには和田豊(のち阪神、現在の監督)、正田耕三(のち広島)、伊東昭光(同ヤクルト)、広沢克己(同ヤクルト→巨人→阪神)など、錚々たるメンバーが揃っていました。金メダルがきっかけで、その年のドラフトでジャイアンツから3位指名を受けました。

「球恩」に報いたい

 僕は生涯、チャレンジャーであり続けたい。野球やサッカー以外にもいろんなスポーツに取り組んだし、数年前にはロサンゼルスでスポーツ心理学を学んで、ライセンスを取得しました。万事、プラス思考で生きています。今住んでいる神奈川県葉山町でつくった少年野球チーム「葉山巨人軍」でも、子どもたちに決して失敗を恐れず、前向きにプレーするよう指導しています。昔、クロマティ外野手なんかと特に親しかったのも、島国的な守りの姿勢から逸脱したキャラが合致したのでしょう。
僕は野球のおかげで、ここまで来れました。それに加えて「長州人」の、どこにいても同郷人どうし助け合い、応援しあう気質。最近、「球恩」ということを考えていて、「宮本和知旗争奪野球大会兼山口県学童選手権大会」の決勝大会・表彰式(5月)や「宮本和知杯争奪野球大会兼下関少年野球協会春季リーグ戦」の表彰式(4月)には、毎年参加しています。下関、山口県から将来のプロ野球選手が出てほしい。キャスターの仕事でも、OBだからとプロ野球の現場を上から目線で見るのではなく、謙虚に下から見て、そのすばらしさを子どもたちに伝える媒介でありたいのです。
足下にも及びませんが、武蔵だって連戦連勝でふつうなら孤高の大家として風を切るところ、死ぬまで挑戦者の心で歩み続けたに違いありません。その結果が伝説の、国民的英雄になったのだと思います。
それにしても関門海峡のこの風、懐かしくて心ときめきます。旅人もこの風に吹かれれば、宮本武蔵の薫陶が得られるかもしれない。下関には、そんな土地のもつ力が潜んでいるような気がします。

(写真)P4/剣豪武蔵への敬慕を胸に、巌流島(背景の陸地)へ渡る宮本和知さん。 (写真)P5/巌流島でピッチング?
(写真)P6/巌流島や関門海峡を一望する彦島弟子待町の丘の上で。左端に海峡ゆめタワーも見える。
(写真)P7/第7回「宮本和知杯争奪大会」に際して子どもたちに熱血指導(2011年4月29日/下関第二球場)。

宮本和知(みやもと・かずとも)

1964年、下関市彦島生まれ。スポーツキャスター。山口ふるさと大使。下関工業高校卒業後、川崎製鉄水島に入社し、84年ロサンゼルス五輪日本代表・金メダリストとなる。同年秋、読売巨人軍にドラフト3位指名され入団。89年セ・リーグ、同日本シリーズ、90年セ・リーグと、3度の胴上げ投手を経験し、97年に引退。通算成績は66勝62敗4セーブ、防御率3.60。引退後は芸能界で活躍しながら、少年野球の指導にも力を注いでいる。 『ズームイン!!サタデー』(日本テレビ)などにレギュラー出演中。
公式サイト http://www.m-bravo.com/index.html

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漫画界の巨匠 川崎のぼる、決闘名場面を再現!

決闘イヤーで盛り上がる下関に、巨匠・川崎のぼるさんがやって来た。
代表作のひとつ『巨人の星』(原作=梶原一騎)も、白球をめぐる決闘のドラマだった。
さらには『ムサシ』(原作=小池一夫)の新解釈の展開に少年たちの胸は鳴った。
まさに“伝説級”の華々しい実績の持ち主。
今回ずばり歴史舞台の下関を取材して、円熟の絵筆を披露してくれる。
懐かしい読者をより懐かしくする巨匠のインタビューは、20ページへ八艘飛び!

作画=川崎のぼる 文=福田章

(写真)P8/川崎のぼるさん
(イラスト) P8/宮本武蔵

巌流島決闘の巻

 慶長17年(1612)4月13日、巌流島(当時は舟島)で世紀の決闘が行われた。宿命のライバルといえる宮本武蔵と佐々木小次郎は、どのような思いで、そこに立ったのだろうか。劇的瞬間の大いなる前後をも俯瞰して、決闘の美学を堪能したい。

(イラスト) P9/宮本武蔵とお通

「赦せ、お通。身は去っていくが、わしの誠はそなたに遺る」
「わかっております。生まれ変わっても、お通は武蔵さまと・・・」
互いを魂のふるさとと思いなしながらも、
愛の実りを二の次にして、
武芸の道をつねに道半ばのごとく
歩み続ける剣聖武蔵。病弱の身を鼓舞し、
海より深い言葉を飲み込んで、武蔵の長久を祈るお通。
ひっそり咲いた情愛の花を海峡の夜風がなでていく。

(イラスト) P10,11/宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘

ここは関門海峡に浮かぶ舟島。
決闘相手の遅参にありありと焦りの色を見せていた巌流、佐々木小次郎。
その時、円明流(のちに二天一流)の宮本武蔵は船上にて粛々と、一本の櫂を削っていた。
やがて初夏の中天に近い陽を背にして砂浜をかける武蔵が、
三尺に余る備前長光の名刀を帯びた小次郎に言い放った。

「小次郎、敗れたり!」

腰に保つべき鞘を海中に投じた敵のふるまいを見て、断じたのである。
「何をこしゃくな! 剣士ならぬ策士めが」
次の瞬間、物干し竿めく長剣が武蔵の眉間に届かんとしたが、
それよりもナノ一秒早く、かの木刀が小次郎の頭を打ち砕いた。

(イラスト) P12/霊厳洞にこもる宮本武蔵

巌流島の決闘は、武蔵の胸になにがしかの悟りをもたらした。
のちに転じた肥後・金峰山山麓の霊巌洞に籠るや、
生きることそのものたる兵法書執筆に没頭する。

地、水、火、風、空。

宮本武蔵の人生は万象を彩る五輪に結実した。
闇にゆらぐ行燈の炎に、決戦の日々がよみがえる。

決闘解説 宮本武蔵 vs 佐々木小次郎

 まずは慶長15年(1610)頃、佐々木小次郎が豊前小倉(現在の北九州市)へ現われていた。巌流小次郎は、兵法好きの藩主細川忠興の命令で家中の指南役となる。 そこへ宮本武蔵が同17年4月、京都から小倉へ下ってきた。天正12年(1584)3月、美作国宮本村(現在の岡山県)で生まれた(異説あり)武蔵は、13歳にして新当流の有馬喜兵衛と決闘して勝利。以来29歳までに60数回の勝負をして無敗を誇る剣豪として知られていた。小倉では武蔵の父無二斎の門弟長岡佐渡守興長が細川家家老となっていた縁で、これも武技絶妙と伝わっていた小次郎との兵法くらべを申し出たのだった。

吉川英治の『宮本武蔵』で国民的ヒーローに

 さて剣豪と呼ぶ以上に日本人の精神性の一種の見本であるかのように定着した武蔵像は、吉川英治が昭和10年(1935)から約4年間、朝日新聞に連載した小説『宮本武蔵』によるところが大きい。作品では多彩な登場人物が動き、お通との恋も悲しい共感を呼んで、国民的文学となった。 慶長17年(1612)4月13日、辰ノ正刻(午前8時頃)、場所は関門海峡の巌流島(当時は舟島)と決められた決闘に武蔵が故意にか、かなり遅れて上陸したことは多くの物語で繰り返されている。一瞬の時間差で武蔵の木刀が命中したことも同様だ。

小次郎贔屓の下関

 だが現地下関には小次郎贔屓の風潮も強くあり、付近の彦島では昭和30年代に「小次郎祭り」が行われていた時期もある。何より敗れた小次郎の流派名が島の名前となっている。 なお決闘当時の巌流島の面積は現在(10万3000平方メートル)の約6分の1の1万7000平方メートルしかなかった。また昭和48年4月まで人が住んでいた記録がある。正式な地番は「下関市大字彦島字船島648番地」。

島へは唐戸桟橋から2社の渡船が出ている。
関門汽船 083-222-1488
チャレンジ 083-223-5887
料金や発着時刻については、各社に問い合わせを。

(写真) P12-1/赤間神宮前の割烹旅館「お富」付近から宮本武蔵は巌流島へ向かったともいう。
(写真) P12-2/決闘の地木碑(左)と巌流島文学碑。
(写真) P12-3/巌流島にある佐々木巌流之碑。
(写真) P12/関門汽船の巌流島行き連絡船。
(写真) P12/チャレンジの巌流島行き連絡船。

源平合戦の巻

  紅勝て、白勝て! 紅白試合の源流といわれる平家と源氏の一大合戦。激烈をきわめた海上の戦いは、人知の及ばぬ潮流の変化が帰趨を決したともいう。800余年の時を超えてなお語り継がれるあまたの悲劇や伝説に、耳を傾ける。

(イラスト) P14,15/源平合戦

四国屋島から舞台を変えての壇之浦。
もはや劣勢極まった平家の中でも随一の精兵の名を恣にしていた武将教経は、敵将義経を討つべく血眼になって追い詰めた。
ついに義経の船を見つけて乗り移り、怪力で襲いかかったまさにその刹那。

義経は飛んだ!

ひらりひらひら船から船へと飛び移り、八艘の彼方へ逃げ去ったのである。
あっぱれ、人間トビウオの図。

(イラスト) P16/耳なし芳一

阿弥陀寺(赤間神宮)に住む盲目の琵琶法師、
芳一は『平家物語』の弾き語りが得意。
「壇ノ浦」の段になると、聴く者すべてが嗚咽した。
リクエストを受けて出かけた平家の墓地を墓地とは知らず、語る芳一。
怨霊を恐れた住職は一計を案じて、このあと芳一の全身に般若心経を写す。
あわれ、書き漏らした両の耳だけが闇に浮き……。
 

決闘解説 平家 vs 源氏(壇ノ浦の戦い)

 平家滅亡へとつながる源平最後の「壇ノ浦の戦い」は、貴族社会から武家社会へと移る日本史の重要なターニングポイントといえる。治承4年(1180)、源頼朝が平家打倒の兵を挙げて以来、5年に及んだ両軍の戦いは寿永4年(1185)3月24日、この地で決着した。
木曽義仲に京都を追われた平家一門はさらに西へ西へと逃れ、一の谷、屋島と敗走。平知盛は関門海峡に浮かぶ彦島(現在は架橋により陸続き)に背水の陣をしいた。彦島は平家にとって、瀬戸内海を自由に航行する制海権を保持するために重要な場所だった。ここで満珠・干珠に陣をしいて東から攻めてくる源氏軍を迎え撃つ作戦に出た。海上戦を平家軍は得意としていた。

今も変わらぬ急潮

 『吾妻鏡』によると平家500余隻、源氏800余隻。この数字の差は、平家方から源氏方へと寝返る者が出たからではないかとされる。加えて最初は東流れの潮流に乗って優勢だった平家軍だったが、昼近くに逆の流れとなって戦況が逆転したという「潮流説」(18ページ参照)が、平家の敗因として根強く信じられてきた。
今、関門海峡が最も狭まった早鞆の瀬戸を眺める「みもすそ川公園」に立つと、当時当日そうであったかは別としても、大型船さえ翻弄しているあきれるほどの急潮に、巧まざるドラマを想像するだろう。義経の八艘飛びも然り。

ドラマを集約したような赤間神宮

 敗戦を悟った二位の尼は、わずか8歳の安徳天皇を抱いて入水した。この時の言葉が「波の下にも都の候ふぞ」。知盛も「見るべき程の事は見つ」と海中に身を投じた。終幕の波間を平家の無数の赤旗がさまよい、船上には源氏の白旗がまぶしく翻っていた。
明治維新まで阿弥陀寺と称していた赤間神宮には、安徳天皇阿弥陀寺陵、平家一門の墓(七盛塚)、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の怪談で有名な「耳なし芳一」にまつわる芳一堂などがあり、壇ノ浦の戦いをしのぶ常設劇場の趣を呈している。劇場が最高潮に盛りあがるのが毎年5月3日の「先帝祭」だろう。
『長門本平家物語』に〈おいつ・へいつ〉の名で見える満珠・干珠の2つの島は、さかのぼって『日本書紀』に、神功皇后が付近で「如意の珠」を得たことが記されている。長府宮崎町の豊功神社からの眺めがいい。
その他、市内各地に平家関連史跡(22ページ地図参照)が点在している。

(写真) P17-1/海岸なのに真水が出たとの言い伝えがある「平家の一杯水」。
(写真) P17-2/源氏軍が兵を集結させたという満珠・干珠。
(写真) P17-3/赤間神宮の七盛塚入り口にある芳一堂。
(写真) P17-4/みもすそ川公園にある源義経像。向かい合って平知盛像もある。
(写真) P17-5/赤間神宮内拝殿。中庭の池に社殿が映る。
(写真) P17-6/平家の残党が落ち延びたといわれる高畑集落にある平家塚(通称「平家やぶ」)。

まだまだあるっちゃ! 手に汗にぎる熱闘熱写コラム集

撮影=大野金繁

(写真) P18/宮本武蔵vs佐々木小次郎対決のポーズを決めるボランティアの宮本真一さん(右)と菊川裕美さん。

「壇ノ浦」とは何か?

 天皇が旅先で祭りを行い、それが終わると祭壇に使った道具をすべて流す。安徳天皇も下関で祭事を行った。祭壇を流した場所が海だったので、壇之浦と名付けられた。長府の壇具川も神功皇后が流した祭壇に由来する。そんな一説を明快に話してくれるのが、赤間神宮の水野直房宮司(21ページに写真)。全国の宮司さんたちが知識や話術でバトルをやったら、優勝まちがいなし!? 宝物殿の源平合戦絵屏風も見ものだ。

(写真) P18/赤間神宮宝物殿の源平合戦絵屏風。

海峡の電光が語るもの

 壇ノ浦の戦いに関する研究をまとめた『水都の調べ』の著者、安冨静夫さん(現・下関市立中央図書館長)は同書の中で、合戦当日の潮流について追究している。「物語としては急潮説がドラマチックだが、現実は旧暦3月24日の小潮で、緩やかだった」が結論。歴史伝説の謎を意識しつつ、関門海峡を眺める際は火ノ山下潮流信号所からの電光潮流信号に注目してみたい。潮流の速度や方向を示す記号が刻々と変化している。

(写真) P18/今は東向きの潮流を表わす「E」が点灯している。

世界遺産目指す前田砲台跡

 幕末、長州藩が英・仏・米・蘭の連合国軍との激しい攘夷戦争に備えて構築した一連の軍事施設のうち、中心的な役割を担った砲台の跡。当時、茶臼山山麓の標高約16メートルの地点に設置された高台場と標高約10メートルの地点に設置された低台場からなり、青銅製の大砲(長州砲)20門が設置されていた。「長州藩において尊皇攘夷から開国を主張する勢力が台頭する契機となった下関四国艦隊砲撃事件の砲台跡」であり普遍的価値を有するものとして、世界遺産登録をめざす動きもある。

(写真) P19/ひっそりと立つ石碑。
(写真) P19/色鮮やかな化粧回しなどを展示。

神社の中の相撲資料館

 日本古来の格闘技ともいえる相撲の資料館が長府・忌宮神社境内にある。とくに小・中・高時代を下関で過ごした元大関・魁傑(のちに放駒親方、前・日本相撲協会理事長)関係の資料が充実。また同神社では毎年8月7〜13日「数方庭祭」が行われる。仲哀天皇の世の新羅との戦いに由来し、太鼓と鉦に合わせて20メートルもの幟を持って舞い回る、天下の奇祭である。

(写真) P19/忌宮神社の数方庭祭。

カモンワーフで決闘見つけたり!

 下関の一大観光拠点「カモンワーフ」では2012年4月1日(日曜日)〜6月24日(日曜日)、11月3日(土曜日)〜11月25日(日曜日)の土日曜と祝日(5月3・4日の海峡まつり時を除く。悪天候時は唐戸市場などでの記念撮影のみ)、武蔵・小次郎決闘の観光寸劇が行われている。本業をもつ人たちによるボランティアだが、その迫力たるや本物だ。今年は決闘イヤーで、さらにヴァージョンアップ!

(写真) P19/息の合ったコンビのパフォーマンスが見られる。

春帆楼と日清講和記念館

 明治28年(1895)3月20日から料亭「春帆楼」で、大清国を相手に大日本帝国が勝利した「日清戦争」の講和会議が開かれた。丁々発止の議論の末、4月17日に講和条約(下関条約)が締結された。隣接地の記念館に、会場で使われた調度品や資料が展示されている。源平合戦や巌流島決闘などとは違った近代史が、リアルに身に迫ってくるようだ。

(写真) P19/会議のテーブルなどを再現した記念館内部。

別冊083 川崎のぼるさんインタビュー

まるでスポ根漫画のヒーローのように精力的に下関を取材し、
決闘物語を見事に活写した川崎のぼるさん。
からからと笑う素顔は、かつての人気者、
大ちゃん(『いなかっぺ大将』の主人公・風大左衛門)を彷彿させる。

インタビューと写真=編集部

閑静な自宅アトリエで義経八艘飛びの絵(14から15ページ)を仕上げる川崎さん。

(編集部)
たいへんな力作です。

(川崎さん)
いやぁ、最近は絵本とか、ゆるキャラづくりとかのやさしい絵ばかり描いていて、久しぶりの細密な劇画で、けっこうたいへんでした。

(編集部)
特にどんなところが、ご苦労なさいました?

(川崎さん)
やはり史実との関係というか、資料によってまちまちなので。決闘時の宮本武蔵のいでたちは素足なのか草鞋履きか、袴か野袴かとか、前鉢巻か後ろ鉢巻かなど。壇之浦で義経に襲いかかった平教経にしても、小長刀でと書いてある資料もあれば素手というのもある。あんまり悩むと収拾がつかなくなるから、自分の直感で取りかかりました。

(編集部)
こちらも勉強不足で申し訳ありません。

(川崎さん)
いえいえ。そういうわけで構図を決めるのに時間がかかりましたけど、着色段階は楽しいもんです。

(編集部)
この巌流島決闘(10,11ページ)の流麗感!

(川崎さん)
これは一瞬のストップモーションに注目していただければ。背景は敢えてシンプルに波だけを描いて静寂を表わしたので、次の瞬間は読者の皆さんの想像にゆだねています。

(編集部)
そして、義経の八艘飛び(14から15ページ)のカラフルで大胆ステキな構図!

(川崎さん)
飛び上がったその距離感を表わすのに、斜めに振りました。絵描きだからね、とにかく格好よく「絵にする、絵になること」が僕の務めだと思っていますから。

(編集部)
スポ根漫画がウケた私たちの少年時代ほどの熱もない、この平和な時代に「決闘」というテーマをどう捉えられましたか?

(川崎さん)
たとえば『巨人の星』では星飛雄馬や花形満やオズマなど、登場人物の生活の中に戦いがあった。彼らはそれを乗り越えた。今は平和というけど、そうではないと思います。あの東日本大震災。被災者の方々は生き延びるか否か、くじけちゃいけないと日々、心の中で格闘されているに違いありません。

(編集部)
もしかして表紙絵の武蔵の凄まじいほどの目ヂカラには、そんな激励のメッセージが込められていたのですね!

(川崎さん)
ハーッハッハッ(大笑)。

(編集部)
最後に、下関の印象を聞かせてください。

(川崎さん)
実は昔『ムサシ』を連載していた頃も行ったことなくて、今回が初めてでした。さすがに歴史ある街で赤間神宮の水野宮司さんはじめ、会う人会う人、皆さんしっかりした歴史観と郷土愛をもっておられる。感心しながら、面白い取材ができました。

(編集部)
フグも決め手に?

(川崎さん)
それを忘れちゃイカン! ハーッハッハッハッ(最高の笑顔で大笑)。

(写真) P21/赤間神宮社務所で水野直房宮司(右)と談笑。

川崎のぼる(かわさき・のぼる)

1941年、大阪市生まれ。57年『乱闘・炎の剣』で漫画家デビューすると、少年誌などでスポーツ・ギャグ・人情漫画など多彩なジャンルの作品を執筆。67年に第8回講談社児童漫画賞を受賞した『巨人の星』(原作=梶原一騎)はスポ根(スポーツ根性)漫画の代名詞となった。68年『いなかっぺ大将』『アニマル1』で第14回小学館漫画賞受賞。武蔵・小次郎の青春群像を描いた『ムサシ』を74年〜77年にかけて『週刊少年サンデー』に連載。ほかに『フットボール鷹』『てんとう虫の歌』『荒野の少年イサム』(原作=山川惣治)など。2003年から熊本県菊陽町在住。07年には絵本『岩石おばさんとホー 猫の火まつり』(原作=福田章/小学館)を発表。

よみがえる決闘の聖地マップ

訪ねれば力が湧いてくる。 下関の決闘舞台は、 歴史を刻むとっておきのパワースポットだ!

地図=横川功

(写真) P22/風雅な名前の壇具川
(写真) P22/赤間神宮にある平家一門の墓(七盛塚)
(写真) P22/源義経が戦勝祈願した大歳神社にある「義経戦捷の弓」石板
(写真) P22/平重盛の守り本尊が安置された西楽寺
(写真) P22/平知盛が建てたとされる清盛塚


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ツツウラウラ発おたより劇場

ビートルで釜山へ行った帰り、福岡から下関・唐戸市場へ立ち寄るためのバス車中で『083』に出会いました。韓国船旅の記事があり、新鮮な思い出がよみがえりました。次は光陽にも、その前にグリーンモールにも、ぜひ行きます。
(32歳 女性 東京都葛飾区)

この前、大阪のコリアタウンに行きました。下関は海モノがおいしくてたまに行きますが、コリアタウンがあることを貴誌で知り、次回は訪ねてみたいです。
(25歳 男性 東京都練馬区)

ラッキーなことに大ファンである松田優作さんの人物伝が掲載されていました。中学高校の後輩にあたる私は、偉大な先輩に誇りを感じます。セリフなしで存在感のあるすばらしい俳優です。
(48歳 女性 下関市)

東京・新大久保のそれよりも歴史がある下関のコリアタウンに、ぜひ行ってみたいと思います。私たちの時代の下関は大洋漁業のクジラの街といったイメージでした。
(62歳 女性 神奈川県藤沢市)

ママとはじめて高速バスにのって083みました。ひょうしのイラストも気にいってみてたら、ニコニコえがおになれたよ。ありがとう。あたるといいな。
(6歳 男性 下関市)

下関コリアタウンに一度行ってみたいと思いました。チマチョゴリは一度着たことがあり、懐かしく感じました。とんちゃん鍋、気になります。
(36歳 女性 滋賀県長浜市)

下関とコリアとの接点を知り、大きな発見を得た。そこで実際に歩いてみた。とても落ち着いた街で好きになった。知人にもオススメしたい。
(31歳 男性 横浜市南区)

貴誌を入手した翌日に地元紙に紹介記事が載っていて、びっくり! その少し前に家人がグリーンモールみやげのゴマの葉やキムチを買ってきていました。こんどは自分が行かなきゃ。
(55歳 女性 島根県浜田市)

「下関にすごく当たる占い師さんがいるんだって!」という友人情報により、近々ツアーを予定していたところへ、『083』のおかげで旅のテーマが増えました。日帰り予定だったのが泊付きプランになりそうです。楽しみ!
(37歳 女性 長崎県大村市)

平家を愛した下関

関門海峡へと身を投げ歴史の表舞台から姿を消した平家一門の御霊を偲び、
語り継いできた下関ならではの展示内容になっています。

源平合戦と赤間神宮

 平清盛の孫、8歳の幼帝“安徳帝”を祀る『赤間神宮』が所蔵する平家ゆかりの重要文化財や貴重な資料の数々を市立美術館にて一挙公開! 悲劇的な最後を迎えた平家一門。その栄枯盛衰を物語る一品一品はどれも必見です。

【開催期間】 2012年4月25日(水曜日)〜5月13日(日曜日)
【開催場所】 下関市立美術館
【開館時間】 9時30分〜17時(最終入館は16時30分)
【休館日】 月曜日(祝日の場合は開館)
【料金】 大人500円、大学生300円、70歳以上及び高校生以下無料
【駐車場】 普通車230台、大型バス7台
【問合せ】 市立美術館 Tel: 083-245-4131

(写真) P23/下関市立美術館
(写真) P23/展示イメージ

錦絵に見る源平合戦(コーナー展示)

 下関市立長府博物館所蔵品を中心に源平合戦に関する錦絵・屏風等を一挙公開!

【開催期間】 2012年7月3日(火曜日)〜9月30日(日曜日)
【開催場所】 下関市立長府博物館
【開館時間】 9時30分〜17時(最終入館は16時30分)
【休館日】 月曜日(祝日の場合は開館)
【料金】 大人200円、大学生100円、高校生以下無料
【駐車場】 近隣有料駐車場あり
【問合せ】 市立長府博物館 Tel: 083-245-0555

(写真) P23/下関市立長府博物館


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味な決闘! しものせき超B級グルメ3本勝負

決闘の聖地、下関では最高の味を求めて、料理人たちも日夜研鑽を重ねている。
今回はいわゆるB級に“超”のつく個性とおいしさで勝負する逸品たちを、決闘スタイルでご紹介。
腹をへらして、戦に出よう!?

撮影=橘野栄二

第1ラウンド ごはんもの対決
「おおはま食堂」の海鮮丼(1,890円) vs 「長州くじら亭」のくじらカツカレー(819円)

 対決の先陣は、やっぱり丼などのごはんものから。
下関は近代捕鯨発祥地であり、南氷洋捕鯨基地として繁栄したことで有名。2011年秋には、改めてクジラを「市の動物」に制定した。クジラ問屋が直営する岬之町の「長州くじら亭」では、日本人の貴重なタンパク源となってきた親しみあふれるクジラ料理が気軽に楽しめる。さっそく、くじらカツカレーを注文。さっくりした衣の中に、茶色っぽい肉が詰まっている。悠々と大海原を遠泳してきたおおらかな食感に、マイルドなカレールウがなじむ。ボリュームがあって、なおかつヘルシー。 グルメ探求心をくすぐる想像的スケール感も豊かな、下関ならではの味。他に単品ものでは、くじらチャーハンやくじらカツどんぶりなどがある。
対するは海鮮丼。めざすは、角島。コバルトブルーの海に架かる角島大橋を渡ると、島の西部に素朴な構えの「おおはま食堂」がある。ここの大好評メニューこそ、海鮮丼だ。持つに余るほどの丼埋め尽くし海の幸の数々。イクラにイカ、ウニ、アナゴ、カニ、ホタテ、メイタ、イシダイ、シャケ、ヒラタ、そしていくつかの野菜が彩りをそえる。刺身の厚さが半端じゃない。丼といいつつ、ごはんなんか見えやしない。心して挑むと、胃袋はもちろん、全身に海が広がった。この満足感、ご主人の辻岡金則さんが毎朝(毎夜中?)1時50分から始まる特牛港のセリで仕入れてきたおかげさま。
下関のごはんもの対決は案の定、海の戦いに。いずれが武蔵か小次郎か。判定は、あなたにおまかせしましょう。

長州くじら亭 (ちょうしゅうくじらてい)

下関市岬之町16-3
Tel: 083-223-0615
11:00〜15:00、17:00〜21:00(オーダーストップ20:30)
日曜11:00〜15:00(オーダーストップ14:30)
火曜休み

(写真) P24/長州くじら亭

おおはま食堂 (おおはましょくどう)

下関市豊北町角島1202
Tel: 083-786-5454
10:00〜16:00
不定休

(写真) P25/おおはま食堂

(写真) P24/「長州くじら亭」のくじらカツカレー(819円)
(写真) P25/「おおはま食堂」の海鮮丼(1,890円)

第2ラウンド 麺対決
「御食事処よもやま」の菊川風焼そうめん(750円) vs 「竹膳」のぶっかけそば(700円)

 麺類ファンにおすすめしたいのは、広?い下関市の穀倉地帯でのグルメ修行。まずは、道の駅きくがわ内の「御食事処よもやま」へ。菊川町特産のそうめんを、なんと焼きそば仕立てにした名物、菊川風焼そうめんを味わう。歯触りのよさと腰の強さで知られる菊川そうめんとほとんどが地元産の野菜が調和し、やさしくて、いい味出してます。味付けは塩こしょうプラス とのことだが、その は秘伝とか。舌を鍛えて出直そう(リピーターになりたいだけってか)。
次に、下関市豊田農業公園みのりの丘にある「竹膳」のぶっかけそば。ここで収穫し、ここで製粉して打たれたそばが賞味できる。ひとすすりしただけで、何てすてきな喉ごしかと感心しきり。心のこもった、ふるさとの滋味といおうか。別途、辛味そばもぜひぜひおすすめ。辛味大根の辛さを、己の味蕾で旨味に転じられるようになれば、グルメ達人への道が開けているかもしれない。ともあれ、麺類修行の旅は気長においしく、チュルチュルとまいろう。

竹膳 (ちくぜん)

下関市豊田町八道601-3(豊田農業公園みのりの丘内)
Tel: 083-766-1270
11:00〜15:00(日曜祝日は10:00〜)
火曜休み

(写真) P26/竹膳(ちくぜん)

御食事処よもやま (おしょくじどころよもやま)

下関市菊川町上岡枝766-1(道の駅きくがわ内)
Tel: 083-287-4650
9:30〜20:00
無休

(写真) P26/御食事処よもやま

(写真) P26/「御食事処よもやま」の菊川風焼そうめん(750円)
(写真) P26/「竹膳」のぶっかけそば(700円)

第3ラウンド ソフトクリーム対決
「陣屋」のうにソフト(300円) vs 「フレッシュしおかぜの里」のわかめソフト(280円)

 身構えず気楽に勝負できるのがソフトクリーム。こちらも海の香、潮の香を競ってくれる。おまけにロケーションも競ってくれて、ありがたい。唐戸の名所カモンワーフにある「陣屋」のうにソフトと旅情たっぷりな角島の一大拠点施設「しおかぜの里角島」の一角、「フレッシュしおかぜの里」のわかめソフト。どちらも研究に研究を重ねて原料の風味を生かした、完全オリジナルの発明品だ。おっと、先入観ご無用。いずれにも生臭さみたいなものはまったくなくて、ちょうどいいあんばいに香りがする。そして、海がますます恋しくなってくる。勝負は甲乙つけがたく、溶けてしまわない前にたいらげる時間との戦いだけが、万人に課せられているのでありました。

陣屋 (じんや)

下関市唐戸町6-1(カモンワーフ内)
Tel: 083-233-2066
9:00〜19:00(12〜3月は〜18:00)
無休

(写真) P27/陣屋 (じんや)

フレッシュしおかぜの里 (ふれっしゅしおかぜのさと)

下関市豊北町角島853-4
Tel: 083-786-0611
10:00〜17:00(7〜8月は〜18:00)
水曜休み(7〜8月は無休)

(写真) P27/フレッシュしおかぜの里 (ふれっしゅしおかぜのさと)

(写真) P27/「陣屋」のうにソフト(300円)
(写真) P27/「フレッシュしおかぜの里」のわかめソフト(280円)

見逃せないB旧デザート 「桃太郎」のミルクセーキ

 関っ子なら誰でも知っている老舗うどん店「桃太郎」。
名物のうどんに負けず劣らぬ人気を誇るのが昔ながらのミルクセーキ350円だ。
氷と卵と上白糖と練乳だけを製氷機にかけてつくる懐かしい味。液体状ではない、食べるミルクセーキです。市内の3店舗で。

(写真) P27/下関帰省者にも大人気!(カラトコア店で撮影)

桃太郎本店 (ももたろうほんてん)

下関市唐戸町1-13
Tel: 083-222-3030
9:00〜18:00
水曜休み

(写真) P27/桃太郎本店 (ももたろうほんてん)


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下関ぶんか人物伝 第4回 佐山聡

1980年代初め、プロレス界に一大ブームを巻き起こした「初代タイガーマスク」。
四次元レスラーの異名をとったその男こそ、下関が生んだ超一流の格闘家、佐山聡である。
決闘イヤーの今年、佐山は巌流島に凱旋する。(敬称略)

構成=編集部 写真提供=リアルジャパン

(写真) P38/がっちりした肉体に日本の武道精神を宿す初代タイガーマスク、こと佐山聡。

武蔵に通じる四次元レスラー

 人気漫画『タイガーマスク』の少年誌連載開始から13年後の1981年4月23日、ついに生身のタイガーマスクが、今はなき蔵前国技館に登場した。ダイナマイト・キッドを相手に、打撃技やメキシコ仕込みの空中殺法を次々に繰り出し、開始ゴングから10分足らずでジャーマンスープレックスホールドで快勝。その後も変幻自在の動きで連戦連勝して、大旋風に。そのスタイルは実況の古舘伊知郎から「四次元プロレス」と形容され、日本のプロレス界に革命を起こしたといわれる。
同日のテレビ放送ではアナウンサーや解説者らが「肌の色からして東洋人でしょうか?」「タイのムエタイの流れも汲んでいますねぇ」などと推理をたくましくしていたが、その中身は下関出身のレスラー、佐山聡であった(素顔を公表したのは一時引退直後の83年8月のテレビ番組)。
タイガーマスクとしてのシングル通算成績は155勝1敗9分けで、その1敗も反則負け。フォール負け無しは、無敗の剣士宮本武蔵に通じるかもしれない。

柔道に励んだ長府中学時代

 1965年、下関市立豊浦小学校2年生の佐山は父親のすすめで町の柔道場へ行った。格闘技との出会いである。当時の柔道には武士道の名残りがあり、各地の道場で厳粛な雰囲気の中で行われていた。おおかたは武士の時代と同様、精神鍛錬を旨として神社の一角にあったようだ。そこで佐山は、練習よりも礼儀の方を厳しく指導されたという。
小学校高学年になるとプロレスに憧れをもち、同市立長府中学時代はレスラーをめざして柔道に励んだ。山口県立水産高校(長門市)入学後、アマチュアレスリングで頭角を現わす。1年生で県のチャンピオンとなり、国体級の3年生さえ倒せるようになったのだ。運動神経や胆力に確かな自信を持ち、高校を中退し、青雲の闘志を抱いて上京。75年7月に新日本プロレス入門、翌年5月、魁勝司戦でデビューした。
77年11月14日、日本武道館において梶原一騎主催で行われた「格闘技大戦争」では全米プロ空手ミドル級1位のマーク・コステロに判定負けを喫したが、翌年メキシコへ渡り、ルチャリブレ(メキシカンスタイルのプロレス)の技を身につけつつ「サトル・サヤマ」のリングネームで活動。80年にはイギリスへ渡り、その名も「サミー・リー」に。ここでは東洋武術を想起させるレスラーとして抜群の人気を誇っていた。そこへ新日本プロレスから帰国を要請され、冒頭のマスクデビューが待っていたのである。

佐山聡 (さやま・さとる)

1957年、下関市生まれ。プロレスラー、総合格闘技「修斗」創設者、掣圏真陰流興義館総監。柔道、アマレス経験ののち新日本プロレスに入門。海外遠征を経て、圧倒的な運動神経とセンスを見込まれ、「タイガーマスク」としてデビューし、一世を風靡した。『タイガーマスク』(原作=梶原一騎/作画=辻なおき)は68年1月から『ぼくら』などで連載され、69年10月からアニメでテレビ放映されていた。人気絶頂の83年に新日本プロレスを引退し、86年には新格闘技「シューティング(現・修斗)」を創設。さらに99年、市街地型実戦武道「掣圏道」を創設した。173センチ、98キロ。

(写真) P29/武蔵の再来を思わせる武道掣圏の迫力あふれる動き。

礼節を重んじ「掣圏真陰流」を創始

 練達の武道家の常として、佐山は骨の髄まで礼節を重んじる。『真の勇者とは』(佐山聡著/2001年ビジネス社刊)に書いている。
<相手に対し自分の甘えである我を押し通すことは武道精神に反することになるのは言うまでもない。しょせん我を通すとは、自分のことをわかってくれよという、器が小さくてはみ出してしまった心の叫びなのである。(中略)真に強いハートとは、純粋さを秘め、礼儀正しくノーマルな態度をとる人間であり、絶対に本物であるか偽者であるかをわからせない、「わかってくれよ」とも言わない大きな器を持った者にこそ宿るのである。>
その延長に、現在の精神武道「掣圏真陰流」、2010年に大会を始めた新生武道「武道掣圏」があると見ていい。「掣圏真陰流 興義館 義訓」を記そう。

 掣圏士の覚悟

義を重んじ
いかなる者をも尊ぶべし

無限の境地を極め
大事に無の境地たる
不動の魂を具えるべし

慢心 虚栄心 不服心 狡猾心
疑心 不安心 表に出さず
我を押さえ自己を忍ぶ
覚悟の極め我にあり

義を見て為さざるは勇なきなり

(写真) P30/“虎ハンター”で鳴らした小林邦昭(右)を相手に。

400年目は25年目、巌流島がリングになる

 2010年12月25日、漫画「タイガーマスク」の主人公である「伊達直人」を名乗る正体不明の人物が、群馬県中央児童相談所へランドセル10個を送った。児童養護施設へ素性を伏せて寄付をするやり方が漫画の世界と酷似していたことから、その後も全国でブームのように続いた動きを「タイガーマスク運動(現象)」と呼ぶようになった。
佐山はその現象を客観的に眺めて評価していたが、むしろ一線を引いて、直接関わることは避けていた。しかし周囲の声の盛り上がりに抗しきれず、11年11月4日「初代タイガーマスク基金」を設立。理事長として、日本や子どもたちの未来のために貢献することを力強く約束した。東京都内で催された記念パーティーにはテレビアニメ『タイガーマスク』の主題歌を歌った森本英世(当時の芸名は新田洋)も駆けつけて、懐かしい同曲を熱唱したことが報道された。
森本はのちの「敏いとうとハッピー&ブルー」のリードボーカルでもあり、勇ましい主題歌とはまるで毛色の違うムード歌謡のヒット曲「星降る街角」「わたし祈ってます」も披露。これ以上は余談だが、出席していた真樹日佐夫(2012年1月2日死去。漫画『ワル』などの原作者で、梶原一騎の実弟)がアントニオ小猪木(お笑いタレント)の手を取って踊りだす一幕もあったという。
そして武蔵・小次郎の決闘から400年に当たる今年2012年5月5日、佐山らが旗揚げした「レジェンド・ザ・プロレスリング 巌流島5・5マッチ」が開催される。佐山が期待を込めて語る。
「わが師匠のアントニオ猪木さんが、巌流島で87年10月4日にマサ斎藤さんと決戦しました。それからでも四半世紀です。同じ巌流島で試合できて、感無量。語り継がれる世紀の決戦にしたいですね」
格闘技に日本の伝統的精神を重ねて不抜の精進を続ける男、佐山聡。故郷下関・巌流島への凱旋を、全国のプロレスファンが熱いハートを満艦飾にして待望しているはずだ。

(写真) P31/“虎ハンター”で鳴らした小林邦昭(右)を相手に。


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リンボウ寸言 アンケート&プレゼント

リンボウ寸言 『嗚呼、巌流島!』

林 望
そうであった。巌流島は、下関にあるのだった。私たちの世代にとっては、あの、武蔵・三船敏郎、小次郎・鶴田浩二、お通・八千草薫の、懐かしい東宝映画の世界が、彷彿と浮かんでくる。1956年の作だから、私はまだ七歳だったが、その頃見た映画の決闘シーンを今でもありありと思い出すことができるのだ。稲垣浩・監督、團伊玖麿・音楽、伊藤熹朔・美術、などなど、スタッフも役者衆も、その錚々たる顔ぶれを見ると、映画の黄金時代の迫力が伝わってくる。が、私の巌流島体験は、後にも先にもこの映画に尽きていて、その後幾度も下関を訪れたが、まことに残念なことに、未だ巌流島に見参することを得ない。これはぬかった、次回の探訪には是非。

アンケート&プレゼント

 『083』は今これを手に取られたあなたのための情報誌です。つねに深い眼差しを心がけて、皆さまの役に立つ情報を、ワンテーマ方式で下関市から発信しています。第10号についてのご感想やとっておきのお知らせなどを、綴じ込みハガキでお寄せください。アンケートに回答いただいた方の中から抽選で(A)「スターフライヤー」の北九州-東京羽田間ペア往復航空券目録を1名様に、(B)同機のモデルプレーンを5名様に、(C)4ページに登場する宮本和知さんのサインボールを1名様に、(D)8ページに登場する川崎のぼるさんのサイン入り絵本『岩石おばさんとホー猫の火まつり』(小学館)を5名様にプレゼントします。応募締切は平成24年10月31日消印有効。当選の発表は発送をもって代えさせていただきます。なお、応募はお一人様1号につき1通に限らせていただきます。複数応募は無効となりますので、ご注意ください。

休刊のお知らせ

情報誌『083』は、この第10号をもって休刊することになりました。下関市の最新情報については、今後も下関市のホームページなどで発信してまいります。2007年秋の創刊以来、ご愛読いただき、誠にありがとうございました。

下関の情報を航空機内で 本誌『083(ゼロハチサン)』を配布

 本誌『083』は北九州空港と東京羽田空港を結ぶスターフライヤー便の機内でも配布されています。北九州空港を発着する航空便は、東京便が3社で1日16往復と、わが国の国内定期路線では最も朝早く飛び立ち、最も夜遅く終着を迎える路線として関門・北九州地域の観光、ビジネスの足となっています。 また、下関市内から北九州空港までは、連絡バスや乗合いタクシーが運行されています。今再び決闘の聖地として注目され、さまざまな歴史エピソードをもつ都市として観光に力を入れる下関市では、自然や文化なども含めたすばらしい地域資源をひとりでも多くの方に知っていただくため、株式会社スターフライヤーの協力を得て、同社の北九州-東京羽田線の機内やサービスカウンターで本誌『083』を2010年1月から乗客の皆さんに配布しています。

083 ゼロ ハチ サン うみ やま たいよう VOL.10

2012年3月1日発行
編集人=福田章>br> ディレクター=大野金繁
デザイン=山田一成
編集委員=林 望
発行=下関市
〒750-8521 山口県下関市南部町1番1号
Tel: 083-231-2951(総合政策部広報広聴課)
制作統括=サンデン広告株式会社
印刷=株式会社アカマ印刷
協力=下関市の皆さん
アドバイザー=下関フィルム・コミッション 常任委員長 冨永洋一
九州芸術学館山口校 代表 伊藤丈年

○バックナンバーのご希望は、下関市までお問い合わせを。
創刊号、第2号、第3号、第5号、第7号は在庫切れです。
Tel: 083-231-2951(総合政策部広報広聴課)
○下関市ホームページからも電子ブックで『083』が読めます。
http://www.city.shimonoseki.yamaguchi.jp/083/

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