韓国派遣職員レポート

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年月 記事タイトル
2012年5月 「釜山広域市における外国人観光客の推移〜釜山広域市統計年報を活用して〜」(「メッセ海外通信」4〜6月号掲載記事 釜山派遣職員 高野 良之)
2012年2月 「釜山の観光は「コリアパス観光カード」で!」(「メッセ海外通信」1〜3月号掲載記事 釜山派遣職員 植田 禎俊
2011年11月 「韓国訪問の年、韓国内の旅がお得」(「メッセ海外通信」10〜12月号掲載記事 釜山派遣職員 植田 禎俊)
2011年2月 「2020年の釜山を体感できる」(「メッセ海外通信」10〜12月号掲載記事 釜山派遣職員 植田 禎俊)
2010年11月 「メディカル・ツーリズム(医療観光)」が釜山の観光を後押し!(「メッセ海外通信」10〜12月号掲載記事 釜山派遣職員 植田 禎俊)
2010年8月 「映画の故郷・釜山」を支える釜山フィルムコミッション!(「メッセ海外通信」7〜9月号掲載記事 釜山派遣職員 植田 禎俊)
2010年5月 韓国グルメ・釜山の屋台(ポジャンマチャ)について(「メッセ海外通信」4〜6月号掲載記事 釜山派遣職員 植田 禎俊)
2010年2月 釜山における10大戦略産業の育成について(「メッセ海外通信」1〜3月号掲載記事 釜山派遣職員 藤川 雅宏)
2009年11月 市民が参加する地球温暖化対策について(「メッセ海外通信」10〜12月号掲載記事 釜山派遣職員 藤川 雅宏)
2009年8月 釜山日本人学校について(「メッセ海外通信」7〜9月号掲載記事 釜山派遣職員 藤川 雅宏)
2009年5月 釜山日本人会の社会活動について(「メッセ海外通信」4〜6月号掲載記事 釜山派遣職員 藤川 雅宏)
2009年1月 世界的景気減速の時代の日韓地域交流発展について(「メッセ海外通信」1〜3月号掲載記事 釜山派遣職員 藤川 雅宏)
2008年10月 ボーダーレスな時代の交流発展について(「メッセ海外通信」10〜12月号掲載記事 釜山派遣職員 藤川 雅宏)
2008年7月 国際観光交流の促進について(「メッセ海外通信」7〜9月号掲載記事 釜山派遣職員 藤川 雅宏)
2007年12月 韓国サンドイッチ論(「メッセ海外通信」1〜3月号掲載記事 釜山派遣職員 久保 伸子)
2007年9月 復活した関釜親善陸上競技大会(「メッセ海外通信」10〜12月号掲載記事 釜山派遣職員 久保 伸子)
2007年6月 黄金の豚の年 韓国にベビーブーム到来か(「メッセ海外通信」7〜9月号掲載記事 釜山派遣職員 久保 伸子)
2007年1月 大きいことは良いことか(「こくさいか山口」1〜3月号掲載 釜山派遣職員 久保 伸子)
2006年10月 10組に1組は国際結婚(「こくさいか山口」10〜12月号掲載 釜山派遣職員 久保 伸子)
2006年7月 韓国統一地方選挙(「こくさいか山口」7〜9月号掲載 釜山派遣職員 久保 伸子)
2006年4月 関釜連絡船100周年の意義(「朝鮮通信史」2月号掲載 釜山派遣職員 古川 力)
2006年1月 第二の故郷へ送るエール(「こくさいか山口」1〜3月号掲載 釜山派遣職員 古川 力)
2005年10月 朝鮮通信使と下関(「こくさいか山口」10〜12月号掲載 釜山派遣職員 古川 力)
2005年7月 IWC蔚山会議に出席して(「こくさいか山口」7〜9月号掲載 釜山派遣職員 古川 力)
2005年4月 ピンポン外交?私の「草の根交流」(「こくさいか山口」)4〜6月号掲載 釜山派遣職員 古川 力)
2005年2月 在釜山日本国総領事館主催日本語弁論大会 下関市長賞受賞者 研修旅行記
2005年1月 第2回釜山貿易EXPOを終えて(「こくさいか山口」)1〜3月号掲載 釜山派遣職員 古川 力)
2004年10月 「冬のソナタ」が我々に伝えるもの(「こくさいか山口」)10〜12月号掲載 釜山派遣職員 古川 力)
2004年7月 勉強熱心な韓国人。さて私たちは?(「こくさいか山口」)7〜9月号掲載 釜山派遣職員 古川 力)
2004年4月 KTX開通で韓国パワー加速!(「こくさいか山口」)4〜6月号掲載 釜山派遣職員 古川 力)
2003年10月 たこ焼き屋台出現(「こくさいか山口」)10〜12月号掲載 釜山派遣職員 石田 朋彦)
2003年8月 コンビニはあるけど 酒屋がない(「こくさいか山口」7〜9月号掲載 釜山派遣職員 石田朋彦)
2003年7月 簡単便利 インターネット(「こくさいか山口」4〜6月号掲載 釜山派遣職員 石田朋彦)
2003年3月 大世界における済州道の動き(その2) (中央日報)
2003年3月 大世界における済州道の動き(その1) (朝鮮日報)
2003年2月 大邱の地下鉄火災事故 (朝鮮日報)
2003年2月 全自治体で電子民願サービス、電子地方税告知も本格実施 (ソウル市ホームページ、毎日経済新聞)
2003年1月 盛んになる公営競技 (朝鮮日報)
2002年12月 宝物は根気よく探すもの(「こくさいか山口」)1〜3月号掲載 釜山派遣職員 石田 朋彦)
2002年12月 2004年月にはソウル−釜山間で超高速鉄道の営業開始 (朝鮮日報)
2002年12月 新大統領の首都移転公約をめぐって (朝鮮日報)
2002年10月 追いつけ日本 進めニッポン(「こくさいか山口」)10〜12月号掲載 釜山派遣職員 石田 朋彦)
2002年9月 韓国はビッグ 日本はスモール?(「こくさいか山口」)7〜9月号掲載 釜山派遣職員 石田 朋彦)
2002年7月 W杯期間中は中国へ海外旅行 (朝鮮日報ほか)
2002年7月 週休2日制 (韓国経済ほか)
2002年7月 高い若者の失業率 (朝鮮日報ほか)
2002年7月 経済特区進出で外国語教育強化の方針 (朝鮮日報ほか)
2002年7月 54人が死亡か行方不明、住宅3万8000余世帯が浸水 (中央日報)
2002年7月 ソウル、生活費の高い都市10位 (朝鮮日報)
2002年6月 高級日本車の輸入好調(「こくさいか山口」)4〜6月号掲載 釜山派遣職員 石田 朋彦)
2002年5月 週休2日制が地方公共団体にも拡大 (朝鮮日報)
2002年5月 レジ袋販売制度強化 〜レジ袋を2円から5円に〜 (朝鮮日報)
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釜山日本人会の社会活動について(「メッセ海外通信」)4〜5月号掲載記事 釜山派遣職員 藤川 雅宏)2009年5月

 第二次世界大戦前に韓国人男性と結婚後、韓国に渡り定住した日系婦人が当時2500名前後いたと言われています。その後、朝鮮戦争で夫、家族と死別するなど辛く貧しい生活を送る中、互いに励まし合うために日系婦人が一人、二人と集まり、やがて親睦と相互扶助のための会が各地に出来、芙蓉会となりました。結成当初2000人程度いたとされる会員も日韓国交正常化(昭和40年)後に帰国、あるいは亡くなるなど、現在、芙蓉会釜山本部の会員は約100名となりました。
 厳しい環境の中ではありましたが、芙蓉会会員達も若いときは、韓国社会に貢献しようと養老院への慰問、水害発生時の見舞い活動、あるいはベトナム戦線へ行く兵士の慰問等数々のボランティア活動を行っていました。現在では、釜山市立公園墓地内にある日本人慰霊碑の清掃、管理及び慰霊祭等を行っています。
 しかし、現在、会員の平均年齢も90歳前後となり、高齢や持病等で働くこともできず、援助を受けなければ生活できない方が、釜山、大邱、馬山及び浦項に合計21名いらっしゃいます。(以上、釜山日本人会作成資料「芙蓉会について」より一部抜粋、編集)

 今年の桜の季節に釜山日本人会*(会長:大道英隆)が実施した「芙蓉会釜山本部の会員の方々の日本里帰り事業」で同本部の御婦人7名が下関を訪問されました。当事業は、「最後に故国日本を見たい」との御婦人達の夢を叶えるため、釜山日本人会が事業主体となり、同会会員(法人、個人等)及び賛同者の善意金によって今回初めて実施されたものです。
 下関市(国際課)は、御婦人達にゆっくりと滞在していただくため、交流会等の行事は差し控え、職員及び医療ボランティアによる人的サポート等を通じて、日本里帰りをお手伝いいたしました。
 御滞在中は、関門海峡や角島(つのしま)の風景、城下町長府、庭園の桜や菜の花などを楽しまれ、市内の温泉で静養されました。7名中で唯一下関と所縁のある御婦人は、女学校卒業後初めての帰郷となり、時折涙を流されました。母校(長府高等女学校:現在の県立長府高校)も訪ねられ、感慨も一入のようでした。

 御婦人達の帰国の夢を実現出来たことは無論のこと、釜山日本人会の会員や賛同者の方々が善意の気持ちで一つになれたことにも重要な意義があり、本当に心温まる事業であったと振り返って感じています。今回、読者の皆様に芙蓉会のことや韓国における日本人コミュニティの社会的責任に基づいた取り組みといった社会的側面について知っていただきたく、釜山日本人会の社会活動事例を紹介させていただきました。
* 釜山日本人会は、日韓両国の経済関係の円滑な発展と両国の親善に寄与することを目的として1972年10月に設立され、釜山を本部に馬山、浦項、亀尾・大邱の3支部のほか、釜山日本人学校を運営しています。

(『メッセ海外通信』2009年4月から6月号)

世界的景気減速の時代の日韓地域交流発展について(「メッセ海外通信」)1〜3月号掲載記事 釜山派遣職員 藤川 雅宏)2009年1月

■韓国の地方経済は?
 11月15日付「東亞日報」によると、第3四半期(7〜9月)の地方の大型小売店の販売額は、98年の通貨危機以来のマイナス成長を記録しました。地方製造業の生産も昨年同期比5.9%増に止まり、第2四半期(9.9%)より低下しました。 第3四半期の地方失業率は、昨年同期と同じ2.9%でしたが、就業者の増加が昨年の第3四半期の21万6000人から17万1000人に縮小し、雇用事情も悪化したことが分かりました。  韓国政府は12月15日、李明博大統領が主宰する第3回国家均衡発展委員会で第2期地域発展政策を確定しました。委員会側によると、第2期対策に投入される予算は約42兆ウォンで、9月に第1期対策として発表され施行間近の30大国策先導プロジェクトと広域圏先導事業の予算56兆ウォンと合わせると、地方発展予算は100兆ウォンに達します。地域経済の活性化には、13兆ウォンを投入し、地方企業に対する税制支援強化など、地方への企業誘致環境を改善する(12月15日付「聯合ニュース」より)としています。

■釜山における日本企業誘致の計画
 釜山広域市と釜山・鎮海経済自由区域庁が10月15日に明らかにしたところによると、市は釜山・江西区の美音産業団地を日本の部品・素材メーカー専用工業団地指定候補地に選定し、間もなく政府に指定申請を行う計画です。政府は4月の韓日首脳会談で話し合った韓日経済交流の拡大に向け、知識経済部の主導で日本部品・素材メーカー専用工業団地の国内設置を進めています。 (10月15日付「聯合ニュース」より)

■「日流ブーム」
 若者の間で巻き起こっている「日流」ブームとともに、日本酒の輸入も急増しています。釜山慶南本部税関が11月3日に明らかにしたところによると、今年上半期に日本から輸入された日本酒は752トンで、前年同期の515トンより約45%増加しました。(11月3日付「聯合ニュース」より)  10月12日付「聯合ニュース」よると、釜山国際映画祭では、今年は過去最多の60カ国・315本の映画が上映され、開催期間中の観客数も延べ19万8818人と、過去最多を記録しました。ニュー・カレンツ・アワードは、韓国のノ・ギョンテ監督の「かかしの大地」と日本の市井昌秀監督の「無防備」が共同受賞し、来年の映画祭では「日本の撮影監督が見た釜山、釜山の人たち」というテーマで写真展が開かれる予定です。  かつて、朝鮮通信使は、両国間の文化交流の役割を果たしました。今、釜山・子城台公園に「朝鮮通信使歴史館」の建設が予定されています。11月19日付「中央日報」によると、釜山広域市は来年6月までに設計を終えて着工し、2010年2月ごろに竣工、オープンする計画です。  世界的景気減速という厳しい経済環境下の今、そして、豊かな未来を構築するために両地域の人々が互いの文化を尊重し合い、友好協力関係をさらに強化するための取り組みが多角的に図られることが望まれます。 (注:2008年12月19日に作成したため、「今年」と記載した(または年の記載が無い)場合は2008年、「昨年」は2007年、「来年」は2009年を示します。)

(『メッセ海外通信』2009年1月から3月号)

ボーダーレスな時代の交流発展について(「メッセ海外通信」)10〜12月号掲載記事 釜山派遣職員 藤川 雅宏)2008年10月

■海路利用の進展
 9月6日付「東亜日報」によると、 来年3月頃、韓国・中国・日本・ロシアを海と陸地で結ぶ航路が開設され、4ヵ国間の物流時間が大きく短縮される見通しです。韓国東海岸の束草〜日本の新潟〜ロシア・ザルビノを結ぶ海路が開かれ、ザルビノから中国の琿春までは陸路で結ばれることになります。  この新しい航路の開設によって、韓国の首都圏から釜山〜下関を経由している物流の流れに変化が生じる可能性が考えられます。  一方、9月9日付「聯合ニュース」によると、韓進は、釜山の竜塘税関倉庫に660平方メートルの特別配送通関センターを自前で開設し、韓国と日本を結ぶ国際海上宅配サービスを開始することを明らかにしました。  同社は、このサービスで仁川空港税関を経るという不便さがなくなり、釜山と慶尚道地域の顧客や荷主が韓日国際宅配サービスを便利に利用できるようになったと説明しています。航空運送に比べ運送料金は最大で約6割安く、運送期間は同じか1日遅い程度となるようです。  また、8月21日付「聯合ニュース」によると、7月1日から8月15日までに釜山港を利用して出入国した韓国人は前年同期比8.6%増の22万2559人と集計され、原油高で航空運賃が大きく上昇し、相対的に運賃が安い旅客船の客足が伸びたようです。  釜山からの国際定期旅客航路は、すべて日本と結ばれており、釜山港の韓国人出入国者数の増加は日本への観光客数の増加ということになります。

■鉄道整備の進展
 7月9日付け「東亜日報」によると、京釜高速鉄道の第2段階事業(区間:東大邱〜新慶州〜蔚山〜釜山)が2010年12月に終わると、ソウル〜釜山の運行時間が2時間45分から2時間10分に短縮されます。  釜山駅が増築され、釜山の北港開発が完成すれば、1日に15万人以上を乗せる交通観光の中心軸になるものとみられています。  韓国内での移動の利便性が高まることによって、山口県・九州と韓国の各都市圏との経済交流が、釜山を中心にさらに広域エリアへと拡大していくものと考えます。

■日韓交流の発展
 濱崎康一総督(代表)率いる下関市のよさこいチーム『馬関奇兵隊』が8月29日に釜山を訪ね、韓国の大学生15人に『よさこいレクチャー』を行いました。在釜山日本国総領事館主催の日本語弁論大会で一昨年『下関市長賞』を受賞した安恵臨さんの呼びかけで釜山の大学生が集まり、『よさこい交流』が実現しました。現在、安さんら数名が中心となり、馬関奇兵隊釜山支部の創設を目指して、練習に励まれています。

 釜山広域市と下関市の間では、姉妹都市交流にとどまらず、お隣の都市の友人として、いろいろな個人や団体によって 草の根の国際交流が活発に進められています。  文化、観光、物流、ものづくり、環境等、いろいろな側面でボーダーレスな時代の交流発展を期待します。

(『メッセ海外通信』2008年10月から12月号)

国際観光交流の促進について(「メッセ海外通信」)7〜9月号掲載記事 釜山派遣職員 藤川 雅宏)2008年7月

■日韓間の旅客実績が過去最高記録を更新
 6月20日付け国土交通省九州運輸局の記者発表によると、平成19年度の九州・山口県(下関市)と韓国を結ぶ旅客定期航路の旅客輸送の実績は、総計で121万人を超え、過去最高記録を更新しました。特に、韓国人の輸送実績は、過去最高であった前年度をさらに上回り、対前年比121.8%と大幅に増加しているとのことです。  6月21日には、釜山と門司港とを結ぶ定期フェリー便(週6便)が就航し、両国間の訪問者数について、今年度も増加傾向が継続するものと期待しています。

■政府による観光交流の促進と協力の強化
 第3回日中韓観光大臣会合が6月23日に釜山で開催され、『日中韓の観光交流・協力の促進に関する釜山宣言』として纏められました。 宣言には「日中韓の観光交流促進に向けた3ヶ国間の協力強化」、「日中韓の観光成長の阻害要因除去及び安全と利便の増進」、「3ヶ国共同での商品開発や広報の可能性を図るための情報交換実施」等の事項が盛り込まれています。

■釜山における6つの観光分野の推進
 釜山広域市においては、クルーズ、海洋、医療、文化、生態系体験、ショッピングという6つの観光分野の推進が始まりました。来年1月までに 「釜山観光公社」を発足させ、観光地としての魅力向上を目指します。6つの戦略的な分野について選択的に観光プロモーションが打ち出され、質的な管理及びマーケットの強化が図られます。  一方、『映画(film)−コンベンションツアー』ゾーン【釜山の東部】、『グリーン生態系』ゾーン【西部】、『歴史−文化』ゾーン【中央部】の3ゾーンに市を分割し、各ゾーンにおいて観光インフラを大幅に改善し、また地区の観光関連産業の振興及び支援の強化が図られる計画です。  同市は、2020年までに観光客400万人(2007年は167万人)、観光収入48億ドルへの引き上げ、20万の雇用創出を目標としています。(同市・英文ニュースレター『Dynamic Busan』7月1日号記事より要訳)

■観光交流圏の形成について
 九州・山口県と韓国との間の日本人の旅客輸送の実績は16年度をピークに年々減少しています。しかし、釜山等の韓国・東南圏は、多彩な観光資源に恵まれており、前述のような地方自治体や民間セクターの計画的な取り組みや国レベルでの観光交流・協力の促進等によって、同圏内における日本人観光客の誘致が促進され、九州・山口県と韓国・東南圏間の交流がさらに活性化されることが期待されます。  古くから両地域の間は、地理的、経済的に密接な関係にあります。しかしながら、両地域間の交流の留まらず、国際的な共同プロモーション等の推進によって、両国に跨る当該地域全体が世界の観光客を迎える観光交流圏を形成することが共通の目標となるのではないかと考えます。各都市が共に勝者となるため、両地域の都市間におけるさらなる交流の促進及び協力の強化が必要とされる時代です。

(こくさいか山口2007年7月から9月号)

韓国サンドイッチ論(「メッセ海外通信」)1〜3月号掲載記事 釜山派遣職員 久保 伸子)2007年12月
 東アジアの隣国同士として、日本・韓国・中国は経済協力、文化交流などが盛んに行われる一方、お互い何かと比較される間柄でもあります。日本でも、ものづくりの技術力で韓国に追いつかれただの、GDPは15年後には中国に追いつかれ20年以内に抜かれるだのという経済の話題をよく耳にしますが、韓国では、地理的に日中両国に挟まれ歴史的にも苦い経験をしてきたからか、3国一緒にさまざまな点で比較する場合が多いようです。

■韓国は具
 2007年1月、サムスン電子の李健煕(イ・ゴンヒ)会長が全国経済人連合会の会議の席上で、「中国が追い上げ、日本は先を行くという状況下で、韓国はサンドイッチ状態に甘んじている」と発言しました。韓国経済が日中の間でサンドイッチになる危険性については、過去にも指摘されたことはあります。しかし、李会長のこの発言以降、高効率・先端技術の日本と低費用の中国の間に挟まって、経済はもちろん外交・安保、教育、文化など多くの分野について身動きの取れない韓国を、さまざまな人がサンドイッチの具に例え、2007年を通して話題となりました。  韓国に暮らしていると、自然、日本と韓国の比較をすることが多くなります。と同時に、大陸で地続きである中国の存在も、日本でよりより強く感じるのも確かです。中国から直に飛んで来る春の黄砂(春の雨にはあたらないほうがいいよ、とアドバイスを受けました)。どの大学にもあふれている中国人学生の数は、最近増えているとはいえ日本にいる中国人学生の比ではありません。

■パンと具、どっちがおいしい?
 2007年10月末に、日中韓の10都市で作る東アジア経済交流推進機構の会議が韓国・蔚山広域市で開かれ、参加する機会がありました。面白かったのは3国の違いです。自分の都市を売り込もうとひたすら宣伝する中国。実のある方向性を具体的に探ろうとする日本。その間(やや日本に近い位置ですが…)にある韓国。  「中国ほど○○ではなく、日本ほど△△でもなく、韓国はちょうど良い」と真顔で言う韓国の人もいます。○○や△△には否定的な言葉を当てはめてみれば、これが成立する場合も確かに多いように思います。また、先の李会長のサンドイッチ論のように、○○や△△に肯定的な言葉を入れれば「韓国は板ばさみだ」ということになります。  韓国でサンドイッチ論がかまびすしいのは、日中両国に対し強い危機感を持つと同時に、両国から大いに学ぶべきと考えているからではないでしょうか。サンドイッチの具がいつパンになるか、パンがいつ具になるか、日本ももっと危機感を持って良いように思います。


東アジア経済交流機構執行委員会開催(2007年10月31日、蔚山広域市)

(こくさいか山口2007年7月から9月号)

復活した関釜親善陸上競技大会(「メッセ海外通信」)10〜12月号掲載記事 釜山派遣職員 久保 伸子)2007年9月

■大会の復活

 去る7月22日、下関市の姉妹都市・釜山広域市で、11年ぶりの関釜親善陸上大会が開催されました。同大会は、現在の関釜フェリー就航(1970年)の翌年から毎年、下関と釜山交替で開催されていたのですが、韓国の経済危機などの理由により、1996年の下関大会を最後に途絶えていました。しかし、その後も交流が続いていた釜山市陸上競技連盟と下関市陸上競技協会との努力により、このたび復活したものです。

 下関からは選手として高校生32人、役員8人の計40人が参加。競技当日は、途中降ったあいにくの雨にもかかわらず、選手達は男女合わせて21種目の競技を競いました。競技の合間には、片言の英語やジェスチャーで互いにコミュニケーションを図る場面も見られました。

■『チルソクの夏』

 2003年の映画『チルソクの夏』(佐々部清監督)は、関釜親善陸上競技大会を舞台に、そこで出会った下関の女子高校生と韓国・釜山の男子高校生の淡い恋を描いた作品です。ロケもすべて下関と釜山で行われました。チルソクとは韓国語で七夕のことで、携帯電話もEメールもない1970年代、1年に1度しか会えない二人が、手紙のやりとりで心を通わす、胸がキュンとなる物語です。この映画を観た、かつての陸上大会関係者の間から復活を望む声も多く上がり、今回の大会開催の後押しをすることになったといいます。

 『チルソクの夏』には下関市陸上競技協会の皆さんや下関市の江島市長も出演しています。大会の復活は、映画に関わった皆さんにとって感慨またひとしおといったところでしょう。ちなみに私もエキストラとして下関市陸上競技場のスタンドに座っていたのですが、残念ながら映画では顔も認識できない‘点’でしかありませんでした。ただ、自らも少し関わった映画として、故郷・下関と第2の故郷・釜山両方が舞台の映画として『チルソクの夏』は特別な存在になっています。また今回、映画同様に復活した大会を直接見られたのは本当に幸いでした。

■草の根交流

 下関、釜山の両都市間には、親善陸上競技大会に限らず、各種のスポーツ交流、文化交流、学校間の交流などがあります。姉妹都市の締結は1976年のことですが、それ以前からの交流が続いている民間団体がいくつもあります。

 今回の親善陸上競技大会で、釜山側の事務局の方が「久しぶりの大会で心配だったけれど、下関の役員も皆知っている方ばかりで、とても安心したし嬉しかった」と話していました。団体同士の交流も、結局は人と人との交流なのだと実感しました。交流を長く続けるには互いの熱意が必要ですが、互いに知り合い友人になれば、継続のエネルギーもまた得られるのでしょう。来年は下関で開催されるという同大会。今後は途切れることなく、ずっと続いていってくれるものと思います。

2007関釜陸上競技大会(2007年7月、釜山・九徳運動場)

(こくさいか山口2007年10月から12月号)

黄金の豚の年 韓国にベビーブーム到来か(「メッセ海外通信」)7〜9月号掲載記事 釜山派遣職員 久保 伸子)2007年6月
■2006年出生率が上昇

 去る5月、韓国の統計庁が発表した2006年出産統計の暫定集計結果によると、韓国の合計特殊出産率(女性が一生に産む子供の数)が、約1.13人と3年ぶりに増加したとのことです。合計特殊出産率は、韓国で1970年には4.53人あったのですが、その後の経済発展とともに急落し、最近でも2003年1.19人、2004年1.16人、2005年1.08人と減少していました。
 出生率が増加したとはいえ、他の先進国と比べると依然世界最低水準の韓国。2005年基準で、フランスの1.92人はもちろん、ドイツの1.34人、日本の1.26人(2006年は1.32人に上昇)などに比べても随分低い水準です。

■黄金の豚の年

 今年の干支は丁亥。亥は日本ではイノシシですが、韓国や中国はブタで、おめでたい印象があります。特に韓国では、60年に一度の丁亥の年は「黄金の豚の年」だそうで、この年に生まれた子供は一生お金に困らないとか。加えて今年は、陰陽五行で10回に1度の丁亥…つまり600年に1度の良い年なのだそうです。
 昨年末から街角で金色の豚を見かけるようになり、貯金箱をはじめとする各種金の豚グッズも、ここぞとばかり店頭に並んでいました。黄金の豚の年にあやかって、今年は2006年よりさらに出生率が増加することが期待されています。

■なぜ低い出生率

 少子化の理由としては、晩婚化や女性の社会進出などは日本と同様ですが、韓国に特徴的なのは、莫大にかかる私的教育費(塾など学校以外にかかる教育費)の負担が挙げられることです。幼稚園の頃から音楽や絵画の塾、英会話塾、小学生からは学習塾と、韓国の子供たちは多忙です。高校3年生ともなると、朝弁当を三つ持って家を出、午前5時から学校が始まるまで塾で勉強、学校後塾で午前2時まで勉強…と驚異的な生活をしている子供もいると聞きます。
 韓国の現代経済研究院は4月、子どもを塾などに通わせている全国の1012世帯を対象にアンケート調査を実施した結果、これらの世帯が私的教育に使う金額は月平均64万6000ウォン(約8万2000円)で、所得の19%台に及ぶと発表しました。子供一人にかける私的教育費は月平均38万2000ウォン(約4万9000円)で、幼稚園から中学校までは月20万〜40万ウォン(2万6000〜5万1000円)、高校では月40万〜60万ウォン(5万1000〜7万7000円)支出する世帯が最も多かったそうです。特に高校生の子どもを持つ世帯のうちの19%は毎月100万ウォン(約12万8000円)以上を使っていることが分かりました。親も、より良い学校に入ってほしいと教育にかけるお金は惜しみませんが、あまりにかかる教育費に子供を産み控える傾向が強いようです。
 2007年は黄金の豚のおかげで、おそらく出生率は上がることでしょう。しかし、これは根本的な制度改善なき一時的現象である…というのが大方の意見です。少子化に対する政府の一層積極的な取り組みが求められています。
 ところで、昼食時間のおしゃべりで黄金の豚が話題になったことがあります。「今年子供を産むといいらしいね」という話をしていたところ、「今年は産まない方がいいよ」と強調する同僚がいました。「同級生が多いってことは、それだけ競争が厳しいっていうことじゃないの」。ああ、韓国、競争社会!

2007年新年、海雲台海水浴場に出現した金の豚の像

(こくさいか山口2007年7月から9月号)

大きいことは良いことか
(「こくさいか山口」)1〜3月号掲載記事 釜山派遣職員 久保 伸子)2007年1月
 韓国で驚くことの一つに、食事のときの量の多さがあります。メイン料理に付属して出てくるおかずは、種類の多さもさることながら、いくらでも追加可能なので嬉しくなります。ビアホールやバーでお酒と共に注文する料理も量が大変多く、大勢でワイワイ飲むときはなかなか良いものです。ただ二人でお洒落に楽しみたいときなどは、大皿に溢れんばかりの同じつまみではなく、少しずつ数種類のおかずが乗った小さな皿があれば…と思うこともあります。
 「大は小を兼ねる」という考え方が大勢を占めるのか、韓国では何でも多め、大きめが好みのようです。大型スーパーマーケットに行けば、歯磨きはすべて3個〜5個のセット売り、果物は箱売り、洗剤の箱も菓子袋もすべて大型。一山なんぼの果物は「半分ください」「2個だけほしいのですが」と交渉せねばならず、洗剤や菓子など量が少しだけ欲しい場合小さな箱や袋は…なかなか見つからないのです。

 ■大型車はステイタス

 車もしかり。韓国の街中でもかわいい色の小型車を見かけることが多くなったとはいえ、セダン型が主流なのは間違いありません。しかも大型化傾向が激しいようです。
 産業研究院が10月26日発表した「国内乗用車消費構造と改善方案」報告書によると、1995年は2.7%に止まっていた韓国の大型乗用車(セダン型・排気量2000CC以上)の消費比重が、2000年9.3%、2002年14.0%、2004年17.0%、今年7月には24.3%などと、伸び続けているそうです。レジャー型車両(RV)まで含めると、2006年7月までの大型車消費比重は、30.5%にまで上るとか。この比重は、フランス(10.4%)、イタリア(9.7%)、英国(12.8%)、日本(20.5%)などの主要自動車生産国を上回るだけでなく、米国に次いで世界第2位の高い水準だそうです。
 一方、軽小型乗用車(1500CC以下)の消費比重は、11.5%に止まり、主要自動車生産国中最も低かったとのことです。日本の軽小型乗用車の消費比重が61.2%、イタリアと英国は50%超、フランスとドイツも23〜38%の水準にあるそうですから、韓国の軽小型乗用車比率の低さが目立ちます。
 高価格にもかかわらず大型乗用車の消費が伸びていることに対し、産業研究院は、車両の大きさを地位や身分と同一視する社会認識、所得の両極化による軽小型車需要の減少および大型車需要の増加、小型車に対する税制優遇措置の減少などで大型車を主とする消費構造が発生したと分析しています。
 韓国輸入自動車協会によると、2005年の輸入車登録台数のうち、日本の高級車・レクサスの販売台数がドイツのBMWを上回り1位だったとか。しかも価格が高い最上級モデルでフルオプションの物から先に売れているとのことです。韓国では人気がない印象の日本車も、高級車に限っては富裕層の高級車志向と旺盛な購買意欲に支えられ順調に輸出台数を伸ばしている、といえるようです。

黒・白のセダンが主流の韓国でも、大きさ、色とも多様な
車を見かけるようになった。赤いスポーツカー、ゴールド
の小型車、濃紺メタリックのセダンなどが駐車場に並ぶ。
 原油高の昨今、小型車の方がうんと経済的です。しかも小回りが利いて、狭い道でも楽に離合できるのでは、と思うのですが…。もっとも、小型車がタクシー、バスをはじめ大きな車から実際にあおられる場合が多いのは否めません。世界一運転が荒いといわれる釜山では特に、運転が上手ではない女性ドライバーが文句を言われている場面や、互いに道を譲らずぶつかりそうになった運転手同士が車を降りて言い合っている光景をよく目にします。
 韓国で大型車人気が高いのは、ステイタスもさることながら、ぶつかったときに小型車よりは安全だから…という理由があるのかもしれません。



(こくさいか山口2007年1月から3月号)

10組に1組は国際結婚
(「こくさいか山口」)10〜12月号掲載記事 釜山派遣職員 久保 伸子)2006年10月
 4月に釜山広域市役所で働き始めて、ほぼ6カ月が経ちました。この間、買い物や銀行窓口での手続きの際などに、私が最近韓国に来たと知ると「ああ、結婚して来たのね」「夫は韓国人ですか?」などと、よく言われたものです。国際結婚という言葉も、外国で暮らす独身の身としては決して縁遠いものではなく、少なからず関心もあるところです。

 ■急増する国際結婚

 7月に釜山発展研究院から発刊された『女性結婚移民者の状況および政策方向』という報告書によると、昨年釜山で結婚した1万6973組のうち10.4%に当たる1977組が国際結婚だったということです。釜山で2001年に4.9%だった国際結婚率は、2002年5.2%、2003年6.9%、2004年9.6%と年ごとに加速して増え、昨年2005年にはついに10%を超えたのです。
 国際結婚の内訳ですが、性別では、2001年から5年間の国際結婚のうち韓国人男性と外国人女性の間の結婚が78.3%と絶対多数を占め、外国人女性の出身国は、中国74.5%、ベトナム7.5%、ロシア3.8%の順でした。
 報告書により、国際結婚した韓国人男性の平均年齢は2001年の40.1歳から2004年の41.8歳へと上昇していること、2001年に41%だった再婚比率も2004年には46.9%と高くなっていることが分かりました。また、男性の学歴は、高卒が全体の62.6%と最も多く、中卒16.1%、大卒以上15.7%の順で、大部分が低所得層で経済的に困難な状況であると分析されました。

 *9月6日、国会保健福祉委員会で報告された『国際結婚の現状』によると、昨年韓国内の総婚姻件数の13.6%が国際結婚。特に、農・漁業に従事する男性が外国人女性と結婚した割合は35.9%にも上ったと報告された。

 ■問題は山積

 報告書によって見えるのは、韓国内で結婚相手が見つからない男性(年齢が高い、再婚、所得・学歴が高くないなどの理由)が、相手を外国人女性に求めている実態です。外国人女性との結婚には多くは結婚仲介業者が介在します。相手を求める韓国人男性が先方の国を訪れ、見合いをして花嫁を決定し、ほどなく花嫁が韓国に入国…というのが概ねのパターンのようです。

地下鉄のフリーペーパーに毎日のように掲載される
結婚仲介会社の広告。「国際(ベトナム・日本)
・国内結婚」というタイトルの下に、「純粋で
しとやかなベトナム女性との出会い」「花嫁入国後、
韓国語教育施行」との宣伝文が見える。
 私が仕事の傍ら通っている大学の韓国語教室で、以前、初級クラスに参加していた中国、ベトナムの女性は、結婚のため韓国に移民して来たということでした。ほとんど言葉ができない状態で外国に行き、結婚する…ということが信じられませんでしたが、彼女たちの夫はきちんとした仕事を持っていて収入もあり、妻に語学の学習をさせようという気持ちもお金もあるので、彼女たちは幸せな方なのだとか・・・。彼女たちの、やはり韓国人と結婚するために韓国に来た友人の中には、夫から実際に暴力を受けている人もあり、言葉を習うこともできない場合が多いとのことでした。
 先の報告書を発表した釜山発展研究院関係者は、特に女性結婚移民者たちが多く居住している地域に支援センターをまず設置し、特化した経済活動支援政策を開発するなどの対策準備が火急であるとしています。今後、釜山に限らず韓国の国際結婚率はますます増える可能性が高いのですが、その受け入れ態勢はまだ整っていないと言わざるを得ません。行政をはじめ各種団体などによる、語学講座、医療、職業教育、法律相談などの支援が早急に必要とされています。
(こくさいか山口2006年10月から12月号)

韓国統一地方選挙
(「こくさいか山口」)7〜9月号掲載 釜山派遣職員 久保 伸子)2006年7月

 5月31日は韓国の統一地方選挙でした。韓国の地方選挙は1995年に初めて行われ、1998年、2002年に続き今回が4回目です。ソウル市をはじめとする広域市と道の首長16人と各議会議員の選挙が行われました。今回の選挙は2007年の 大統領選挙、2008年の総選挙へと連なる重要な選挙、ということで、各地で熾烈な選挙戦が繰り広げられたようです。
 釜山広域市でも、市長、市議会議員、各区長、区議会議員の選挙が行われました。私が釜山に来た4月上旬から、すでに各地で行われるイベント会場では、どこかの議員候補らしき人が名刺を配りながら挨拶する姿がしばしば見られました。テレビでも連日のように、市長候補の誰々が災害被災地を訪れ激励した、福祉施設で慰問活動した…といったニュースが流れるようになりました。

選挙前、街中のあちこちに巨大な候補者の
写真が…。ビルに壁面に張られた、こちらは
釜山市長に再選された許南植候補のもの。
 5月18日の告示以降、本格的な選挙運動に突入。街中に、街頭演説のステージや選挙宣伝カー、街頭でアップテンポの曲に合わせて踊る候補と応援団、自転車に候補ののぼりを立てて走る市民団体なども見られました。地下鉄の駅では、選挙権のない私も、たくさん名刺を頂きよろしくと挨拶されました。
 選挙戦の情勢は、野党ハンナラ党が全国的に優勢で、与党ウリ党は大苦戦。結果は、大方の予想のとおりハンナラ党の圧勝で、釜山市長にもハンナラ党の現職・許南植(ホ・ナムシク)市長が再選されました。
 ところで、投票日の31日は平日。選挙のため仕事も学校も休みです。選挙は当然日曜と思っている日本人には意外な話ですが、平日に選挙が行われる国も実際には多いようです。日曜日に投票事務や深夜の開票事務を行う日本の公務員としては、とにかく大変うらやましい話です。
 候補者の大きな横断幕とともに、街中には選挙日を告げる横断幕、投票を呼びかけるポスターも見かけました。人気歌手のピ(RAIN)に「選挙に行くあなたが美しい」と言われれば、私なら平日であろうと日曜であろうと必ず選挙に行かねば! と思うのですが…。今回の投票率は、全国で51.3%、釜山では48.0%で、決して高いとはいえません。それでも前回の2002年の総選挙より全国で2.4%、釜山では6.2%もアップしたとのことです。もっとも、投票率アップの大きな原因は、2002年の選挙がワールドカップ開催中であったのに対し、今回は開催前に行われたことだといわれていますが…。
 いずれにしろ、統一地方選後、韓国の政治は変化を見せるのか、引き続き目が離せません。
(こくさいか山口2006年7月から9月号)

関釜連絡船100周年の意義
(「朝鮮通信史」2月号)掲載記事 釜山派遣職員 古川 力)2006年4月

 2005年の日本と韓国。一方では政治的な対立もありましたが,日韓国交正常化40周年,「日韓友情年」として,日韓のいろいろな地域で数多くの行事が行われました。私が勤務する釜山広域市におきましても,多くの行事が行われ,多忙な一年でした。
 その数多くのイベントの一つとして行われた,「関釜連絡船100周年行事」についてレポートしようと思います。

代表的な関釜連絡船、興安丸(こうあんまる)。
1936年就航。総トン数7,103トン、速度23.1ノット
、乗客定員1,746名。世界初の交流電源を搭載
、冷暖房を完備。終戦後は引揚げ船として
活躍した。
釜山港で出港を待つ関釜連絡船
下関港に入港中の現在の関釜フェリー
 2005年は,「関釜連絡船開設100年」という節目の年でありました。
 「関釜連絡船」という言葉は日本人もさることながら,韓国人の方々でも無論知る人の多い名前です。
 1905年9月11日に開設された関釜連絡船は,終戦の1945年までの40年間,ほぼ毎日運航されていた定期船舶路線で,最盛期には年間300万人を越える輸送実績を誇りました。日清戦争,日露戦争の勝利によって日本の大陸進出の機運が高まったことによって開設され,釜山を経由して,満州,ヨーロッパへの物流の道を関釜連絡船がつないだ訳です。また,連絡船は民間企業である当時の山陽汽船が開業し,後に鉄道法の施行によって国営となり,1910年の日韓併合によって国内輸送航路となりました。
 無論,これは日本の大陸進出という野望の中で開設された路線ですから,多くの韓国人が日本に連行されたという悲しい歴史も持っている訳です。
 当時,特に太平洋戦争前後に下関〜釜山の間を行き来し,日韓両国の人々の往来は,多くの夢を運んだ一方で,多くの悲しみも運んだことでしょう。日本においては終戦後,在日韓国朝鮮人の方々が故郷に帰るのを断念せざるを得ない状況が生じ,韓国においては韓国人男性と結婚した日本人女性が,自分の国籍や名前さえも怖くて名乗れない時期があったということからもおわかりいただけると思います。

 関釜連絡船は1945年の終戦と同時にその終焉を迎える訳ですが,1970年に日韓両国の期待を背に25年ぶりに「関釜フェリー」(韓国名:釜関フェリー)として復活しました。日本初の国際定期航路として,関釜連絡船の歴史的なバックグラウンドや地理的利便性を生かし,現在も1日1便,夕方双方の港を出港し翌朝対岸到着というスケジュールで運行されています。乗客にとっても大変快適な船旅が楽しめるほか,運行時間の余裕があることから欠航もほとんどなく,貨物船としても非常に信頼度の高いサービスが提供されています。

 この関釜連絡船開設100周年の記念行事は,2005年8月〜9月にかけて,(社)朝鮮通信使文化事業会(会長許南植釜山市長,執行委員長姜南周前釜慶大学総長)からの提案により「交流の海路100年」と銘打ち,関釜フェリー,釜関フェリーの日韓両社のご協力のもと,釜山から下関への便「行きの海路」,下関から釜山への便「帰りの海路」とそれぞれの国際ターミナルにおいて記念行事が行われました。釜山側からは,太平洋戦争の前後に韓国人と結婚して釜山に来たものの日本に戻れず苦しい生活を強いられた在韓日本人婦人の集まり「芙蓉会」の皆さんが下関を訪問,下関側からは,祖国解放後もさまざまな理由で帰国できず,下関で人生を生き抜いてこられた在日韓国人の人の方々が釜山市を訪問し,お互いがこれまでつらかった過去をねぎらい,両国のさらなる友好交流を「関釜連絡船100年」を機に確認しました。

2005年8月19日、「行きの海路」行事で下関へ向けて釜山を出発する芙蓉会の皆さん(左)
下関へ向かう船の中で和やかにカラオケを楽しむ。(右)

 関釜両港で行われた行事は、参加者、観衆を全部含めてもそれぞれ100人ほどの小さな行事でしたが,規模の大小ではなく,日本の大陸進出の「道具」であった関釜連絡船が,そのさらに300年前に始まった朝鮮通信使の持つ善隣友好の精神と,現在往来している関釜フェリーに引き継がれているということを,朝鮮通信使文化事業会という韓国の組織から声が出され,異国の地で苦難を味わった両国の市民がお互いを理解し合い,これからの友好を誓った,ということに大きな意味を感じるのです。つらかった昔のことはとにかく,今のこの友好関係を継続し,さらにそれを深めていこうという気持ちを持つことが,政治的な問題よりもても大きく,大切なことなのだということをこの行事を通じて韓国の人から学んだような気がしています。
 下関出身の私にとって,「関釜連絡船100年」という節目をこれらの行事を通じて体感できたことは,日韓友情年2005の行事が政治的な影響を受ける中にあって,とても意義深いものとなりました。そしてこれを機に,さらに日韓友好のために今私たちは何を何をしなければならないのか,私には何ができるのかをじっくり考え,実践していこうと思っています。

2005年9月10日、「帰りの海路」行事で釜山港に到着した
民団下関支部の一行を出迎える芙蓉会メンバーと関係者
 数日前、仕事の合間に釜山港国際ターミナルを通りかった折,雄大な関釜フェリーの船体を横目にしながら、35年間の関釜フェリーの歴史,関釜連絡船の100年の歴史とこのたび行われた「交流の海路100年」の行事を思い出していました。

 来年(2007年)は、朝鮮通信使が開設されて400周年を迎えます。一人の日本人として、朝鮮通信使の開設400周年を、心からお祝いしようと思っています。




写真提供・協力:釜山広域市、(社)朝鮮通信使文化事業会、在日本大韓民国民団下関支部、下関市

第二の故郷へ送るエール
(「こくさいか山口」)1〜3月号 掲載記事 釜山派遣職員 古川 力)2006年1月

 私にとって韓国生活2度目の冬、そして最後の冬を迎えています。関東よりも北で暮らした経験のない私には、韓国の冬は非常に厳しく、「顔を刺すような寒さ」を日々感じておりますが、こちらで韓国全土の天気予報を見ていると、釜山はそれでも冬の韓国で「一番暖かい」場所で、「他の地域の寒さを考えればこれくらい...」と戒めながら日々を過ごしている次第です。
 民間企業等の皆さんは、一度海外に赴任するとおよそ3〜5年間は滞在しているようです。私の場合は派遣職員という制度上、2年と決まっておりますので、この3月には早くも帰国となるのですが、もう数年この地に住むことができたら、韓国をさらに深く理解できるわけですから、韓国に対する見方も少し変わってくるのかも知れません。
 2005年を振り返りながら、釜山とのこれからについて考えてみたいと思います。
 2005年の釜山市のスローガンは「プサヌルパックジャ!(釜山を変えよう!)」でした。
 当年の釜山はなんといってもAPEC首脳会談の開催・並びにそれが成功に終わったことが何よりも大きなニュースです。
 11月、世界中に「Busan、Korea/大韓民国・釜山市」の名前がとどろきました。首脳会談開催前後の市内は厳戒態勢となり、市庁舎等の公共施設や百貨店等の出入り口等、いたるところで金属探知機が設置され、重装備の兵士が市中を警備に回るなど、重々しい雰囲気となりました。

ヌリマル・APECハウス
(APEC首脳会談会場・海雲台)
APEC記念花火大会
(広安里海水浴場、11月16日 朝鮮日報より)
 対外経済政策研究院(KIEP)の李景台(イ・ギョンテ)院長によれば、APEC開催による経済効果は、投資誘致効果、間接的な誘発効果等を含めて約4700億ウォン(約530億円)と試算されています。日本では釜山を知らない人はほとんどいないとは思いますが、毎日のように釜山がニュースで流れると、「今度休みを取って釜山に遊びに行こうかしら」といった、韓流ブームとの相乗効果で間接的に釜山・韓国に旅行を、という人もこれから多く出てくるかもれません。

 11月16日(水曜日)は広安里海水浴場で韓国史上最大規模、8万発という空前の大花火大会が開催され、大混雑緩和施策等の課題は残りましたが、会議参加者はもとより市民、観光客の方々に大いに喜ばれたようです。
 私がこの地に赴任した2004年4月から1年半強の間に、釜山市内も大きく変貌しました。海外からのお客様をお迎えするため、金海空港や釜山港国際旅客ターミナル及びそこから中心市街地へ向かう主要道路を中心に見違えるほどきれいになり、植栽の増加、バス停留所の更新整備、歩道の補修、交通標識等の付け替え、そして地下鉄3号線の開通と、みるみるうちに都市景観が変化してきました。
 そして、11月15日には、許南植(ホ・ナムシク)釜山市長が、「2020年の夏季五輪を釜山市に招致し、平壌(ピョンヤン・朝鮮民主主義人民共和国)との共同開催をしたい」と五輪誘致を正式表明しました。現在釜山市は2009年のオリンピック総会並びにIOC総会開催候補地である9都市の一つとしてノミネートされており、来年2月の結果発表を待っている状況ですが、APEC開催都市、その後の五輪開催地への立候補、ソウル五輪で実現できなかった平壌との共同開催。論法の中身一つ一つが非常に説得力があり、意気込みを感じさせられます。釜山が「第二の故郷」となった私としても、なんとしてもこれらすべてを勝ち取って欲しいと願っています。いや、釜山ならできると信じております。

2020年五輪招致を表明する
許南植(ほ なむしく)釜山市長
(11月15日 慶南日報より)
 さて、日韓関係の2005年はといえば、「日韓友情年2005」といいつつも、歴史教科書問題や、領土問題等により両国間でいろいろな問題が発生しました。中には姉妹都市交流の絶縁といった問題も発生し、大部分は徐々に回復の兆しを見せてはいるものの、依然として厳しい状況も見られます。
 ここ釜山ではそういった問題はほとんどなく、経済交流はもちろんのこと、日本各地との交流も非常に盛んです。ご存知かも知れませんが、釜山市役所には現在私の他にも福岡市からの派遣職員も来られており、地域経済力で大きな力をもつ福岡市は高速船の往来も盛んなため、行政交流都市として様々な交流活動が行われています。このほか、長崎市、大阪市などとも観光事業をベースに盛んな交流が行われています。12月には北海道との交流も公式にスタートしました。
 このような意味で、釜山市は韓国の中でも特にビジネスライクに「大人」のお付き合いのできる都市として非常に頼り甲斐のあるパートナーだと思います。日本とは、地理的に極めて近い位置関係にある山口県、下関市としても、今以上ビジネスのチャンスや体育、芸術、文化等様々な分野でチャンスを見つけていろいろなお付き合いをしていって欲しいと思いますし、私自身もここで知り合い、お世話になった方々を一生大切にしながら、帰国後も私なりの交流をできる限りやってみたいと思っています。
 APECを成功裡に終えたことで今や釜山市は世界に名を馳せる都市として知名度を高め、ステータスを上げ、そしてこれが2020年のオリンピック誘致で成熟する、というシナリオは、考えるだけですと非常に簡単明快ですが、実際にそれに向かっていくエネルギーは大変です。表面の盛り上がりとは裏腹に釜山市の経済は大変冷え込んでおり、経済の活性化も大きな課題の一つです。しかし、「2020年、都市の完成」を目指して着実に前進をしている釜山市は必ず厳しい部分を確実に克服するエネルギーを持っていると思います。そんな釜山市に、得がたい経験を与えてくれた私の第二の故郷として、心からエールを送りたいと思います。釜山広域市、ファイティン!
 皆さまにおかれましても、国こそ違いますが、大きなポテンシャルを持ち、絶えず変化を遂げ、ほんの200kmの距離、そして「家族」である釜山市のもついろいろな長所を、どんどん参考にしていただけたらと思っています。
 私の本紙「こくさいか山口」への寄稿はこれで最終回となりました。2年間8回にわたり、拙いレポートにお付き合いくださり、ありがとうございました。
 最後になりましたが、2006年が皆様にとりまして一層素晴らしい年になりますことをお祈り申し上げます。  (2005年12月15日こくさいか山口2006年1月〜3月号)

朝鮮通信使と下関
(「こくさいか山口」)10〜12月号 掲載記事 釜山派遣職員 古川 力)2005年10月

 去る9月6日から10日まで,釜山市で「2005年朝鮮通信使韓・日文化交流祝祭」が行われ,釜山市と姉妹都市であり,朝鮮通信使の縁故地でもある下関市からも関係者が参加しました。
 朝鮮通信使は,朝鮮王朝当時の友好・善隣外交使節団で,その起源は日本の室町時代にさかのぼるとされていますが,戦国時代に入り自然消滅しました。慶長・文禄の役で豊臣秀吉軍が侵略,完全に関係が断絶していたのですが,両国の努力で始まりました。江戸時代(1607年〜1811年)に計12回の使節団が来日しています。下関はその本州の玄関口として使節団が立ち寄った重要な縁故地です。
 4年ほど前に下関市で朝鮮通信使の行列再現が行われ,昨年,本年は下関恒例の大イベント「馬関まつり」において華麗な行列再現が行われるなど,今や県内でも朝鮮通信使の知名度は急速に上昇していることと思います。
 今年の馬関まつりでは,行列再現のほか,写真コンテストやプロモデルを招聘して「朝鮮通信使ファッションショー」なる新企画も行われ,好評を博しました。

韓国各地で恒例行事となった朝鮮通信使行列再現
(提供:(社)朝鮮通信使文化事業会)
 韓国における朝鮮通信使の文化継承事業は,2002年3月,「朝鮮通信使行列再現委員会」が発足され,本年(2005)には社団法人「朝鮮通信使文化事業会」となり,通信使が残した足跡を見つめながら日韓の文化交流に力を注ごうというプロジェクトで,姜南周(カン・ナムジュ)執行委員長(釜慶大学校前総長)をはじめとして,常勤職員5名の方々が行事の企画や実施等のため,忙しく仕事に従事しておられます。
 秋に釜山で行われている「韓・日文化交流祝祭」では,例年下関からも平家踊りチームなどが参加し,日本の文化ならびに下関の紹介を行っていますが,本年の行事では昨年に引き続き「馬関奇兵隊」という,市民サークルによる「よさこい踊り」チームが参加しました。

龍頭山公園から南浦洞をパレード
 よさこい踊りといいますと,現在北海道から九州まで,全国的に流行している踊りですが,彼らの踊りの特徴は「地元下関を元気にすること」だそうです。地元の伝統芸能である「平家踊り」を踊りに組み込んだりするなどして,それをアップテンポの曲の中でとても元気に,素敵な笑顔で踊ることで,内外からも注目を集めておられるそうです。
 彼らは昨年の祝祭にも参加して,大好評でした。下関を代表する国際友好親善団体として,今回は,姉妹都市釜山の人々にも楽しんでもらえるよう,あの有名曲「釜山港に帰れ」をテーマに踊りを制作して臨みました。
 トロット(韓国演歌)に代表されるとおり,韓国の人たちは老若男女を問わずアップテンポの音楽が大好きです。ノレバン(カラオケハウス)に行けば,テンポの速いトロット曲を歌いながらみんなで踊ります。1曲2曲ではありません。韓国には「NHKのど自慢」とほぼ同様の番組がありますが,日本のようにじっと座って聞いているのではなく,後ろで見ている人など関係なく,自分が気に入ったり感動したりすると立ち上がって踊り始める人たちがたくさんいます。そういったノリの人たちですから,よさこい踊りも始まるやいなや大拍手。「さあ,みんなで一緒に‘釜山港へ帰れ’を歌いましょう!」と掛け声がかかると,踊りだす人まで出てくるほどの大盛況でした。
 招聘の人数制限もあって,わずか9人の踊り手でしたが,彼らの踊りは釜山市民の心を捉えたようです。公演が終わっても,次々と観衆の方々がやってきて「一緒に写真撮って下さい」。参加者にとっても釜山市民にとってもとてもいい思い出になったことと思います。そのような風景を見ながら,私も自分のことのようにうれしい瞬間でした。ひょっとすると近い将来,当地釜山でも「よさこいチーム」ができているかも知れません。

夜に龍頭山公園で行われたステージ公演(左)
パレードで後の組みとなった忠州女子商業高校のマーチングバンドと記念撮影(右)

 さて,一方で本年は,関釜連絡船開設100周年という節目の年でもあります。
 1905年9月11日に開設された関釜連絡船は,終戦の1945年までほぼ毎日運航されていた定期船舶路線です。現在は関釜フェリーと釜関フェリーという日韓の船会社の共同運営という形で1970年から復活していますが,連絡船の歴史は大変に古いものです。
 その開設100周年という節目の本年に,朝鮮通信使文化事業会からの提案で「交流の海路100年」と銘打ち,関釜フェリー,釜関フェリー両社のご協力のもと,釜山から下関への便,下関から釜山への便とそれぞれの国際ターミナルにおいて行事が行われました。
 本年は日韓国交正常化40周年,「日韓友情年」として様々な行事が展開中ですが,100年前は明治38年,現在とは想像もつかないほどのまったく異なる状況だったことでしょう。
 行事では,当時帰国したくてもできなかった在日韓国人の方々や,韓国人男性と結婚しても自分の名前すら名乗れなかった韓国在住日本人妻の方々が相互訪問を行うなどして親交を深めました。
 数日前,仕事の合間に釜山の国際ターミナルを通りかかった折,関釜フェリーを横目にしながら,35年間の関釜フェリーの歴史の重さを感じ,また,連絡船100年の歴史を再認識させられました。
 下関市も合併して30万人,晴れて中核市となった訳ですが,釜山市は370万人,韓国第二の大都市です。同じ土俵では行事もなかなか行うことが難しいのが実情です。そういった中で実行委員会をはじめとして行事関係者の皆さんの熱心な働きかけのもと,馬関まつりでの行列再現や釜山での交流祝祭における関係者招聘が実現しています。このように「朝鮮通信使」を通じて日本と韓国,下関市と釜山市の相互訪問が行われることは,本当に喜ばしく,これからもこの行事を通じた国際交流を大切に育てていかなければならないと思っています。
 昨年4月に2年間の予定で当地釜山に赴任し,あっという間に1年半が経ちました。この間,いろいろな場所でいろいろな人に出会い,違うようで同じ,同じようで違う韓国の様々な文化を見てまいりました。赴任当初はまだ日本もいわゆる「韓流」ブームに火のつき始めた頃。1年半経ってまた新たな局面を迎えていることでしょう。釜山でお迎えする下関の方々の中には私以上に韓国の人気歌手や俳優の名前をご存知の方々も増えているように思います。韓国が身近になっている人たちも恐らく私の想像以上に増えていることと思います。しかし一方で,東京よりも大阪よりも岡山よりも近い,その間たった200kmほどのこんなに近い国のことがまだ遠くに見えるといった人たちもたくさんおられることと思います。そのような方々が,何かをきっかけに韓国に触れてみることができたら,素晴らしいと思います。下関における「朝鮮通信使」も,その一つとして貢献していると,確信しています。
 (2005年9月15日こくさいか山口2005年10月〜12月号)

IWC蔚山会議に出席して
下関市総合政策部国際交流課 主査 古川 力(釜山広域市派遣職員)2005年7月

 2002年に下関で開催された「国際捕鯨委員会(IWC)」の本年の年次会合が,釜山の隣町,蔚山(ウルサン)市で5月27日から6月24日まで開催されました。加盟国57ヶ国,約800名の参加者(蔚山市発表)によって,激しい議論が飛び交いました。
 5月15日に下関で行われた「第4回日本伝統捕鯨地域サミットin下関」において採択された「下関宣言」の発表のため,下関市も日本政府代表団の一員として出席の機会を得る事ができました。毎年日本人の心をやきもきさせる「総会」は6月20日から24日まで行われ,日本を中心とする捕鯨推進国と米英豪等の各国を中心とする反捕鯨刻国との間で激しい議論が交わされました。

IWC総会会議の様子
 会議の結末はといえば,ここ数年間の膠着状態から今回も抜け出すことはできませんでしたが,徐々にその状態も変化を見せ始めています。反捕鯨の国々の反対理論はもう理屈にならなくなってきている,といったところでしょうか。
 とはいえ,仮に商業捕鯨が再開したとしても,南氷洋捕鯨は採算が取れないというのが大方の見解のようですが,それでも将来の食糧資源の有効活用を目指してこつこつと真摯に取り組む,捕鯨推進国代表「ニッポン」の姿勢に感心させられた日々でした。
 私は2002年の下関会議にボランティアとして参加したことがきっかけとなって,捕鯨に関して少し関心を持つようになったのですが,総会の会場に入れるなどとは夢にも思っていなかったので,とても貴重な経験をすることができました。会議の中身については報道その他でご周知のことと思いますが,今回は私が見た「韓国におけるクジラのふるさと」である蔚山についてレポートしようと思います。

 ★蔚山市とクジラ
 蔚山広域市は釜山市の北約70kmに位置し,人口107万人,現代グループの大工場,造船所を中心とした企業城下町です。
 私は下関市民として,日本における近代捕鯨の発祥地であり,商業捕鯨で栄えた山口県下関市が日本の捕鯨の「ふるさと」だと思っていますが,韓国では蔚山市が韓国での捕鯨の「ふるさと」です。日本と違って韓国は全国的に鯨食をしてきた訳ではありませんから,捕鯨に関する国民の捕らえ方が日本とは少し相違する部分がありますが,蔚山に来ると鯨料理を出すお店はたくさん存在します。無論現在は商業捕鯨は存在しませんが,韓国では他の魚類と混同して網にかかったもの等が市場に出回るようです。当然,料理は非常に高価です。蔚山市と捕鯨の関係は非常に古く,8000年前に作られたとされる磐亀台(バングデ)岩刻画がその代表です。複数の種類のクジラの絵に加え,「捕鯨」の事実を証明する船や銛等までが描かれており,韓国の国宝に指定されている非常に貴重な資料が残っています。

国宝、盤亀台(バングデ)岩刻画
(左端はその一部)
 いにしえの商業捕鯨水揚げ港,長生浦(チャンセンポ)地区において,捕鯨文化の継承,商業捕鯨の再開祈願のために始められた「蔚山クジラ祭り」が,本年で11回目を迎えました。下関といえば「ふく」がシンボル,蔚山市は「クジラ」がシンボルマークです。市役所の職員がスーツの胸につけるバッチが可愛いクジラのキャラクターバッチなのにはびっくりさせられます。なるほどIWCを誘致した熱意が感じられます。また,この5月末には市民待望の「蔚山クジラ博物館」がその長生浦地区についにオープンしました。太古の資料を初めとしたクジラ関係の展示内容は非常に充実しており,たくさんの入場客で賑わっています。今後も話題を集めそうな施設です。
 下関市は一昨年からこの「クジラ祭り」に参加しており,地元のPRはもとより,日韓の捕鯨文化の相互理解並びに将来の商業捕鯨再開を目指した両市の接点を暖めてきました。

5月末にオープンした長生浦クジラ博物館
 ★捕鯨に関する日韓関係

 日本はIWCにおいて捕鯨推進派の中心国として奮闘中ですが,韓国ももちろん捕鯨推進派の一国です。考え方の違いもあり,日本の意見と必ずしも一致しない部分もあるようですが,蔚山会議を誘致することで,国宝の磐亀台岩刻画やクジラ祭りといった韓国の捕鯨文化を紹介し,世界にそのスタンスを知ってもらうことが重要と考えているようです。
 今回の会合でも,日本海地域における目視調査を日韓の協力関係の下で開催する決議案が韓国から提出され,めでたく可決されました。
 韓国で仕事をしている私としては,もっともっと協力関係を深めていって欲しいと願いたいところです。

休息時に会議場の一角で取材に応じる
水産庁 森下漁業交渉官
 ★会議ボランティア

 2002年の下関会議でも300人を超えるボランティアの活躍が会議の成功に大きく貢献しましたが,蔚山会議でも総勢250名のボランティアが各所に配置され,素晴らしい活躍が見られました。特に下関会議と違ったのは,英語ボランティアだけでなく,約40名の日本語ボランティアも配置され,多くの日本人関係者に歓迎されました。
 語学レベルの高さに加え,「おもてなし」の上手な韓国。物怖じせず,笑顔でてきぱきと応対しておられる姿を見て,自分自身大変刺激を受けました。
 今回の会議は捕鯨推進国にとって一部の進展を見せたものの,大きな収穫には至りませんでした。しかし,会議の運営面としては,蔚山会議は下関会議に引けをとらない,いや,それを上回る大成功を収めました。蔚山会議が各国の参加者にとって忘れがたい思い出になっただけでなく,ボランティア一人一人にも大切な思い出になったことと思います。
 韓国の「クジラのふるさと」である都市として,今回のIWCをきっかけに蔚山市はこれから韓国における商業捕鯨再開の旗振り役を担っていくことでしょう。前の記事でも書きましたが私も両市のボランティア交流活動を通じて蔚山市にたくさんの友人ができました。
 一時の盛り上がりだけでなく,「捕鯨」を土台として,今後,蔚山市,下関市において新たな交流の機会が増えてくれればと願っています。 (2005年6月27日こくさいか山口2005年7月〜9月号)

ピンポン外交?私の「草の根交流」
(「こくさいか山口」)4〜6月号掲載 釜山派遣職員 古川 力)2005年4月

 釜山における生活もあっという間に1年を過ぎました。このままうっかりしていると赴任予定期間の2年間など,一瞬のうちに終わってしまいそうなので,気を引き締めてやらねば,と気合いを入れなおしているところです。
 韓国に来て,何らかの余暇活動をしたいと思っておりました。できればサムルノリやテコンドーのような韓国伝統の音楽やスポーツを勉強したいとも思っていたのですが,職場である釜山市役所に,職員サークルがいくつかあり,その中に英会話部と卓球部があることを知り,下関でも続けていたものでもあるし,帰国後も続けられるということも考え,生活が落ち着いた昨年初夏頃から2つのサークルに入ってそれぞれの仲間と練習を楽しんでいます。


両市役所英会話部の交流風景
交流会はすべて英語で行われました

 英会話部の活動は週1回。毎週水曜日のお昼に集まって食事をしながら前もって指定された題材をもとに,英語でディスカッションをします。「日本人は英語が話せないのでは?」という釜山市の職員の皆さんの“偏見”もあったようで,最初はびっくりされていた人もいらっしゃいましたが,2年間韓国語漬けになって英語が錆び付かないよう,特段の行事がない限り,週1回の活動に参加するようにしています。うれしいことに,昨年11月には下関市役所の英会話部の有志6名が休暇をとって釜山市を訪れ,通訳のお世話にならずに,「英語」を通じての両市職員の交流も行われました。
 一方,卓球部の活動は退勤時間の午後6時以降,毎日行われています。うらやましい話ですが,市庁舎の26階にスポーツジムやシャワー室が備えられているので,やる気になれば昼休み退勤後といつでも利用が可能です。さすがに私は毎日やることはできず,結果的には週1回程度ですが,汗を流すことなどでストレスの解消もでき,韓国のおいしい食事による肥満防止?にも役立っています。感覚的な話ですが,韓国は日本よりも卓球を楽しむ人が多く,卓球部の部員もたくさん練習に来られるため,知人も一気に増えました。
 卓球部でも関釜の交流が実現しました。昨年末頃から「下関市役所の卓球部と交流試合をしに行こう」という話が持ち上がり始め,ついに去る3月にそれが実現しました。下関まで本当にみんなが来てくれるのだろうか?という不安は,関釜フェリーに乗るまで消えませんでしたが,やがて本当にそれが実現しました。交流試合の結果は接戦の末,釜山市が4対3で勝利。受け入れ側も手弁当でしたが,「できることを精一杯」のおもてなしをしたことで釜山市の参加者(9名)はもとより下関市の参加者にとっても忘れられない思い出をつくることができました。釜山市メンバーから「行ってよかった。素晴らしい思い出ができた。今度は是非下関から釜山に来てください」と言われた時は,言葉で言い現せないほどの喜びを感じました。下関市側も「今度は勝利を」と意気込んでいます。

 
両市役所卓球部の交流試合風景(左)と記念写真(右)
こちらは「卓球」という言葉で親睦が深められました

 また,この2月には,釜山市のおとなり,蔚山(ウルサン)市で,この5〜6月に行われるIWC(国際捕鯨委員会)蔚山会議にボランティアとして配属される予定の皆さんと,2002年下関会議の際に活躍した「語学ボランティアとの交流」といった行事も実現しました。この行事では,蔚山の皆さんから「先輩の下関に学ぼう」ということで,下関会議当時のボランティアで構成されるボランティアサークルが招請を受け,現在も語学ボランティアを続けている8名が訪問し,当時の経験等を熱く語りながら交流を行いました。
 2005年は日韓国交回復40周年の記念すべき年,「日韓友情年」です。日韓両国がさらなる交流を深め,お互いの理解を深めようとしていた矢先,2月9日のソルラル(旧正月)を過ぎたころから,にわかに「竹島(韓国名:独島)」に関する一連の報道や歴史教科書問題等が反日運動を大きくさせ,交流の中断や訪問のキャンセル,大きなものに至っては姉妹縁組の断絶宣言といった悲しい事態が少なからず起こっています。


語学ボランティアとの交流 於:蔚山広域市

 山口県内においてもいくつかこのような問題が起こっているのも事実です。昨年,年間利用客100万人を突破した釜山港国際ターミナルも,昨今なんとなく一時のような活気が無くなっているような気もします。釜山市と下関市との姉妹都市関係においては現在のところこのような事態には至っていないため,正直なところあまり実感がわきませんが,日韓友情年事業はこれまでの交流をさらに深めるための重要な行事が満載だったはずなのに,部分的には影響が出ている状況にある,といったところでしょうか。
 本年9月には,関釜連絡船就航100周年を迎えます。長い交流の歴史で結ばれた釜山と下関とは,一時の風に流されることのない強固な関係のもとで将来の日韓関係を引っ張って行って欲しいと願っていますし,そのような関係の構築に少しでも役に立てるよう,仕事に取り組みたいと思います。
 一連の問題について,私がここで意見を述べる立場にはありませんが, 向こう1年間,韓国に住む日本人として,ここ韓国で何をするべきなのか,しなければならないのか,ということを真剣に考え,実行していかなければならないと思っています。仕事はもちろんですが,仕事以外にもするべきことがたくさんあるような気がしています。韓国と何らかのお付き合いのある皆様には,地元下関市と釜山市,山口県と慶尚南道との交流をさらに進めていくため,「自分に何ができるのかを考えてみる良い機会」が訪れたと考えてみてはいかがでしょうか。
 英会話と卓球の交流は,私の仕事とはまったく関係のないものですが,本年度は次のステップ,釜山市役所英会話部の下関市訪問,下関市役所卓球部の釜山市訪問を是非とも実現させようと思っています。英語も卓球も,規模や立場は少々違いますが,同じ市役所に勤務する公務員として,仕事に関することについても意見交換を行うなど,交流の中身の発展も考えていきたいですし,それらが今後「市民の交流」として続けられるよう,「草の根交流」の一助にできればと思っています。
 (2005年4月15日こくさいか山口2005年4月〜6月号)

日本語弁論大会 下関市長賞受賞者研修旅行記
 この旅行記は、2004年10月31日に韓国・釜山広域市で開催された日本語弁論大会(主催:在釜山日本国総領事館、下関市など後援)で下関市長賞を受賞した学生が、2005年2月9日から14日まで下関市への研修旅行を体験し、その感想をまとめたものです。
 研修旅行に関する2名の学生の体験記ならびに本市職員の同行体験記をご紹介します。
1. 釜慶大学校 日語日文学科   金 祉ォ 〜2月14日 明け方 5時〜 下関を思い出しながら 2月9日に釜山を発ち、再び釜山に戻ってこようとしている。釜山沖に浮かんでいる船、「はまゆう」。その船の中で明け方5時に目が覚めた。最初は客室の全体の電気をつけたが、すぐ外側の電気だけ消す。ヒウンさんが寝ている。昨夜食事した後、まるで倒れそうになって先に眠ってしまったので、ヒウンさんがいつ頃眠ったのかわからない。足下には、旅立つ時三つだった鞄が六つに増えている。ヒウンさんにはすまないが、かさかさ音をたてながら、その鞄を三つに積んでみる。より大きい鞄に、積み重ねたり挟み込んだりする。5時から20分位が過ぎた。じっと座って、思い出のつまった鞄を下ろし、写真を取り出してみる。

ホームステイ先の家族がいる。優しいおじさん。奥さんで、私と好みがピッタリ合った愛さん。賢い5歳ハルカ、かわいい2歳リョウタロウ。初対面の日を覚えている。初対面はいつも気まずい。あの日もそうだった。しかしあの日がなかったら分からなかっただろう。どんなにいい家族であったかを、どんなにいい友達であったかを。初対面の気まずさは、次の日、小倉城の前で陰踏み遊びをしてなくなった。2歳、5歳、子供たちの言葉くらい大丈夫だろうと思っていたが、リョウタローの言葉は私を200%緊張させた。おそらく一番難しい日本語であろう。朝8時30分位になると居間におりてもいいのだろうか、暗くなるといつ部屋に上がればいいのか、まごついた記憶。早めにおりて遅めに上がったが、失礼ではなかったのだろうか?


よさこいチームがいる。「よさこいチームの人達は日本人ではない気がする」と、古川さんはおっしゃっていた。明るくて、明るくて、あの人たちはあんなに明るいのに、私はどうしてこんなに落ち着いているのか、と考えさせられる。すぐ真剣な私を取り戻したが、よさこいチームと一緒に過ごした時間は、「私らしくない私」でいるのも悪くない、ということを教えてくれた。踊りながら笑ってみる。いや、自然に笑いが出る。順番さえしっかり覚えていないくせに、人の動作をまねばかりしているくせに、笑う。私の心まで明るくなる気分だ。


古川さんがいる。一昨日焼鳥屋でおっしゃった。「弁論大会で発表した人の中で日本で焼き鳥をもてなしてもらった経験を話した人がいたが、今度下関に来る人たちには焼き鳥をもてなそう」と、あの時のスピーチを聞きながら考えたそうだ。そうそう、覚えている。緊張していた時だったから記憶が確かではないが、なまりで話すおじさんの情味が感じられた、といった内容だった。古川さんは私たちになまりを言わない情味のあるおじさんだ。必ずしも鳥だけを焼くわけではないといろいろなものを注文して種々の「焼き鳥」を見せてくださった古川さん。私を驚かせたのは、玉ねぎをきってそのまま焼き出した焼き鳥だった。「渦巻き模様」だ!
下ろしたものを積み重ねたり挟み込んだりしてみる。今よりも頭が大きくなったら困るのに、悩み悩んで頭がさらに大きくなった気分だ。
日本語を習って良かったと思った。久しぶりに浮かぶ思いだ。去年弁論大会のため本当に苦労したが、「人間万事塞翁が馬」。私にこのようなプレゼントをあげるために苦しませたのか。彼らと結んだ縁が長い間続いていって欲しい。深くお互いを理解し合って、長い間お互いを見守っていて欲しい。日本社会、日本文化、日本歴史が、友だちの社会、友だちの文化、友だちの歴史に変わっていく。日本のことが、自然に「勉強(学問)」でなく、「楽しく、興味をひく話」に変わっていく。ふと、2月9日に旅立った時の私ではないことに気付いた。
 「ジヘさん起きていたの。」ヒウンさんである。旅行中いつも大きな力になってくれたヒウンさん。「ヒウンさん、忘れられない時間だったよね。だよね。」と、心のなかで言ってみる。返事は聞かなくてもわかっているから。




 私は昨年10月に行われた日本語弁論大会で下関市長賞を受賞し、副賞として下関への旅行に招かれました。とてもドキドキしながら、関釜フェリーに乗りました。
 今回の旅行は、下関で歴史的に有名なお寺や神社など、下関市を旅行する時に必ず寄る場所を観光する、という日程。さらにそれに加えて、フグを刺身にすること、着物を着ること、よさこい踊りを習うこと、ホームステイなど、いろいろな日本の文化を体験することも織り込まれていました。
 下関市は日本の歴史で重要な役割をしている都市でした。ですから、観光したほとんどの場所が歴史と関係のあるところでした。いろいろな歴史に関する説明を聞きながら観光したのですが、韓国で日本の歴史の授業の時に勉強した内容が出てきて、理解しやすかったです。ですから、「もし、私が日本の歴史について全然わからなかったら、どうなっていたのか?」とも考えさせられました。実は、大学で日本の歴史について勉強することになった時、「これを今、本当に勉強する必要があるのか?」と考えましたが、今になって考えてみると、その授業を受けたことが大変幸運だったと思いました。

 私は、2日間、日本の家庭でホームステイをする機会をいただきました。私は日本人と一緒に生活をするのが初めてでしたから、すごく嬉しかったのですが、一方で、私の日本語は通じるのだろうか?という不安もありました。
 ホームステイ先の家。可愛い2階建てで、庭には韓国の「ジンドッゲ」という犬に似た犬もいたお陰で、そんな不安もなくなりました。家に入って家族に挨拶をした後、家の中を見てびっくり!キッチンや、お手洗いなど、家の中の壁のあちこちに「冬のソナタ」のポスターが貼ってあるではありませんか。また、食事をする時は「冬のソナタ」の主題曲を聴きながら食べました。日本で「冬のソナタ」が人気があるそうだという噂は聞いていましたが、どんなものか想像がつかなかったので、とてもびっくりしました。

 また、いつも本だけで勉強してきた日本の家庭の生活を体験することができて、とてもいい経験になりました。特に私が一番気になったことは、お風呂を使う習慣の違いです。日本ではお風呂に入るとき、一度水を入れたら、その水で家族全部が使うということを聞いていたのですが、実際どうなのか、とても興味がありました。他の人が使った水を次の人が使ったら、気持ちが悪くなるのではないかと思って聞いてみたら、「日本の人たちは気にしないよ。」と答えてくれました。私は少し慌てましたが、「これが日本の文化なんだ」と実感したのを覚えています。
 今回の下関の旅行は、今までの私の日本への旅行とはまるっきり違うものでした。今までの日本旅行は、韓国の友人と一緒に韓国語で話しながらの観光でしたが、今回は日本の人たちの中で、一緒に生活をしながら、日本という国を本からでなく、私自身の眼で見ながら、手にとって感じながら、日本の歴史を、そして文化を感じることができました。また、日本という国を、わかっていたつもりでいましたが、きちんと覚えていなかった内容を、自分の眼で見て、体験し、感じることができた後は、きちんと覚えることができたことは、やっぱり「百聞は一見に如かず」だということを実感させられました。
 外国語〜日本語を勉強している私にとって、外国語を勉強することは、ただその国の人と会話をすることではなくて、その国の文化を、歴史をよくわからなければならない、ということを痛切に感じました。
 今回の旅行で、私は絶対に忘れない思い出と大切な人たちができて、すごく嬉しいです。これは一生忘れられません。
 また、下関に行きたいです。



 この行事の目的は、日本語弁論大会で下関市長賞を受賞した二人の学生を下関市に招待することで、下関(日本)を肌で感じてもらい、下関(日本)を知ってもらうこと、ひいては、我が町下関の(日本の)ファンになってもらうことである。船中2泊、現地では3泊4日という極めて短い期間の中でいかに効率的にプログラムを作るかが腕の見せ所だ。他方、韓国、特に釜山市との長い歴史を持つ下関市民にとっても、二人の学生を受け入れて現在の韓国の若者の考え方を学ぶチャンスである。さしずめ朝鮮通信使ならぬ「ミニ通信使」といったところであろうか。

 下関市長賞受賞者が決まると、早速準備である。プログラムを充実させるために、11月以降、何度かミーティングを行い、計画を練った。「日本を体験したい」という彼女達の希望を実現するため、少々忙しいスケジュールにはなったが、ホームステイ、ふく(フグ)料理体験、振袖の着付、韓国でも披露された「よさこい踊り」の体験と、日本を充分に味わい、そして再び「行ってみたくなる、知り合った人たちに会ってみたくなる」プログラムを作成した。 出発日となった2月9日は旧正月。韓国ではソルラルと言って、正式にはこの日をもって新年を迎える。下関では「ふくの日」。素晴らしい巡りあわせだ。下関は日本のふく(河豚)料理の本場であり、ふくはこのシーズンが一番美味しいとされている。この時期に下関を訪問することにした。

 二人の学生に下関のいろいろなところを見てもらいながら、外国人には少し難しい歴史の説明もした。下関は武士の時代が始まった地、そして武士の時代が終わった地。下関名物の上臈人形の工房を見て、赤間神宮の前を流れる海を見て、実際にふく料理を調理し、食べる。さぞ難しかったであろうが、彼女達は下関という町がどんな街なのかをしっかりと理解してくれたと信じている。とにかく、訪問先のそれぞれで、ものを見る眼が違っていた。限られた時間の中でできるだけ吸収して帰りたい、という意欲が感じられた。彼女達のきらきらと輝く眼を見ていて、なによりも自分自身が一番うれしかった。

 受け入れ側の下関市はどうだったろう。彼女達、すなわち生の「韓流」に衝撃を受けていたようであった。ホストファミリーの2家族はといえば、予定に入れていなかった最終日まで付きっ切りで同行してくれた。この2家族の皆さんをはじめ、着付教室の先生方、よさこい踊りチームである馬関奇兵隊のメンバーそれぞれがボランティアで彼女達の受け入れに尽力してくれたことはわが町の財産だ。フェリーの出発ロビーでは涙も見えた。関係してくださったみんなが見送りにまで来てくれたのは、「ミニ通信使」が成功した証であろう。

 帰りのフェリーの中で、撮影した写真を見ながら、二人が私に話してくれた。「これからアルバイトをしてお金を貯めて、今年の夏休みに再び二人で下関に行くと約束しました。」それぞれの訪問先でたくさんの人達に出会い、今後も連絡を取り続けたいといった話が出たのは大きな収穫だ。一方、今回面識ができた下関の知人が釜山を訪れる際、「みんなが釜山に来たら私たちが釜山を説明するんですね」とすでに心構えが出来上がっていたのには驚いた。

 こうして再び二人が下関を訪れ、今回二人に会った下関の面々が、二人に会いに釜山に遊びに来る…これらが実現したら、なんと素晴らしいことだろう。「近くて遠い国」から1日も早く「近くて近い」国へ。その関係は市民レベルではもう完成しつつある…そのように実感した。今回の行事の目的は、今後時間をかけながら達成されるものと確信している。

 釜山へ戻るフェリーの中で酒を飲みながら、ふと、初めて自分が韓国の地を踏んだ7年前の衝撃と、初めて海外旅行をした15年前のことを思い出していた。

 韓国にやってきてまもなく1年。生活には慣れたがまだわからないことも多い。慣れたがために日頃気付かずにいることも多くなってきた。疑問を生じつつも、つい忙しいと、聞かずに流してしまうこともある。赴任中に韓国の、釜山のできるだけのことを吸収して故郷に戻れるよう、今一度初心にかえろう。2人の学生が私に教えてくれたことであった。

 最後に、この場をお借りいたしまして、今回の研修生受け入れにご協力くださいました関係の皆様方に、心からお礼申し上げます。

第2回釜山貿易EXPOを終えて
(「こくさいか山口」)1〜3月号掲載 釜山派遣職員 古川 力)

 2004年の韓国は,国会議員選挙をはじめ,釜山市においてもAPEC会議開催地が釜山に決まり,すぐその後で市長選挙が行われるなど,社会的な変化がたくさんありました。一方で「ヨン様」効果は確かにものすごい勢いでした。今や「ヨン様」という呼び名は完全に韓国の中で定着し,民間の試算では「ヨン様」が韓国にもたらした経済効果は2兆5千億ウォン(約2500億円)と弾いており,当地釜山管内でも,外島(冬のソナタのロケ地)を訪れた日本人観光客は20万人を超えたとか。韓流ブームはまだ止まるところを知りません。
 一方で国内経済は非常に厳しい状況となっています。繁華街を歩いていると本当にわからないのですが,景気は回復の兆しどころかさらに沈滞ムードが続いており,新聞やテレビでも企業のリストラ政策をはじめ,貧困に苦しむ人たちのニュースやそれによって生じる事件のレポート等も結構出てくるので,楽しい話題ばかりではないのが実情です。人気の店はともかくですが,レストランや食堂,酒場などに行くと,閑古鳥の鳴く店もそれなりに多く見られます。携帯メールによる大学修学能力試験(日本のセンター試験にあたる)集団カンニング事件もこのような世相を反映しているように見受けられます。
 そんな中,11月に開催された水産貿易EXPOには,韓国内企業はもちろん,海外からも多くの参加者でにぎわった大イベントとなりました。私にはあたかも釜山の関係者の皆さんが「不景気を吹っ飛ばせ」という意気込みで参加・運営に取り組んでおられるように見えました。


第2回釜山貿易EXPO 開会式

 「第2回釜山国際水産貿易EXPO」は,去る11月25日(水)から28日(日)まで,韓国最大級の展示コンベンション施設である釜山展示・コンベンションセンター“BEXCO”で行われました。参加数22カ国,計700を超えるブースが出され,各種水産加工品の展示・即売,芸術的な刺身の盛り付けの展示等をはじめ,冷凍冷蔵技術の展示や,水産物の輸出入等に関する多種多様な展示が行われ,連日たくさんの来場客で賑わいました。
 我が町,下関市は,山口県と共同でブースを出展しました。山口県は下関漁港で今水揚げ日本一となっている「アンコウ」のPRを,下関市はふく・うに・くじらをはじめとした水産加工品のPR及び下関市の観光PRを行いました。山口県庁及び下関市役所の職員がブースに張り付き,地元の国立大,釜慶大学水産経営学科の学生を通訳に雇うなど,支援体制も万全にしてPR活動を行いました。さらには,これらに加え,地元民間企業経営者の皆さんも多数来韓され,一緒にPRや商談等を行いました。
 意外と日本からの出展者が少なかったことも書き加えておきます。10月に行われた国際観光展では,日本の各自治体を中心とする出展ブースが数多くありましたが,当EXPOでは数えるほどでした。


展示ブース風景

 釜山では下関は「ふく」が有名なのはそれなりに知られているようですが,「アンコウ」には結構びっくりしておられました。「えっ,日本人もアンコウ食べるの?」という人も。加えて,夏場に下関から韓国向けにアンコウが輸出されているのを知ると,更にびっくりされていた方もおられました。現在日本ではアンコウは夏場には食べる習慣がないため,韓国へ輸出されているようです。  余談ですが,アンコウを使った料理では日本食としての「アンコウ鍋」はもちろん結構ですが,韓国式「アグチム(アグィチム)」「アグタン(アグィタン)」が,韓国食になれてきた日本人の口にも合うのではないかと思っています。勉強不足で恐縮ながら,まだ私は下関で見たことがありません。グリーンモールの一角で,C1焼酎(釜山ブランドの焼酎)を飲みながら,アグチムをつつく日が来ないかなぁと思っています。
 現在,日韓両国では,ふくは加工品としての輸入が規制されており,残念なことに郷土の代表ともいえる,技術レベルの高いふく関連加工製品を韓国へ輸出することはできません。しかしながら,アンコウやメクラウナギ(ヌタウナギ)等の一部の鮮魚類は,関釜フェリーや他の輸送手段を通じて輸出されています。韓国へは水産関連製品以外にも多種多様なものが輸出されていますが,輸出がビジネスとして成り立つキーは,価格と品質です。特に,価格については,全体的に韓国の方が日本よりも流通価格が安い中で,どのようにしてビジネスを成り立たせるかは,非常に難しい問題です。日本をよく知る人であればあるほど,日韓の価格差は認識されており,こと水産関連品目においては,日本からの輸出よりはまだ韓国からの輸入の方が多いかも知れません。品質についても,加工品はもとより,現在好調の機械製品についても韓国の技術力が非常に高くなっていることやアフターサービスの面等で使いやすさを強調した製品が増えているために,韓国市場での日本からの輸入品は今後簡単に入れることが難しくなってくるように思えます。ただ,そのような中でさえ,輸出・輸入を問わず多種多様な商談が繰り広げられたのも事実です。
 さて,そこで,仮に2005年,皆さんが自社製品のPRのために当地釜山に来られたとしたら,どのような成果が期待できるでしょう?商談相手は,大袈裟かも知れませんが,世界中のシーフードビジネスマンです。
 ビジネスの相手は,別に韓国でなくてもいいかも知れません。下関市と姉妹都市関係にある釜山市は韓国第2の都市ですが,「海洋首都」です。ゆえに,このような大規模なイベントを容易に行うことのできる資質を備えています。だからこそ,世界各国から参加者が集まってきます。世界中のどのようなシーフードビジネスがそこにあるか,一度覗いてみる,というのは如何でしょうか?それに合わせて,変貌していく韓国の社会・経済の様子も少なからずお解かりいただけるはずです。
 幸い,下関からのフェリー便は絶大な信頼をもつ輸送手段であり,物資と一緒に韓国へ渡ることも容易です。そして,なんと言っても,大阪・東京に行くよりも,安価であること。さらに,下関港でしかできない,年中無休の通関・検疫体制等を利用すれば,安定的な物資の輸出入も可能です。
 そのような意味で,水産貿易EXPOは我々山口県民,下関市民,とりわけ水産関連ビジネスに従事する皆様にとって,非常に意義深いイベントであると実感しました。

 
展示ブースの商談風景

 地元の経営者の皆様,2005年が素晴らしい1年となりますよう,お祈り申し上げ,そして,韓国最大の水産都市,釜山でお目にかかれますことを楽しみにしております。 (2004年12月15日こくさいか山口2005年1〜3月号)

「冬のソナタ」が我々に伝えるもの
(「こくさいか山口」)10〜12月号掲載 釜山派遣職員 古川 力)2004年10月

 釜山市内の観光地である西面や海雲台,南浦洞あたりでは,連日,観光パンフレットを持ったたくさんの日本人観光客を見かけます。本年韓国を訪れた日本人観光客は空前の数となるようです。
 韓国のことを「近くて遠い国」などという表現を,現在どのくらいの人達が感じているのでしょうか?
 空前の韓国人気をもたらした「韓流」ブームの火付け役,「冬のソナタ」は,単なる「ドラマのヒット」だけではなく,日韓関係にも新たな,大きな扉を開こうとしています。私は昨年,日本でこのドラマを見て,感銘を受けた一人ですが,いわゆる「冬ソナ」が日本にもたらしたものについて,韓国にやって来て感じたことについて考えてみたいと思います。

 
釜山市の地下鉄の様子
ハングル表記を除けば,日本の地下鉄と何ら差はありません。乗っているといろいろな習慣の違いがあります。

 韓国の公共交通機関を利用するとよくわかりますが,こちらの若者がお年寄りに席を譲るスピードは日本と比べて非常に速いのにびっくりします。
 日本ではもちろん,親切に譲ってあげる方はおられますが,席を譲らない人もいるかと思えば,譲ろうとする人に「私はまだ若いんだから,年寄り扱いしないで」といって断る人もおられます。
 韓国では,お年寄りが乗ってくると,すぐに席を譲るスピードがとても速いです。最近,老齢者に席を譲らない若者も増えてきたなどどいう話も聞きますが,私が日々見る限り,日本とは比べものにならないほど多いですし,いわゆる「老齢者・身障者専用席」には,若者は席が空いていても座りません。席が空いたからといって一旦座っても,お年寄りが乗ってくると「どうぞ」などという前にすぐに立って席を空ける。これには本当に感心させられます。
 また,座っている人が立っている人の荷物を持つのは韓国では結構当たり前です。たとえば,少し大きくて重そうなかばんを持って立っていると,「ここに置いてください」と言って,目の前に立っている他人の荷物を膝の上にのせて持ってあげるのです。最初はちょっとためらいましたが,数回体験しました。ですから,私が座っているときには人の荷物を持ってあげるようにしています。
 一方で,NHKの韓国語テキストの中で紹介されていたそうですが,いわゆるスポーツ新聞等に掲載されているような風俗関係の広告とか,性的な漫画等を電車やバス等,公衆の前で読んだりすることを日本では結構目にするものです。若者というより,年配の人にこういった習慣が浸透しているのも少々問題ではあります。が,ここ韓国ではまずない,できないそうです。
 良い物は良い。良くない物は良くない。このあたり,日本よりも道徳的・常識的な教育が韓国はかなりはっきりと浸透しているような気がしてなりません。韓国の人達は,日本人よりも年上の人達を大切にし,「苦しいことは分かち合う」精神が日常的に浸透していると言えるのではないでしょうか。
 さらに,これに加えて,韓国と日本の決定的な違いは,韓国が,男性に2年間の兵役を義務付けられていることです。多くの男性は大学に入学し,第1学年が終了すると大学を休学し,軍隊に入隊します。そこから2年間の兵役を経て第2学年に復学する,というものです。韓国人男性に聞くと,多くの人は「今まで一番苦労した思い出は軍隊生活」「軍隊の時は,本当につらかった」「大学に戻ってからが大変だった」と口をそろえて言います。大学に入ったのはいいけど,そこから2年間を国のために働く,というのは,経験のない自分には何とも想像しにくいですが,そういった義務が課せられているからこそ,自分の将来のことを真剣に考えている人も必然的に多い気がします。5年前,10年前と比べると最近では少々変化もあるようですが,例えば軍隊入隊時には,それまで付き合っていた女性とも別れる人も多いとか。
 自己のアイデンティティーを若いうちに確立でき,そのためにどのようなことをしなければならないかがしっかり出来上がっている,こういった若者の比率が多いほど,その国は発展するエネルギーを多分に備えることができます。
 日本で兵役があれば,というのは愚問ですが,韓国ではこのシステムが社会のいろんな秩序を維持させていくのにうまく作用しているような気がします。女性たちも自国の男性が兵役の義務を負っていることを理解しているから,社会のいろいろなシステムや秩序がよりよく保たれているとさえ思います。

 
釜山の一般バス車内の様子
釜山市を走る公共バスは,「一般バス」「座席バス」の2種類があります。

 日本で大ヒットを遂げた韓国ドラマは,純愛や人間としての真の部分が直接的に描かれているので,ただ単に俳優の人気だけでなく,今の日本人が忘れかけている「何か」を呼び覚ましたのではないか,と感じています。他に流されずに自分自身をしっかりと持ち,その上でいろいろな困難や問題に立ち向かっていくところなどが描かれたドラマが,韓国ではごく常識的で当たり前のことだからこそ,「韓流」なのではないかと思えるのです。
 「冬ソナ」が,日本人に対し「自分を見つめなおす」きっかけを作ってくれた,という結論はいかがでしょう。韓国の人達が「私たちをよく見てください」と,アピールしているようにも思えます。韓国の人達は日本や日本人のことを大変よく勉強し,知っています。しかし,日本人は韓国や韓国人のことを彼等が私たちのことを知っている以上には知らない人が多いように思います。我々が,特に次世代を担う若者達が,自分を今一度見つめなおし,韓国や韓国人のいいところを学び,お互いに切磋琢磨していくことができたら,日韓関係はもちろん,日本もさらに大きく飛躍できるような気がします。韓国に遊びに行く時,ショッピングや観光・グルメだけでは,少々もったいないのでは?もう一歩,韓国の内面に踏み込めたら,日本もさらに変わるのでは,ということを韓国ドラマが教えてくれているのではないでしょうか。
 「韓流」ブームに乗って,韓国ドラマや映画・音楽は次々と日本にやってきているようですが,私も当地赴任中,本場の「韓流」にできるだけ触れ,もう一度自分を見つめ直してみようと思っています。(2004年10月18日こくさいか山口2004年10月〜12月号)

勉強熱心な韓国人。さて私たちは?
(「こくさいか山口」)7〜9月号掲載 釜山派遣職員 古川 力)2004年7月

 韓国に来て非常にびっくりしたのは,韓国人の人たちが勉強熱心なことです。今回は私が感じた韓国の勉強熱について書いてみたいと思います。
 日本でも紹介されているとおり,ここ韓国の受験競争は熾烈です。まだ私は釜山に赴任して以降,「受験戦争」たるものを目にしてはおりませんが,数年前,秋に当地を訪れた際,釜山の有名なお寺でたくさんの受験生の母親たちがいわゆる「お百度まいり」をしていたのを思い出します。ここ韓国での仏教の礼拝は「起立してひれ伏す」の繰り返しです。何十分,何時間しているのか,わかりませんが,わが子の合格を祈って,受験シーズンになるとこのようにおまいりをする方がたくさんおられるそうです。
 子供たちもまた大変です。朝,家を出る時に,お弁当を二つ(昼用と夜用)を持っていく子供たちも少なくないそうです。私が住む水営区南川洞の通勤路沿いにも,数多くの学習塾があります。よく「夜型」と呼ばれる韓国人ですが,まんざら嘘ではありません。夜10時になっても小中学生の子供たちが通りをうろうろしていますし,学習塾から飛び出して走り回っています。それから,繁華街の西面や南浦洞に出かける子供たちもいるとか。「夜遊び」は,あまりいいことだとは思いませんが,元気に夜遅くまで遊ぶ子供たちを見ていると,「家の人は心配していないの?」「どうして眠たくないの?」その数のあまりの多さに不思議な感覚を覚えます。もちろん,夜遅くまで塾で勉強して,それから帰ってまた家で勉強する子もいることでしょう。どうしてそんなに元気なの?と思うのは私だけでしょうか?そこまでできるパワーの源は,やはり,キムチやニンニクによるものなのでしょうか?

 
市内のあちこちで見かけるハグォン(学院)。
朝早くから夜遅く目で開講し,沢山の人達が学んでいます。

 子供たちの多くは大学を卒業し,社会人になっても,勉強を続けるようです。
 釜山市庁(市役所)においても,仕事を続けながら,大学や大学院で勉強する人たち,日本語や英語の語学学校に通う人たちは少なくありません。法律や自分の専門分野の日本の書籍を購入し,読んでいる人もたくさんいます。無論,日本語だけではありません。英語だって同じです。いろいろな知識や資格を身につけ,仕事や昇進に生かす,といえば当たり前なのかもしれませんが,とにかく頭が下がります。
 特に語学の学習熱はすごいですね。日本人がここか韓国にに来てまず一番びっくりすることの一つに,韓国は予想以上に日本語が通じてしまうこと,があると思いますが,とにかく日本語の上手な人はたくさんいます。観光地や著名な施設でしたら,ちょっとした買い物なら,ほとんど日本語で事が足ります。
 日本人が韓国に行っても日本語は通じる。しかし韓国人が日本に来ても韓国語はあまり通じない。このような現在の状況でなんとなく対等でないような気がします。
 私の地元,下関市には「グリーンモール」という,チャイナタウンならぬ「コリアタウン」があり,そこは無論韓国人観光客でも韓国語でショッピングや食事のできるお店がたくさんありますが,その他の地域ではどうしても韓国語で対応できる観光施設や店舗は少ないのが実情です。英語についても2002年に開催されたIWC(国際捕鯨委員会)をきっかけに英語学習にも力を入れ始めた施設が増えてきているようですが,韓国語となるとまだこれから,といったところではないでしょうか。
 世界の主要国である日本とそのレベルに猛然と接近している韓国。両国のコミュニケーション能力を客観的に見ると,現在韓国の方がやや優位にいるように思います。私も韓国の人たちに負けないよう,対等に韓国語で話ができるよう,頑張らねばと思っているところです。
 日本では,NHKが人気韓国ドラマの通算4回目の放送を決めたとのことで,韓国ドラマ熱はさらに盛り上がっているようですね。ドラマの台本を教科書にして韓国語の授業を行っている語学学校も出てきているとか。本稿をご覧の皆様の中にもドラマをご覧になって感銘を受けた方が多数いらっしゃることと思います。
 来年は日韓国交正常化40周年,「日韓友情年」です。おそらく今までになく多くの日韓両国の国民が行き交うはず。韓国ドラマを見て受けた感動から,韓国をもう少し知るために,ここで一つ,韓国語の勉強を始めてみる,というのはどうでしょう?最初は幾何学模様(?)のように見えるハングルが読めるようになるだけでも一味違ってくること請け合いだと思います。

KTX開通で韓国パワー加速!
(「こくさいか山口」4〜6月号掲載 釜山派遣職員 古川 力)2004年4月

 この4月より下関市役所から釜山広域市へ派遣されてまいりました。インターネットをはじめとした各種メディアを通じて今や韓国の情報もご関係の皆様には多数行き届いていることとは思いますが,私が韓国釜山の地で初めて感じたことをご紹介させていただき,日韓の相互理解の一助になればと思っております。
 釜山は今,大型施設の建設ラッシュ。2003年1月に広安里大橋が開通すれば,かつて市庁舎のあった南浦洞にロッテが2008年のオープンを目指し,107階建てのビルを含めた「第二ロッテワールド」を建設中。中心地で日本人観光客にも人気の高い西面には三星グループが大規模商業ビルを建設しています。このほか,来年(2005)10月のAPEC開催地が首都ソウル・済州島との激戦を乗り切って釜山市に決まったことに伴い,韓国一とも言われるリゾート地,海雲台(ヘウンデ)の海岸の一角にこれから専用会議場が建設されます。APEC誘致決定に伴い,地下鉄3号線の建設も来年9月の開業へ向けて拍車がかかりました。公共施設・商業施設はもちろん,大規模な高層住宅も市内のあちらこちらで続々と建設されており,市内のどこを歩いていてもこういった場面に出くわすので,本当にうらやましい限りです。


韓国国民の夢を乗せて4月1日に開業を迎えたKTX(提供:韓国鉄道庁)

 そんな中,本年4月1日,韓国国民の期待を背に,最高時速330km(営業速度300km/時)を誇る高速鉄道(KTX)がついに開通しました。
 今回の開通は第一段階で,これまでのセマウル号でソウル〜釜山間が4時間30分かかっていたのですが,2時間40分(2010年の全面開業時には1時間56分)となり,両都市は完全に日帰り圏内となりました。これにより,旅行者数の増加や航空会社との競争激化等,経済活動に様々な変化をもたらすことが期待されています。
 韓国鉄道庁によれば,ソウル〜釜山間の高速鉄道開通により,鉄道旅客の輸送能力は3.4倍増加し,既存の鉄道の貨物輸送能力は,既存の鉄道旅客の高速鉄道転換利用によって7.7倍増加すると見込んでおり,高速道路利用客および高速道路を利用する乗用車の減少等を総合的にまとめると,年間2兆4千億ウォンの経済効果(2001年度対比値,韓国鉄道庁)を創出する,としています。
 国内の移動が陸上輸送のみですべて3時間圏内になるということは,日本の感覚ではちょっと考えにくいことですが,やはり「歴史的な交通革命」ということになるのでしょう。


KTX開業にあわせ,4月に全面リニューアルした釜山駅

 一方で,国民の反応はどうなのでしょう?歴史的大事業なのですから,国民の関心はかなり大きいようです。従って,期待が大きい分,冷やかな反応も少なくないようです。新聞等では「KTX,トラブル続き」とか,「国民の反応はイマイチ」「利用者への配慮が足りない」などといった記事も現在のところいくつか見受けられます。「産みの苦しみ」は,もう少し続くかも知れませんが,週末の釜山駅は,そんな野次はどこ吹く風,大賑わいです。利用者の皆さんがとても爽やかに見えました。
 韓国では政府が昨年9月より週休2日制を導入し,釜山広域市庁(市役所)でも来年7月より完全週休2日制へと移行します。日本の9割に対し,民間企業の週休2日制はまだ6割程度という韓国。労使関係は大変のようですが,行政の導入により,民間企業の導入にも拍車がかかることが見込まれ,さらに「ゆとり」を重視した生活環境に変化しようとしています。週休2日制が浸透してゆけば,それにあわせて韓国経済もさらに変貌し,飛躍してゆくと思われます。まだまだ内に秘めた要素をたくさん持っている韓国。KTXの開通によって,レジャーやビジネス等の様々な分野において,さらなる発展へ向け,条件は整ってきました。(2004年5月11日こくさいか山口2004年5月〜7月号)

たこ焼き屋台出現
(「こくさいか山口」10〜12月号掲載 釜山派遣職員 石田朋彦)2003年10月

 この夏以降、釜山市内のあちこちで、たこ焼きを売る屋台を良く見かけるようになってきました。これまで日本料理といえばヘルシー指向にあいまったチョバップ(すし)・韓国のカルククスに似た味のウドン(うどん)程度であったことを考えると、ちょっとした出来事ではないでしょうか。韓国の食べ物が日本で流行することはあっても、逆に今までほとんどなかったのは、味が曖昧で素材の味を生かす日本の味付けには、なかなか馴染まなかったのではないでしょうか。たこ焼きソースの強烈な味が韓国の味付けに何か通じる物があったのでしょうか。私は韓国に来てはじめは何を食べても同じような味付けに参りましたが、長く生活するうちに味の違いが少しずつ判ってくるのが、嬉しいような怖いような少し複雑な気分です。しかし、なぜ流行しているかは定かではありません。
 昨年、日本車の話をしましたが、実は最近驚くべきお店を発見しました。なな、なんと世界のホンダ(但し二輪車)が私の宿舎の近くにOPENしたのです。価格は日本の倍程度ですから、かなり高い物だと思うのですが、お店の人に尋ねたらそんなに沢山は売れないけれど900cc以上の大型バイクは売れていると話していました。バイクの持ち込みがとても難しく厳しかったのになぜ今この時期にこうしたお店が出来たのでしょうか。
 今まで韓国に観光で来られる外国人の半数以上は日本人であるため、韓国人で日本語を話される方は驚くほど多いし、沢山の日本製品を見かけるのですが、日本文化は過去の歴史のせいで殆どが輸入禁止状態でした。だから道路にある案内標識には日本語表記はないのですよ。今度確かめて見て下さい。
 しかし、今年の9月にちょっとした出来事がありました。日本の大衆文化について日本語歌詞のCD・テレビゲームソフト・18歳以上が観覧可能な映画など2004年1月から解禁する方針が打ち出されました。韓国人の知人に来年1月に開放されたら何を一番買ってみたいかと尋ねたところ、やっぱり日本音楽CDを買いたいというのが一番多かったです。カーオーディオの音質はいま一歩なので日本製のコンポもきっと売れるようになるのではないでしょうか?
 ホンダはこうした情報をいち早くキャッチしたのでしょうか。SONYの広告も街で良く見かけるようになってきました。いずれにしても来年は日本文化が開放されるのでビジネスチャンス到来ではないでしょうか。あなたも、あなた流のお店をここ釜山で開いてみてはいかがでしょうか。

コンビニはあるけど 酒屋がない
(「こくさいか山口」7〜9月号掲載 釜山派遣職員 石田朋彦)2003年8月

  最近韓国は大型スーパーが各地域に建てられ、中には24時間営業の大型スーパーなるものまで登場しています。一段と便利になる一方、お酒を飲むのが好きな韓国の人々、酒屋があるのかなぁ? ふと小さな疑問がわき、町の中を探すのですがこれが見当たらない。今ではコンビニやスーパーにお酒コーナーがあるので買うのには困りませんが、それまでは一体どうしていたのか韓国の方に尋ねた処、60年代までは日本と似たような酒屋があったようですが、外食(外飲)が主流の韓国では、いつの間にかなくなったとの話でした。(ちなみに、酒屋という言葉はないそうです。)
 ところで、韓国は携帯電話を利用する人が多くなり、だんだん市内から公衆電話が消えて無くなる傾向にあるように思えます。やはり、韓国も中学生から携帯を持つ時代に突入しています。今回はこの携帯電話についてちょっとお話します。
 日本は着メロなるものがあり自分の好きな呼び出し音を選択出来るのですが、韓国は一歩進んでいて電話を掛けた相手に自分が出るまでの間、自分の好きな音楽を流すサービス(韓国ではカラーリングと呼びます)があります。結構面白いサービスですけれど、日本から始めて掛けた人はいったい何処に掛かったのか、びっくりする方もなかにはいらっしゃいます。自己主張の強い韓国、これも自分を表現する一つの方法なのでしょうか? 携帯の電話番号も使用されていない限り指定することも可能です。家と携帯の下4桁の番号を同じにすることも可能です。但し解約された電話番号も再使用するため、よく前の人の知り合いが掛けてきて閉口することもしばしばです。サービス内容で面白いのは、カップルホンなるものがあり、夜12時から朝6時まで定額料金で掛け放題、これがあれば遠距離恋愛だって電話料金を気にしなくていいのですから、若いカップルにはお勧めのサービスかもしれませんね。しかし、最新型カメラ付携帯電話はまだ40〜50万Won(4万〜5万円)もするのも現状です。こうしたサービスは結構充実しているのですが、携帯を使いインターネットにアクセスするシステム・サービス内容はいまだに開発途上のような気がします。これには携帯本体の性能向上がかかせないものでしょうから、こうしたシステムや本体を是非韓国に輸出して欲しいと思う今日この頃です。お互いに無いものを探し、貿易につなげて欲しいものです。(釜山広域市派遣職員:石田朋彦)

簡単便利インターネット
(「こくさいか山口」4〜6月号掲載 釜山派遣職員 石田朋彦) 2003年7月

 韓国は日本と比べてコンピューター(インターネット)の環境がはるかに進んでいるとよく聞かれることと思います。たしかに街の中に携帯電話会社のインターネットカフェがありますし、大学の構内にもやはり無料のインターネットコーナーがあり、たくさんの人々が思い思いにコンピューターを利用しています。日本ではあまり見かけない光景ではないですか?みなさんも旅の途中でこの様な所から会社や友達にメールを送ってみたらいかがでしょう。文字化けせずに読むことは出来ますし、日本語入力が出来なくてもローマ字で文章を書けば送信だって可能です。
 ところで、韓国のインターネット上で何が出来るのか、私は最近の日本の状況にあまり詳しくはないので本当は日本の方が進んでいるかも知れませんが、ここ韓国では映画の予約は当たり前、それも当日窓口で買うよりはるかに安く2日前までなら6500ウォンが500ウォンまでになるのですから驚きます。席だって中央よりで見やすいし是非利用されてみてください。中には当日まで予約可能な映画館もあります。料金は全てカード決済なので、セキュリティーは本当に万全なのか少し心配です。
 それにもまして特にすごいのは最新の歌が無料で聴けてしまいダウンロードも可能なのには本当に驚かされます。(少し前の歌なら日本の歌でさえ聴くことも出来ます。)カラオケの練習もこのサイトで出来てしまいます。そういえばCDシングルなるものは韓国には存在しません。アルバムのみです。また、ドラマも放映されており、高速回線・高性能CPUなら画面の動きもスムーズです、いつでも好きな時間に観ることが出来、TVより便利なのかもしれません。
 街にはPCバンなるものがあちこちにあり、超高速インターネット環境で若者はインターネットゲームやチャットを楽しんでいます。1時間1000ウォン(100円)で楽しめる韓国はある意味ではコンピューター天国なのかもしれませんね。
 しかしながら液晶ディスプレイは部分的に見難い部分があり、製品の精度は今一歩にような気がします。関釜フェリー鰍ナは韓国向け半導体製造用の精密機器の輸出が好調だとの話を聞き、なるほどと思いました。これから先、韓国の製品は安くていい物がどんどん増えてくることと思います。どうでしょう、いち早くこうした製品を探し出せば、きっとビッグビジネスになるのではないでしょうか?(釜山広域市派遣職員:石田朋彦)

大世界における済州道の動き(その2) (中央日報) 2003年3月

済州国際コンベンションセンターがオープン
 済州道が、国際会議産業の先導を宣言し、そのスタート台に立った。済州道は3月22日、西帰浦市の中文観光団地に、マンモス級会議場を主とする済州国際コンベンションセンター(ICC JEJU)をオープンする。展示ではなく会議を主体とするリゾート型コンベンションセンターとしては国内初である。
済州国際コンベンションセンターは、54,876u以上という敷地内に、地下2階、地上5階の延べ面積62,126uという巨大な規模を誇る。メイン会議場の耽羅ホールは3,500席、最大4,500人の収容が可能で、8カ国同時通訳施設を持つ。また大型コンサートやセミオペラの上演が可能な音響施設を備えている。2,640u以上の展示室と、55〜660席を備えた3つの小会議室もある。予約争いも始まっている。すでに、アジア開発銀行(ADB)総会など、1,000〜3,000人余りが参加する15の大規模国際会議の開催が確定しており、さらに25件が時期をめぐって協議を行っている。同センターの幹部は「済州道昇格50周年だった96年に建設を構想し、この度開館する運びとなった済州国際コンベンションセンターは、世界コンベンション業界の新たなリーダー、済州道の観光社会基盤施設として、産業に無限大の波及効果を与えるだろう」と語っている。(参照:3/13 中央日報)

大世界における済州道の動き(その1) (朝鮮日報) 2003年3月

モバイル・アイランド
 済州道が、先端IT(情報技術)の集約された「モバイル・アイランド」に生まれ変わっている。モバイル・アイランドとは、済州道のどこでもノート型パソコンやPDA(個人携帯端末)さえあれば、モバイルインターネットを連結できることを意味する。無線LANカードを搭載すれば、空港はもちろん、ホテル、観光名所など主な地点で、いつでもインターネットにアクセスすることが可能だ。済州道は、2002年8月から「モバイル済州」プロジェクトを実施し、今月までに、主要ホテル、官公署、図書館、観光案内所、銀行など、主要地点128カ所をモバイルインターネットの連結地域として造成した。
 空港のロビーで飛行機を待ちながら、ノート型パソコンを利用して会社の電子決裁システムにアクセスして決裁したり、オンラインで囲碁を楽しむことができる。また、ホテル内の会議場でもケーブルや電気線なしにノート型パソコンでメモを取ったり、資料を検索したりできる。
 済州道はこれから、世界に先駆けたモバイルインフラを構築することにより、各種の国際会議の誘致をはじめ、観光収入の増大に大きく貢献するものと期待している。
 済州道知事は「年間400万人の観光客が済州道を訪れ、済州道のどこでも業務を容易に処理するようにモバイルインフラを構築していく計画である」と語っている。(参照:3/12日 朝鮮日報)

大邱の地下鉄火災事故 (朝鮮日報) 2003年2月

1970年代の防災基準によって建造され、全国で毎日650万人の乗客を乗せて走っている韓国の地下鉄は、わずか10分の火災により甚だしい人身被害を出すほど、無防備な状態で、対災害システムにも問題があることが明らかになった。
 2月18日に火災が発生した大邱の地下鉄は、内装材に対する安全基準すらできていなかった1997年に建造されたもので、内装材の安全性が最近建造された地下鉄に比べ、はるかに低かった可能性が提起されている。1974年、地下鉄時代を切り開いた韓国が地下鉄の内装材に対する安全基準を設けたのは24年後の1998年だった。
 火災事件が起こった大邱の地下鉄の椅子や内壁などの内部材料は、危険であるため、米国や日本、欧州では使われていない素材であることがわかった。国内の地下鉄製作メーカーによると、先進国で地下鉄を納品する際には、不燃材材料を輸入して使っている反面、韓国の地方自治体に納品する際には国内基準に合わせて安全性の低い国産の難燃材料を使う。
 専門家らは、「米国、日本のように韓国も地下鉄の椅子などを鉄製や高強度プラスチック類に替えるなど、地下鉄内装材の安全性基準を高めなければならない」と指摘している。
 問題はこれだけではなく、韓国の地下鉄には事故を早期に感知できるシステムも整備されていない状況だ。また、駅構内を映す閉鎖回路テレビ(CCTV)や安全要員の数が不足している上、適切に配置されてないことが明るみになった。ソウル地下鉄の場合、駅舎ごとに7〜8台の監視カメラが設置されているものの、エスカレーターやエレベーター近くに集中している。 大邱の地下鉄は、機関士1人しか乗車しないシステムであるため、機関士が電車の内外の状況を素早く把握できなかった。
 これと関連し、韓国労働組合総連盟と全国民主労働組合総連盟は2月19日に声明を発表し、「ソウル地下鉄5〜8号線、釜山と仁川の地下鉄も過度な構造調整の結果、乗車人員が一人しかおらず、事故の早期感知が難しい状況」であることを指摘した。
 地下鉄駅では、事故に備えて、乗客の避難が円滑に行われるためのシステムが欠かせないが、大邱地下鉄の駅構内には非常用の照明灯、発光案内板などがなかった。
 ソウル地下鉄の場合は、構内の地面に20メートル間隔で誘導灯が設置されてはいるものの、照明レベルの規定があまりにも低く設定されているため、効果は期待できないと指摘されている。また、事故の際には地下鉄のドアが自動的に開かれなければならないが、今回の事故では停電とともに閉鎖されてしまった。
 先進国では、地下鉄駅の電力が遮断される場合、バックアップの電気が入り、非常照明灯や出入口の開閉など、最低限必要な操作は可能になっているのに対し、大邱の地下鉄は火災が発生すると、駅の構内全体の電気が遮断される後進的電気システムだった。
 地下鉄司令室と機関士の間の通信システムは、どのような状況でも途絶えてはならないが、大邱の事件からも分るように、この部分でも問題点を露出している。国内の地下鉄運営当局には危機管理を担当する部署もない。1995年、東京の地下鉄駅18カ所にサリンガスがまかれる事件が発生した後、ソウル地下鉄公社は毎年、1カ所ずつ駅を選定し、「毒ガステロに備えた訓練」を軍部隊とともに行っているが、訓練はテロや戦争に備えた訓練であるため、消防当局は参加できずにいるのが現状だ。
 盧武鉉大統領当選者は、2月21日、大邱地下鉄放火事件と関連して、「新政権が発足すれば、関係部署と専門家らを網羅した臨時機構を設立し、災難管理制度を設け、改善と点検が徹底されるようにする」と述べた。(参照:2/19、21 朝鮮日報)

全自治体で電子民願サービス、電子地方税告知も本格実施
(ソウル市ホームページ、毎日経済新聞) 2003年2月

今後、引越をする時は、転入届のみで、自動車登録をはじめとする各種民願書類の住所移転が一度に自動処理されることになった。行政自治部によると、2002年には全国47市・郡・区で開始された電子民願サービスが、2003年2月7日から全国232のすべての市・郡・区に拡大され、全国どこででも電子民願サービスを受けられるようになったため、中央政府の各部処と全国232の市・郡・区(基礎的地方自治体)の情報網が共有となり、民願窓口をあちこち訪れる必要がなく、一つの窓口でワンストップ・民願サービスを受けられるようになった。
 全国各地に設置された712台の拇印民願発給機で受けることができる住民票等の書類は20種類から38種類へ拡大され、365日24時間、住民登録抄本や印鑑証明書等もオンラインで発給される。電子民願サービス地域の拡大と同時にサービス内容も拡充され、民防衛訓練通知書を電子メールで受け取りたい人は、インターネットで市・郡・区のホームページに入っていき、自分のEメールアドレスなど関連情報を登録すれば、そのアドレスに民防衛訓練が通知されるような仕組みになっている。民願処理過程をインターネットで公開する民願も、既存の437種類から農地転用許可、屋外広告物表示許可等を含め773種類に増えるため、行政処分に関する事項がインターネットで公開される範囲も拡大される。行政自治部関係者は、国民の社会保障サービス利用に必要な貼付書類は15種類から11種類へ統合され、住民登録抄本等など月平均2300万件の情報が共同活用されることによって、年間数百万に及ぶ証明書類が不要となる効果があると伝えている。
 また、地方税課税電子告知サービスも正式に導入され、財産税等の地方税内訳がインターネットを通じて閲覧可能になるほか、電子メールで課税告知を受けることができるようになる。
 ソウル市は2003年上半期中に、「地方税電子告知制度」を施行するため、郵便で発送されている紙による告知書の代わりに「Eメール」を活用し、告知と納付が可能な「電子告知システム」を本格的に構築すると発表している(ソウル市以外は併用方式を続ける見込み)。「地方税電子告知制度」を導入すれば、税金を賦課決定すると同時に、直ちに納税者のEメールアドレスに電子告知書を送付し、ソウル市インターネット納付システムを通じて、納付が可能となる。 携帯電話へのEメール送付などの附加サービスも実施する予定である。さらに、申請者は個別のメールアドレスに告知資料と納付内訳を保管することができ、別途領収証を保管する必要がなくなる。
 「地方税電子告知制度」が完全に定着すると、告知資料の生成、発送、納付、消印処理などの全過程が自動処理できるとともに、紙による告知書の製作、送達および銀行の収納処理などに所要される莫大な費用が節減されることが期待されている。(参照:2/5ソウル市ホームページ、2/7毎日経済新聞)

盛んになる公営競技 (朝鮮日報) 2003年1月

韓国の景気は徐々に活力を失いつつあるが、ギャンブル産業は日増しに急成長している。韓国租税研究院の分析によると、昨年の国内ギャンブル産業の売り上げ高は11兆5539億ウォンを記録し、2001年(8兆9308億ウォン)より29.4%増加した。これは99年(4兆4402億ウォン)に比べ約3倍の増額だ。
 昨年1年間、15〜64歳の国民(2001年基準3400万人)が1人あたり年間32万ウォン程度を「ギャンブル費用」として使ったことになる。
 部門別には競馬が7兆8000億ウォンとギャンブル産業全体の67.5%を占め、競輪、競艇2兆2562億ウォン、宝くじ1兆22億ウォン、韓国人向けカジノ(江原ランド)4955億ウォンの順だった。昨年、競馬、競輪、競艇、内国人カジノの年間利用客は合わせて2313万8000人と、前年度(1911万9000人)より21%増えた。
 ギャンブル産業の急成長により国内のレジャー市場でギャンブル産業が占める比重も2000年38.9%(レジャー市場規模15兆2703億ウォン)から2001年55.4%(15兆6013億ウォン)、2002年66.6%(17兆ウォン)と急速に上昇している。
 このようなギャンブル産業の急成長は、地方自治団体の財源確保のための競争が主な原因といわれている。2001年1年間、京畿道は果川競馬場だけで4415億ウォン(税収入全体の10%)のレジャー税を、慶尚南道は国内初の競輪場である昌原競輪場で306億ウォンの税金を回収した。
 現在、釜山は競馬場、大田、全州、羅州、富平は競輪場、仁川、儀旺は競艇場の誘致を進めている最中だ。
 一部の財政専門家らから「最近、地方自治団体が財政収入を増やすため、競馬・競輪場の建設に乗り出しているが、ややもすると射幸心の広がりと生産性の低下による社会的な損失が膨らむ可能性がある」とする声もきこえる。
 韓国レジャー産業研究所幹部は「今年はギャンブル産業の規模が昨年より約24%増加した14兆ウォン台に達する見込みで、英国などの先進国ではすでに賭博に対し徹底した『総量規制』を行っている」とし、「韓国も『射倖産業監督委員会』のような民官合同機関を設け、ギャンブル産業がこれ以上大きくならないよう規制する必要がある」と述べる一方、韓国租税研究院では「政府がギャンブル産業で得られた財政収入を通じて教育と福祉部門に投資するのは世界的な流れ」とし、「ギャンブル産業が社会に及ぼす副作用を抑制しながらも、財政収入をさらに拡大させる方策を研究する必要がある」と指摘している。
 一方、昨年12月2日に販売が開始されたLOTTO宝くじの販売量が、販売開始から2カ月足らずで爆発的に増加していることを受け、政府が対策に乗り出した。
 この宝くじが人気を集めている最大の理由は、1週間を通じて販売された売上額の22.4%が1等当選者に配分されるため、当選額が毎回変わる仕組みをとっていることがあげられる。第1回目の販売額は36億8000万ウォンに過ぎなかったが、それ以降1等当選額が増加の一途をたどり、第8回目にはおよそ207億5000万ウォン相当が販売された。実に464%の成長率で、1等当選者は数十億ウォンを手にすることができる。また1等当選者がいない場合には、その当選額が続けて5回まで加算される仕組みとなっている。 ちなみに、現在販売されている第9回目のLOTTO宝くじ(2月1日抽選予定)は、第7、8回の抽選で連続して1等がなかったため、当選額が100億ウォンを超える見通しだ。このような当選額の爆発的増加と共に、LOTTO宝くじの人気が過熱気味になっていることから、宝くじ発行調整委員会は1月27日、1等当選額の「繰越し」回数を現行の5回から2回に減らすことを発表した。ただし、現在販売中の第9回LOTTO宝くじに対しては既存の規則通り、当選者がいない場合、5回まで当選額が繰り越される。(参照:1/16、19、27 朝鮮日報)

宝物は根気よく探すもの
(「こくさいか山口」)1〜3月号掲載 釜山派遣職員 石田 朋彦) 2002年12月

 韓国の冬−−外は寒いけど部屋内はオンドルで暖房地獄だと聞かされていました。これは集中暖房管理型の話で、最近の建物は家庭毎のオンドルに変更されています。外から帰ると確かにほんのり暖かいのですが、Tシャツに短パンと言う訳にはいきません。さすがに石油ストーブはあまり見かけません。オンドルに慣れて日本に帰ると、きっと床暖房推進論者になっていることと思います。
 私の宿舎は25年前の建物で間取りは少し古いタイプなので、玄関・居間と台所がつながっています。最近少し居間が寒いので、ちょっと区切り、部屋のペンキを少し塗り替えて模様替えをしたいなぁと考え、既製品のカーテン・カーテンレールとペンキを少し買いたいと思うのですが、これがなかなか困るのです。韓国という国の不思議なところ、合理的なのか、あるいは・・・すべてが専門店なのです。市場などに行くと金物・生地(反物)・洋服や食器などの各専門店がたくさん店を連ねています。お客さんは自分の欲しいものは、その中のどこかのお店に行けば、きっと気に入った物が見つかると考えているようです。お店は隣の店にないものを揃えておくのが韓国流です。お店が沢山在りすぎて商品を選ぶのに困らないかなぁと思うのですが、そうではないらしいのです。そうした買い物を楽しんでいるようです。韓国の方々は自分の意思が強く、個性的なのかもしれません。(ちなみに私は探しきれずに、仕方なくあきらめて市場でカーテン生地を買いました。)
 釜山も外資系の大型スーパーがあちこちに建っていますが、その大半は食料品や衣類で、こうした雑貨コーナーはまだスペースが狭いのが実情です。生活を豊かにする雑貨がまだまだ少ないように感じるのは私だけでしょうか?日本や欧米にあるようなD.I.Y(ドゥ イット ユアセルフ)のお店をまだ探し出せないで困っています。日本では東急ハンズや西武ロフトが人気を博していると聞きます。人件費の高い日本、出来るだけ自分で行い、お金をかけずに個性的なライフスタイルを創り出そうとしているのは、今や日本だけのことではないと思います。
 どうでしょう、冬が寒い韓国、ひとつこうしたお店を作って、せめて心だけでも誰か暖めていただけませんか?(釜山広域市派遣職員:石田朋彦)

2004年4月にはソウル−釜山間で超高速鉄道の営業開始(朝鮮日報)2002年12月

2003年12月、TGV方式の高速鉄道がソウル―大田区間の運行を始める。2004年4月には、ソウル―釜山間での営業を開始する予定だ。1992年6月の着工以来、11年6カ月の年月を費やした。
 最高時速300キロ、平均時速220キロ、1秒に100メートルを切る速度でソウルから大田まで47分で走破する革命的な交通手段が国民の前に登場する。超高速列車は今年年末のソウル―大田運行に続き、2004年4月には韓半島南端の両端である釜山と木浦まで運行区間を延ばす。同年4月まで、大邱―釜山間は既存のレールを使用するため、ソウルから釜山までの所要時間は2時間40分ほどだが、2010年の新線完成によって、1時間56分行けるようになる。地下鉄のように10〜15分間隔で運行される高速鉄道に乗れば、全国が文字通り、「1日生活圏」になる。
 現在92%まで完工し、上半期中には完了する予定だ。9月からはソウル―大田の159キロ区間で総合試験運転が行われる。
 超高速鉄道の起案は全斗煥大統領、実際の計画作りは盧泰愚大統領、着工は金泳三大統領時代に行われた。そして金大中大統領を経て次期政権下でようやく実りを上げる「建国以来の最大国策事業」である。
1999年から3年間、試験運行を重ね、車両・線路・電力・信号通信・整備といった各分野で約180種類のきめ細かなテストを終えた。7月には光明、天安駅がオープンし、10月には龍山駅が完工される予定だ。
 計20両(動力車2両及び客車18両)、長さ388メートル、1台500億ウォンに上る青色の「夢の列車」、走る列車の中でもコーヒーカップが揺れない列車が韓国の山野を縫って走る瞬間が目前まで迫ってきた。(参照:12/31 朝鮮日報)

新大統領の首都移転公約をめぐって(朝鮮日報)2002年12月

 「忠清圏に新たな行政首都を建設する」という行政首都移転の公約を掲げた新千年民主党(民主党)の盧武鉉候補が大統領に当選したことにより、忠清地域の地方自治体と住民が、地域発展に期待を募らせている。
 12月20日、忠清北道知事が「首都誘致のための方策を多角的に検討せよ」と指示したことによって、学界や市民団体などが参加する「行政首都誘致を推進する委員会」の設置を推進することにし、大田市長もこの日、緊急幹部会議を招集して、行政首都移転に対応し、大田発展研究院の主導で、経済・文化・土地の利用計画などに対する徹底した準備をするよう指示した。
忠清北道の関係者は「清州圏は、清州空港や京釜高速鉄道、高速道路といった交通社会基盤(インフラ)が備わっているうえ、大清湖を利用した用水確保にも優れており、首都移転として最適地だ」とし「最近発表した365万坪規模の五松新都市造成計画を拡大するか、あるいは大清湖隣接地域などに候補地を探し、誘致に乗り出す」と語った。現在、有力視されている行政首都の候補地は、忠清南道・牙山新都市(800万坪)や、国立保健院などが移転される予定の忠清北道・清原郡の呉松・梧倉地区、故朴正熙元大統領が首都移転地に選定していたという忠清南道の燕岐郡と同じく忠清南道の公州市長岐面など3〜4カ所。
 これらの地域は、民主党が「ソウルから離れておらず、空港や高速鉄道、高速道路などの施設も揃っているため、全国からのアクセスが容易な地域」と評価している。
 盧氏が大統領に当選した翌日の12月20日、大田と燕岐、公州、清原、清州などの不動産仲介業者には、投資に関する問い合わせが殺到した。
 政府は、盧茂鉉大統領当選者の行政首都移転公約により、候補地として取り上げられている忠清地域の不動産価格が急騰すると見て、この地域を「投機地域」に指定し、不動産投機疑惑が持たれる者に対する税務調査の強化などを積極的に検討している。
 12月23日の財政経済部と国税庁の発表によると、行政首都候補地として有力視される忠清南道の牙山新都市及び公州市長岐面、忠清北道の呉松だけでなく、周辺地域の不動産価格が短期間で急騰し、今後、専門投機筋が集中すると予想されている。
 これを受け、1月中に財政経済部次官を委員長とする「不動産価格安定審議委員会」を初めて開催し、これら地域を含め、全国の不動産価格の急騰地域に対し投機地域への指定を積極的に検討する方針だ。
 反面、ソウル市と政府の第二庁舎のある果川市では空洞化に対する懸念の声が高まっている。果川市は「庁舎が移転すれば果川市の職場が最小18%、最大51%まで減ることになるという研究結果が出ている」とし、「最悪の場合、果川市だけで1万5000人が職を失うことになる」と述べた。(参照:12/20、23 朝鮮日報)

追いつけ日本 進めニッポン
(「こくさいか山口」)10〜12月号掲載 釜山派遣職員 石田 朋彦)2002年10月

 今回はやはり釜山で開催されたアジア競技大会の話からしたいと思います。なかなか国際大会を観戦する機会のない下関出身の私には、開会式を競技場で観ることができ韓国の若者5000人余りのパワーと愛国心はいったい何処から出てくるのか感動と驚きの連続でした。おまけに、席からは北朝鮮の美女軍団をこの目で見ることも出来良い想い出になりました。この大会には43ヶ国から10000人余りの選手達が熱い戦いを繰り広げました。いったい何ヶ国語なのでしょう?韓国語で悪戦苦闘している私には、市民ボランティアが各国の通訳として活躍している姿は、韓国の明るい未来を感じます。
 さて、韓国に赴任して半年が過ぎこの間に知り合った女子大学生に色々尋ねてみましたので、その内容を少し紹介しましょう。休日は何をして過ごすのか?の質問には、一番は気のあった友達と夜遅くまで、ショッピングや食事そしておしゃべりをすることだそうです。遊び場(方法)が少ない韓国ではこうしたことが一般的のようです。私が気になる韓国の商品の一つにシンバル(靴)があります。女性用は先が長くとがっていますし、男性用も幅広でやたら長いです。いったいどれだけ先が余っているのか判りません。歩きにくくないのかなぁと思うのは私だけでしょうか。そして、靴のサイズはどこを指すのかまったく不明です。
 若者は日本の電化製品には一種のブランドイメージがあるようで、SONYのウォークマンシリーズは憧れのアイテムらしいです。特にまだMDウォークマンを持っている人は少ないので、親しい人のお土産には喜ばれること請け合いです。面白いのは同じブランドの洋服でも、韓国で買うと品質が少し落ちて高く、日本で買う方が安くてデザインも良いと話していました。日本で買うのがトレンディだなんて時代だなぁ・・・
 街中では日本のキャラクターショップを、ときどき見かけます。キティーちゃんがメインですが、生活にゆとりと潤い・夢を与えるこの手の商品はまだ少ないとも話されていました。外国の商品をコピー・改良するのは日本のこれまでのパターンでしたが、韓国も負けず劣らず技術力・工業力は素晴らしいものがあります。しかし、ゆとり製品の創造・生産はいま一歩のように思います。こうしたところでニッポンを出していかないと韓国に追いつかれるのではありませんか?
 日本は物余りのデフレ状態だと言われてますが、いまこうした夢のあるキャラクター商品などを韓国に輸出したら、きっと成功するのではないかと思っております。(釜山広域市派遣職員:石田朋彦)

韓国はビッグ 日本はスモール?
(「こくさいか山口」)7〜9月号掲載 釜山派遣職員 石田 朋彦) 2002年9月

 韓国釜山に勤務している私にはこの夏は驚きの連続でした。ご承知の通り今回のワールドカップで韓国は4強と健闘しましたが、このことに関連した話を少ししてみます。まず驚いたことは、職場対抗親善草サッカー大会が開催されましたが、みんな、うまい事うまい事、仕事が忙しいのに一体いつ・どこで練習しているのか?センターリングはちゃんと上がって来るし、ヘッド・ボレーシュートあり恐ろしい限りです・・・それも芝生の上でサッカーをするのです。スライディングだって怖くありません。日本の草サッカーでは考えられないことです。子供の頃からこうした環境で育つのです。韓国が強いはずです。
 もう一つ、スペインとの対戦でPK戦の末に勝利した時は、韓国が最高に盛り上がった時ではないでしょうか?片側3車線もある一般道路が赤いTシャツの人・人・人であふれ歩行者天国になったのには感激しました。この一体感はすごい、韓国はやることが(スケール)が大きいわぁ・・・。どこかの国は勤務中にTV観戦自粛令が出たそうで、なさけないやら・・・。
 話はすこし脇道にそれてしまいましたが、宿舎の電化製品(歴代職員のお古で10年以上使用しています)が、相次いで壊れてしまいました。やむを得ず買い換えましたが、その大きいこと・大きいこと・安いこと・安いこと、10kg洗濯機が43万WON(日本円で4万3千円)280L冷蔵庫が38万WON(家庭用冷蔵庫の主流は400L以上ですが)大きさで1.5倍、値段で半分でしょうか?ただし、韓国の製品は使い手に立ったきめ細かな配慮に欠けているような気がします。
 知り合いの主婦の方々に、日本の物で何が欲しいですかと尋ねたところ、電化製品との答えが多くありました。理由は、デザインが良い・性能が良い・信頼が出来るとのことでした。韓国製品が悪い訳ではありません。私自身愛用しておりますし、何の不具合もありません。しかし、日本製品にはそれ以上の何かがあるのでしょうか?
 世界は機能が同じならなるべく小型・軽量化しようとするダウンサイジングが進んでいます。資源に乏しい日本ならばではないでしょうか?そしてモーダルシフト(環境に配慮した物品運搬方法:拠点から拠点はトラックから列車・船などの大量輸送に変更すること)も、ゆっくりですが着実に進行しています。
 おおらか・ビッグ韓国はまだ、大は小を兼ねる製品が数多く見受けられます。製品本体は、まだまだ輸出しにくいかもしれませんが、スモール日本はこれからはこうした技術・アイデアを輸出できないものでしょうか?・・・
 次回は若い女性の今をお伝えしたいと思っております。(釜山広域市派遣職員:石田朋彦)

W杯期間中は中国へ海外旅行 (朝鮮日報ほか) 2002年7月

25日の文化観光部の発表によると、W杯開催期間の6月の韓国訪問外国人観光客は、40万3466人で、前年同期比12.4%減少した。一方、同期間に海外旅行した韓国人は、前年同期比6.2%増の53万8110人となった。外国人観光客の減少は、通常、観光客の半数を占める日本人客が大幅に減った上に、増加を見込んでいた中国からの観光客が予想ほどに伸びなかったことが影響している。
 同期間の日本人観光客は、昨年の22万5404人から今年は12万4826人となり、10万578人減、減少幅は44.6%となった。中国は3万7087人から6万1256人で65.2%の増となったが、実質2万4169人の増加にとどまった。なお、熱狂的ファンが多い欧州からは前年同期(3万3856人)比54.9%増の5万2446人を記録した。一方、今年に入ってから、中国を訪れる旅行客が大幅に増えている。仁川(インチョン)空港の出入国管理事務所によると、7月15日まで仁川空港を経て中国を訪問した韓国人は62万6295人と、日本(51万7382人)より10万人以上多くなっており、この数は前年同期の44万319人より42%増えているという。(参照:7/25朝鮮日報ほか)

週休2日制 (韓国経済ほか) 2002年7月

 政府は、週休2日制を主な内容とする勤労基準法の改正案をまとめ、9月の通常国会に政府立法として提案する方針だ。
 そもそも2000年5月、労働界が従来から要望していた週休2日制の導入について、金大中大統領が「前向きに検討する」と発言、経済界も同年10月には原則合意を表明して労使政委員会で意見調整が続けられていた。しかしながら、休暇や超過勤務の取扱いなど、細部に対する意見の違いから、労使政委員会での最終合意は得られないまま政府は、行政機関において2002年4月から月1回、第4週の土曜休日を試験的に導入した。地方自治団体でも、地方選挙、ワールドカップ終了後の6月〜7月、毎月第4週土曜休日を実施している。
 金融機関も独自に7月から週休2日制を導入することで、労使が合意し、すでに、7月1日から銀行などの金融業界では「週休2日制」が施行されており、大企業も追随する動きを見せている一方、中小企業経営者は生産性の低下や人材確保の面で懸念を表明している。
 こうしたなかで、労使政三者の代表は、22日、労使政委員会本会議を開催したが、賃金補填案と年次休暇の日数など、一部の争点について意見の一致を見ず、2年間約100回行われた交渉は結局、物別れに終わってしまった。しかしながら、法改正が行われなければ週休2日制の導入をめぐり、個別企業の労使関係が危うくなりかねず、労働時間の短縮が休日・休暇制度の改善なしで行われれば、企業に大きな負担になる恐れがあるとして、政府立法に踏みきったものである。労働部は、「改正案が国会で通過すれば、来年7月から、公共部門と従業員1000人以上の大企業を皮切りに週休2日制を段階的に施行する」としている。
 与野党の対応は分かれている。野党ハンナラ党は「他の国々でも1人当たり国民所得が1万5000ドルを越えた時点で週休2日制を導入し始めており、無理やり導入することは、中小企業の人手不足に拍車をかける」といって、慎重な構えだ。これに対し、与党は、週休2日制の導入はこれ以上先延ばしできず、「企業の規模や条件を考慮して猶予期間を設けたり、段階的に実施することなどについて、後日話し合うこととし、まず施行するのが先決だ」としている。 (参照:7/23韓国経済ほか)

高い若者の失業率 (朝鮮日報ほか) 2002年7月

 25日、企画予算処が労働研究院に依頼し、まとめた青年層の失業問題に関する資料によれば、今年6月の失業率は97年以来、最低の2%台(2.7%)を記録したものの、青年層の失業率は7%台(7.6%)と、依然として高い状況だ。 韓国全体の失業率は、97年の通貨危機以来最低水準になったが、青年失業率は全体の失業率より3〜4倍高く、深刻な社会問題に浮上している。特に高卒以下の学歴を持つ青年層の失業者数が毎年累積され、長期失業に伴い、貧困階層が拡大する懸念が高まっている。大卒以上の学歴を持つ失業者数は、96年7万5000人(5.1%)、通貨危機直後の98年に15万8000人(9.9%)と最高を記録したが、今年第1四半期には11万7000人(6.7%)とやや減少している。一方、高卒以下の学歴を持つ失業者数は、96年に18万人(4.5%)、通貨危機直後の98年に45万4000人(13.2%)だったが、今年第1四半期には26万3000人(8.6%)となり、大卒以上の学歴者より平均2〜3%高い失業率を記録した。労働研究院は、高卒以下の学歴者のうち、昨年の新規失業者数は2万7000人だが、累積失業者数が24万人に達するなど、累積失業が深刻なため、労働力損失と貧困層拡大への懸念が高いと指摘している。 また、青年失業率が高い理由として、求職者数と彼らが望む職業の需給ミスマッチ、学校教育と企業の需要の乖離、青年層の失業を吸収できる中堅企業の不足を挙げた。
 労働研究院の幹部は、大卒以上の学歴者は毎年新規失業者として流入し、就職も活発なため、全体的に問題の深刻さが軽減しているが、高卒以下の場合は、毎年の失業者流入が長期失業につながり、貧困層に転落している」と懸念した。 (参照:7/11 朝鮮日報ほか)

経済特区進出で外国語教育強化の方針 (朝鮮日報ほか) 2002年7月

 政府は、韓国を“北東アジアのビジネス中心地”に発展させることを目指して、「経済特別区域法」を年内に制定する意思を明らかにした。松島(ソンド)新都市と金浦(キンポ)埋立地、永宗島(ヨンジョンド)、釜山(プサン)と光陽(クァンヤン)港の隣接地域を経済特別区域として指定する計画である。経済特別区域に指定されると、外国の教育機関と病院の進出が容認されると共に英語で作成された書類の受け付けが可能になるなど、外国企業および外国人のための様々な行政サービスが提供されるようになる。5カ所の経済特区内に設立される国際高校には、外国人の子息だけではなく、韓国人の学生も海外居住期間に関係なく入学できるようにする。教育人的資源部は、来年から外国人学校の韓国人学生の入学資格を、現行の海外居住歴5年から2〜3年以内にし、外交官や駐在員の子息の入学も許容する方針だ。 教育人的資源部はこれとは別に、英語、中国語、日本語などの外国語教育を強化するため、来年から2007年まで毎年1000人ずつ計5000人のネイティブスピーカーの教師を全国の小学校、中学校、高校に投入する計画を表明している。また、今年中に103人の外国人教授を、ソウル大学など13の国立大学に招き、大学の国際化を促進することや、外国人留学生を国内に誘致するため、2005年まで10の大学に外国人専用の寄宿舎を建てるという構想も明らかにしている。また、産業資源部は地方自治団体の財政資金支援の規定を近く改正し、外国人投資地域(外国人が3000万〜5000万ドル以上の投資をした地域)をはじめ、他の地域に設立した外国人用の便宜施設にも財政的な支援し認めていく考えを明らかにした。(参照:7/1朝鮮日報ほか) 

54人が死亡か行方不明、住宅3万8000余世帯が浸水 2002年7月

 7月15日から16日にかけての大雨でソウル・京畿道地域で54人が死亡、または行方不明になり、住宅3万8000余世帯が水に浸かった。死亡・行方不明者の場合、ソウル地域が28人で最も多く、京畿道と仁川でそれぞれ22人と4人だった。事故の原因としては感電(19人)・河川の急流(17人)・住宅浸水(10人)などの順だった。 全体浸水世帯のうち76%の2万6000世帯がソウルに集中しており、農耕地1500ヘクタールが水に浸り、豚・鶏・鴨など3万5000余頭が被害を受けた。 (中央日報 7/16)

ソウル、生活費の高い都市10位 (朝鮮日報) 2002年7月

 ソウルが世界で10番目に生活費の高い都市に選ばれた。
 コンサルティング社のウィリアム・エム・マーサーの調査によれば、ソウルをはじめ、アジアでは7つの都市が「世界で最も生活費の高い都市」の上位10位以内に含まれた。調査対象は、住宅からハンバーガー、コーヒーに至るまで、200品目の価格を比較、分析した。 生活費の最も高い都市は東京で、香港3位、北京5位、大阪6位、上海9位などだった。(朝鮮日報 7/17)

高級日本車の輸入好調
(「こくさいか山口」)4〜6月号掲載 釜山派遣職員 石田朋彦)2002年6月
 この4月から釜山広域市へ派遣され、今回からこのコラムを担当することになりました。出来る限り今の韓国情勢をお伝えしようと思います。どうぞよろしくお願いいたします。第一回目は街かどで見つけた日本について報告します。韓国は日本とは逆に依然として好景気で、預金金利が4〜5%を維持しております。皆さんも韓国で預金しませんか?なんて話しはさておき。昨年から韓国はワールドカップ共同開催を受けて、日本の文化・製品が以前よりまして街かどで見かけることが、多くなりました。日本語のマンガ本は釜山広域市の南浦洞・中央洞(埠頭周辺)で見かけることはありましたが、日本製の電化製品を見かけることや、まして車を見かけることなどありませんでした。ところがどうでしょう、今まではお土産に人気のあったSONY プレステーション2(PS2)が、この4月からはロッテ デパートで買うことも出来ます。ただし、価格は日本の2倍前後とかなり割高です、それでもいままでのことを考えると大変な事だと思われます。それ以上の出来事として、99年日本車輸入が解禁されたのを契機に、昨年から日本車の輸入が増えています。下関港(関釜フェリー)の話をしますと、一昨年は年間150台程度輸出でしたが、昨年2001年の輸出台数は約4.2倍の650台に上るそうです。そう言ってもなかなか市内で日本車の姿を見かけることは出来ませんでしたが、現在私の住んでいる南川(ナムチョン)若者に人気の広安里(グァンアリ)ビーチの近くで世界のホンダ車をはじめて見かけたときは、本当に驚きました。輸出車は主にトヨタ製の「セルシオ」「ウィンダム」、韓国内ではどちらもレクサス「LS430」「ES300」として販売されています。韓国内の販売価格はおのおの1億WON(日本円で1千万円)・6千5百万WONで日本国内販売価格のおよそ2倍です。そして驚くことに韓国の一般的な新車価格 2千2百万WONを大きく上まっていることです。いったい誰が買うのでしょう?
 釜山市内 中央洞に日本車ショールームが開設されております。そこでのインタビューも合わせて紹介しておきます。4月はおよそ40台の車が売れたそうですし、1月〜4月までで100台以上売れたそうです。今一番人気の車種はES300(日本名 ウィンダム)だそうですよ。
 車だけに限らす、日本製品の韓国輸出への絶好機と言えるのではないでしょうか。このことはとりもなおさず、みなさんのビジネスチャンスなのではありませんか?(釜山広域市派遣職員:石田朋彦)

週休2日制が地方公共団体にも拡大 2002年5月

 中央政府機関を中心に、毎月1回試験的に実施されている週休2日制が、5月25日から一部の地方行政機関にも拡大されることになった。
 行政自治部は、796中央政府機関と38地方行政機関について、週5日制勤務を試験的に実施すること及び残り210の地方行政機関についても6月〜7月を目処に実施する予定であることを明らかにした。これらの行政機関は、毎月第4土曜日に休務することになる。ソウル市でも来る7月から、週休2日制が試験的に実施されることになっている。市は当初、5月施行実施を検討したが、5月31日から開催さえているワールドカップと、6月13日に行われる統一地方選挙などを円滑に処理するために、7月施行を決定したことを明らかにした。これに伴い、ソウル市と傘下機関である25の自治区において、一部部署を除いた全職員は7月27日から毎月第4土曜日は休務することになる。土曜閉庁により減る勤務時間については、週1回1時間ずつ特定の曜日に補充勤務することになり、総労働時間(週44時間)は減らない。(参照 朝鮮日報)

レジ袋販売制度強化 〜レジ袋を2円から5円に〜 (朝鮮日報) 2002年5月

 百貨店や大型量販店などで販売されているレジ袋代が6月1日から現在の20ウォンから50ウォンに引き上げられる。環境部は5月3日、1999年2月から施行してきた「レジ袋販売制度」の効果を高めるため、売り場の面積が延べ1000坪以上の全国286の百貨店と大型量販店で販売するレジ袋代を50ウォンに引き上げることにした。これは、消費者らが20ウォ ンという価格を負担に思っていないため、買い物かごの利用を促進し、ゴミ削減につなげていこうという当初の趣旨が生かされていないことを踏まえての措置である。 環境部によると、レジ袋販売制度の施行から3年たった現在、買い物かごの利用率は16%と低く、レジ袋を購入している顧客は50%に上っている。また、レジ袋の使用量は年間150億枚に達している。特に、レジ袋を購入した売り場に持っていけばレジ袋代の払い戻しができるにもかかわらず、大半の消費者らがレジ袋を使い捨てているという調査結果も出た。これを受け、環境部は今後、販売されるレジ袋の表に価格と払い戻しに関する案内文を表示し、レジ袋の経済的な価値を認識できるようにする方針だ。(参照 朝鮮日報)

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