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歴史上の人物の中で、最も人気が高いとされる坂本龍馬。龍馬は薩長同盟締結後、終の棲家として下関に居を構えました。この地で愛妻お龍と共に過ごし、志を共にする同志達と夢を語り明かしました。京都で凶刃に倒れ、この地に戻ることは出来ませんでしたが、龍馬の所縁の品々を展示する下関市立長府博物館や龍馬ゆかりの地が今も残っています。
| 龍馬資料の展示 | 下関発見伝 | 龍馬紀行 |
| イベント情報 | パンフレット | 顔出し看板 |
| 下関市立長府博物館 | ||
| 博物館本館(旧長門尊攘堂)は戦前の博物館施設の典型として、国の有形文化財に登録されています。 所蔵品は、長府毛利家遺品・幕末維新資料を中心に各時代各分野にわたり、その中には坂本龍馬に関する資料も保存・展示されています。 |
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| ◆下関市立長府博物館の情報はこちら | ||
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| 龍馬が下関で過ごしたのは6カ月余りと言われています。 龍馬がいた時代を思い浮かべながら「下関の龍馬ゆかりの地」を散策してみませんか。 ※平成22年8月、下関市内16カ所に、坂本龍馬関連説明板を設置しました。設置場所は、地区別の地図上に●で記しています。 |
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| A | 下関駅周辺を歩く |
| 小倉戦争の初戦を、高杉晋作との共同作戦で勝利に導いた龍馬。 二人が次に向かったのは、竹崎の勤王商人白石正一郎邸でした。 ※下の地図で、●の印のところに、説明板が建っています。 |
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| 桜山神社/さくらやまじんじゃ |
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龍馬の死後、下関に滞在していたお龍は、一時期、桜山招魂社(招魂場)運営のために設けられた「あけぼの」という茶屋で、橙の実を短銃で撃ったり、一晩中飲み明かしたりして過ごしたといいます。この間、お龍は桜山招魂場に祀られた人々への想いを詠んでいます。 「武士(もののふ)の かばねはこゝに 桜山 花は散れども 名こそ止(とど)むれ」 【下関駅周辺の地図に戻る】 |
| 「桜山神社」についてはこちら |
| 白石正一郎宅址/しらいししょういちろうたくあと |
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小倉戦争最中の慶応2年(1866)6月20日、龍馬は幕府軍の切り崩し工作をするため、高杉晋作とともに訪れました。 【下関駅周辺の地図に戻る】 |
| 「白石正一郎旧宅跡」についてはこちら |
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| B | 唐戸周辺を歩く |
| 慶応3年(1867)春、龍馬がその活動の本拠と定めたのは、かつて薩長同盟の地均しのため、幾度となく訪れた町“馬関”。そこには、海峡の町に暮らす人々のやさしさがありました。 ※下の地図で、●の印のところに、説明板が建っています。 |
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| 青春交響の塔/せいしゅんこうきょうのとう |
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幕末、下関を舞台に活躍した龍馬と晋作の、篤い友情と志を示す塔。両雄の更なる顕彰を祈念して平成15年に建立されました。 【唐戸周辺の地図に戻る】 |
| 「青春交響の塔」についてはこちら |
| 伊藤助太夫(九三)邸跡(本陣伊藤邸址)/いとうすけだゆう(きゅうぞう)ていあと(ほんじんいとうていあと) |
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慶応元年(1865)以来、龍馬の止宿先となった伊藤家の跡。この邸宅の一室が、慶応3年(1867)2月から、愛妻お龍との生活の場となりました。龍馬の「終の棲家」。 【唐戸周辺の地図に戻る】 |
| 「伊藤助太夫(九三)邸跡(本陣伊藤邸址)」についてはこちら |
| 入江和作邸跡/いりえわさくていあと |
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「奈良屋」と称して酢の醸造業を営んだ豪商入江家屋敷跡。 当主の入江和作は、高杉晋作や奇兵隊などの活動を物心両面から支えた一人でした。勤皇の志士たちの信頼も厚く、慶応元年(1865)閏5月、薩長同盟締結に向けて下関を訪れた坂本龍馬が最初に訪ねた先が同家でした。 【唐戸周辺の地図に戻る】 |
| 末広稲荷神社/すえひろいなりじんじゃ 旧赤間関稲荷町跡/きゅうあかまがせきいなりまちあと |
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龍馬が遊んだ稲荷町の面影を、今に伝える稲荷神社。神社下を通る北浦街道沿には、旧赤間関稲荷町跡の碑が建っています。 【唐戸周辺の地図に戻る】 |
| 「末広稲荷神社」についてはこちら |
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| C | 城下町長府を歩く |
| 龍馬の夢に未来を感じた長府の武士(もののふ)たち。龍馬とともに泣き・笑い・奔った者たちの志は、今なおこの街で語り継がれています。 ※下の地図で、●の印のところに、説明板が建っています。 |
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| 覚苑寺/かくおんじ 毛利元周墓所/もうりもとかねぼしょ |
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龍馬を高く評価した長府藩13代藩主 毛利元周(もとかね)の墓所があります。龍馬に衣類や刀を下賜した他、一時金を供与して、その活動を直接的に支援しました。なお、元周の墓のそばには、伊予大洲藩(いろは丸の船主)から嫁いできた奥方の墓もあります。 【長府の地図に戻る】 |
| 「覚苑寺」についてはこちら | ||
| 三吉慎蔵生家跡/みよししんぞうせいかあと |
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坂本龍馬の盟友三吉慎蔵の小坂家の跡。 天保2年(1831)10月11日、長府藩の剣術指南小坂土佐九郎(こさかとさくろう)の次男として出生した慎蔵は、7歳の時に父の門に入り、日々鍛錬に打ち込む少年時代を過ごしました。 【長府の地図に戻る】 |
| 三吉慎蔵邸跡/みよししんぞうていあと |
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慶応2年(1861)1月23日、京都伏見の寺田屋で坂本龍馬とともに遭難して以来、厚い友情で結ばれた長府藩士三吉慎蔵の屋敷跡。 龍馬は同家を訪ねた際、敷地内に建っていた蔵の中で、慎蔵と密談を交わしていたといいます。なお、三吉慎蔵は「謹厳無双(きんげんむそう)」と称されるほど実直な人柄で、また宝蔵院流槍術(ほうぞういんりゅうそうじゅつ)の使い手としても知られています。 【長府の地図に戻る】 |
| 桜柳亭跡/おうりゅうていあと |
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藩校敬業館(けいぎょうかん)で漢詩を教授していた福田扇馬(せんま)が、藩士のみならず、広く一般にも門を開こうと設立した私塾「桜柳亭」の跡地。 英語や航海術の必要性を痛感した扇馬は、坂本龍馬の協力を得、長府の若者たちを率いて長崎に赴き、英語などを学びました。維新後、扇馬はこの時の経験をもって大阪で英語を教授して後進の育成に励み、また、共に長崎留学をした長府の若者たちは、新政府の技師や海軍の軍人として活躍しています。 【長府の地図に戻る】 |
| 印藤聿生家跡/いんどうのぶるせいかあと |
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坂本龍馬と長府藩のパイプ役として、その政治活動を支援した長府藩士印藤聿の生家である下村家の跡。維新後、印藤は士籍を捨てるとともに名を「豊永(とよなが)長吉(ちょうきち)」と改めて経済活動に専念し、関門地域の殖産興業に尽力しました。 【長府の地図に戻る】 |
| 功山寺/こうざんじ 長府藩士の墓所/ちょうふはんしのぼしょ |
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龍馬と交流し、その活動に協力した長府藩士たちが永眠しています。 【長府の地図に戻る】 |
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| 「功山寺」についてはこちら | |||
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| ▲功山寺の総合説明板 | ▲「三吉慎蔵墓所」説明板 | ▲「印藤聿墓所」説明板 | ▲「三吉周亮墓所」説明板 |
| 下関市立長府博物館/しものせきしりつちょうふはくぶつかん |
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郷土の歴史博物館。収蔵品は、長府毛利家遺品・幕末維新資料を中核として、下関の各時代各分野に渡ります。 「坂本龍馬愛用の飯碗と湯呑」「新政府綱領八策」など龍馬直筆の手紙や愛用品などを収蔵しており、龍馬の愛した下関を、歴史的に堪能することができます。 【長府の地図に戻る】 |
| 「下関市立長府博物館」についてはこちら |
| 三吉周亮邸跡/みよしかねすけていあと |
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長府藩家老三吉周亮の屋敷跡。 幕末、20代半ばという若さで、長府藩の内政・外交・軍事に辣腕(らつわん)を振るった周亮は、下関へとやってきた坂本龍馬から相談を持ちかけられたこともありました。 【長府の地図に戻る】 |
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| D | その他 |
| 巌流島(船島)/がんりゅうじま(ふなしま) |
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慶応3年(1867)春、下関(本陣 伊藤邸)に世帯を構えた坂本龍馬とその妻お龍。ある夜、巌流島にこっそりと渡り、花火を打ち上げたと、後年、お龍が語っています。どこで花火を上げたかは皆様の想像にお任せいたします。 |
| 「巌流島」についてはこちら |
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| 東行記念館/とうぎょうきねんかん |
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晋作の遺品をはじめ、奇兵隊や、幕末から明治にかけて活躍した人々の遺品や資料を収蔵・展示しています。 多くの「勤王の志士」たちと交流した晋作は、坂本龍馬とも親交厚く、上京する龍馬にピストルを贈った話や、一緒に小倉戦争を戦った話などが遺っています。晋作の才能を高く評価した龍馬は、家族に宛てた手紙の中で晋作を「天下之人物」として紹介しています。 |
| 「東行記念館」についてはこちら | |
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| ◆龍馬ゆかりの地を巡る観光モデルコースはこちらから→ | ![]() |
◆下関と坂本龍馬の関係を、龍馬に関った下関市の人々とともにご紹介します。

| 「龍馬と下関」の関係年表 |
| 和暦 | 西暦 | 月 | 出来事 | |
| 天保6年 | 1835 | 11月 | 郷士坂本八平の二男として高知城下に生まれる。 | |
| 文久2年 | 1862 | 3月 | 土佐藩を出奔。(脱藩1回目) | |
| 4月 | 下関に立ち寄る。(推定) | |||
| 12月 | この頃、勝海舟が提唱する海軍設立に共鳴し、以後海軍塾・海軍操練所の創設に協力。 | |||
| 文久3年 | 1863 | 6月 | 外国艦隊の長州攻撃を黙視する幕府に対して憤り、「日本を今一度せんたく」しようと決意する。 | |
| 元治元年 | 1864 | 11月 | 神戸海軍操練所の事実上の閉鎖。 勝の斡旋で、薩摩藩の庇護下に入る。(脱藩2回目) |
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| 慶応元年 | 1865 | 5月 | 薩長同盟締結に向けて活動開始。 太宰府で長府藩士の時田少輔らと会談。 |
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| 閏5月 | 薩長同盟締結の地ならしのため下関を訪ね、桂小五郎(木戸)と会談。 桂より薩摩藩名義による武器購入を依頼される。 |
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| 9月 | 西郷から預かった密書を長州へ届けるとともに、長州藩から薩摩藩への米提供を依頼。 | |||
| 10月 | 下関に入り、長府藩士印藤聿や下関の大年寄伊藤九三と面談。 | |||
| 12月 | 下関に入る。薩長同盟締結に向けて木戸に上京を説得。 | |||
| 慶応2年 | 1866 | 1月 | 長府藩士三吉慎蔵と上京。薩長同盟締結。 寺田屋事件発生。三吉慎蔵とともに窮地を脱する。 |
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| 6月 | 小倉戦争に参戦。 高杉晋作とともに幕府軍と戦う。 |
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| 12月 | 長崎より下関に入る。 | |||
| 慶応3年 | 1867 | 1月 | 公式に下関を居所にすることが決まる。 | |
| 2月 | 愛妻お龍を下関に呼び、伊藤九三よりその邸宅の一室「自然堂」を借り受けて生活を始める。 この頃、夫婦で伊藤家の歌会に参加。 |
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| 3月下旬 | 下関を離れ、長崎に向かう。 | |||
| 4月 | 海援隊長となる。龍馬の乗船する「いろは丸」が、紀州藩船「明光丸」と衝突、沈没。 | |||
| 5月 | 下関に帰還。「いろは丸事件」談判のため、交渉地となった長崎へ向かう。三吉慎蔵・印藤聿・伊藤九三にお龍を託す。 | |||
| 6・8月 | 下関に一時帰還。 | |||
| 9月 | 長崎から土佐に向かう途中、下関に立ち寄る。 お龍・下関との永訣。 |
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| 11月 | 「新政府綱領八策」を起草。 京都にて、凶刃に倒れる。 下関で龍馬の帰りを待つお龍は、全身傷だらけでしょんぼりと枕元に立つ龍馬の夢を見たという。 |
※主要な参考文献:「龍馬の翔けた時代」京都国立博物館/「坂本龍馬と下関」下関市立長府博物館
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| 下関市の広報誌で、平成21年12月より平成22年12月までの12回、「龍馬紀行」と題して、下関にある「龍馬ゆかりの地」を1年間にわたって紹介しました。 |
※詳細については、各龍馬紀行をクリックし、ダウンロードしてご覧ください。
◆龍馬紀行「長府博物館」掲載ページ(PDF形式:1.3MB)/2009年12月15日市報「かがやき」掲載
◆龍馬紀行「万骨塔」掲載ページ(PDF形式:735KB)/2010年1月15日市報「かがやき」掲載
◆龍馬紀行「白石正一郎宅跡」掲載ページ(PDF形式:1.25MB)/2010年2月15日市報「かがやき」掲載
◆龍馬紀行「入江和作邸跡」掲載ページ(PDF形式:941KB)/2010年3月15日市報「かがやき」掲載
◆龍馬紀行「青春交響の塔」掲載ページ(PDF形式:240KB)/2010年5月号「市報しものせき」掲載
◆龍馬紀行「伊藤九三邸跡」掲載ページ(PDF形式:662KB)/2010年6月号「市報しものせき」掲載
◆龍馬紀行「稲荷町」掲載ページ(PDF形式:207KB)/2010年7月号「市報しものせき」掲載
◆龍馬紀行「巌流島」掲載ページ(PDF形式:1.36MB)/2010年8月号「市報しものせき」掲載
◆龍馬紀行「長府商店街」掲載ページ(PDF形式:1.31MB)/2010年9月号「市報しものせき」掲載
◆龍馬紀行「功山寺」掲載ページ(PDF形式:1.49MB)/2010年10月号「市報しものせき」掲載
◆龍馬紀行「覚苑寺」掲載ページ(PDF形式:575KB)/2010年11月号「市報しものせき」掲載
◆龍馬紀行「桜山神社」掲載ページ(PDF形式:611KB)/2010年12月号「市報しものせき」掲載
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| 下関市内で開催している(開催予定の)、各種イベントを紹介いたします。 | |
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| 「下関と坂本龍馬の関係」をまとめたパンフレットを紹介いたします。 | ||||||
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龍馬のあしあと | |||||
パンフレットについてのお問い合わせは 下関市立長府博物館 下関市長府川端1丁目2−5 Tel 083-245-0555 下関市立長府博物館制作ホームページはこちら ※パンフレットのダウンロードができます。 |
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龍馬と歩こう! | |||||
パンフレットについてのお問い合わせは 下関市観光政策課 下関市田中町5−6 Tel 083-231-1350 ●パンフレットのダウンロード(PDFファイル) |
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| 全ページ (11,253KB) |
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龍馬と下関 | |||||
パンフレットについてのお問い合わせは 下関市観光政策課 下関市田中町5−6 Tel 083-231-1350 ●パンフレットのダウンロード(PDFファイル) |
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| 下関内にある、龍馬関係の顔出し看板をご紹介いたします。ご家族や友人、カップルと・・・。 楽しい旅の思い出に、一枚いかがですか? |
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